2015年12月

           2015年 12月27日() 聖日礼拝

     「主は共に働き」        マルコ16:14-18

 

 2015年の標語は「一歩を踏み出そう」でした。個人において、教会において、一歩を踏み出すことを願いつつ歩みました。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(16節)。これは、主イエスよりの弟子たちへの宣教命令であり、私たちクリスチャンへのものでもあります。

 

  一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」(20節)。主イエスの召天の後、弟子たちは主の命令に従って宣教のために出かけて行きました。主は共に働いてくださいました。

 

 自分に能力があるからではない、むしろ自分には能力もない。自分が強いからではない、むしろ自分は弱い。そんな自分を主は選んでくださった。主のご命令だから従って行く、主の助けを信じて従って行く。主は、そんな弟子たちを強めてくださいました。主は今も生けるお方です。私たちが主に従って進む時、主は共に働き、御業を現してくださいます。                          

                          (久多良木和夫)

 

 

    2015年 12月20日() 聖日礼拝

     「平和の道に導く光」      ルカ福音書16779

 

 この箇所は、ザカリヤの賛歌と呼ばれる箇所です。「我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた」(69節)この救いの角とは、救い主イエスのことです。主イエスによって希望が与えられました。

 

  それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。」(71節)。「敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、」(74節)。 敵とは、自分を苦しめる敵だけでなく、苦しくてたまらない状況、戦争、病気、家族のことでの悩みを意味します。それらからの解放が与えられるのです。

 

 その救いの土台は2つあります、1つは神の愛です。神は決して見捨てません、もう一つは神の真実です。神は救いの契約を守り通してくださいました。神は決して変わらないお方です。

 

 「主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。」(77節)。ふつう考える救いは、商売繁盛、家内安全、病気が良くなる、入学試験に合格する、良い縁が与えられるといったことです。神はそれらをもちゃんと与えてくださいます。真の神の備えてくださった救いとは、もっと根本的な罪の赦しによる救いです。神との関係が回復し、神の子どもとされ、神とつながって生きる者になるということです。

 

  高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」(78-79節)もはや暗闇と死の陰に坐し続ける必要はないのです。暗闇を打ち破ることのできる救い主が来てくださったのです。   

                           (久多良木和夫)

 

       2015年 12月13日() 聖日礼拝

「驚くべき神の愛」  フィリピの信徒への手紙2:6-8節

 

  驚くべき神の愛の第一のことは、神の御子が家畜小屋で生まれたということです。私達の、救い主イエス・キリストは、ベツレヘムの家畜小屋の飼い葉おけが着地点でした。貧しい羊飼いたちは真っ先に拝みに行きました。神ご自身が、神の身分を捨てて人として人の世に来てくださったのです。冷たい硬い石でできたよごれた餌箱は私たち人間の心を示しています。

第二のことは、神の御子が人間と同じ者になられたということです。おとめマリアの胎内で育ち月満ちて生まれられ、父となることを信仰をもって決断したヨセフを父として育たれました。罪以外の全てのことにおいて人としての弱さを負い、日常の生活をされました。

 

第三のことは、8節、キリストは「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」とあるように、神の御子が私達人間の罪の身代わりとなって、最も残酷な、苦しみの死を遂げられたことです。9節、「神はキリストを高く上げ」とあるように、キリストの復活と昇天によって救いは完成したのです。あとは私達が飼い葉おけのような心に救い主をお迎えするかどうかです。

                        (久多良木志津子)

 

 

          2015年 12月6日() 聖日礼拝

  「恵みと真理の主」     ヨハネ福音書1章14-18節    

  

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(1節)。言とは神の独り子主イエスのことです。

 

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(14節)。神であられた方が、人となってこの世界に来てくださいました。そして私たちと共に住んでくださったのです。

  

  主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、」(出エジプト34:6)。恵みと真理は、旧約聖書にはっきりと記されています。そのことをこのヨハネ福音書1章で、はっきり記しています。

 

恵みとは神の一方的な愛です。救いをいただく資格のない者に救いを与えてくださる愛です。真理とは、真実であり、決して裏切らない、見捨てないということです。

 

「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。」(17節)。恵みと真理の主が、私たちを滅びるものではなく、永遠に生きる者にしてくださるのです。                      

                          (久多良木和夫)