2016年 10月

    10月30日() 聖日礼拝

      「わたしはあなたを贖う」    イザヤ書43章1-7節

 

 聖書を通して、神の語りかけを聞くことは幸いです。イザヤ書43章のこの箇所は素晴らしい語りかけに満ちています。

 

 「水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず炎はあなたに燃えつかない。」(2節)。「わたしの目にあなたは価高く、貴く」(4節)

 

 「ヤコブよ、あなたを創造された主はイスラエルよ、あなたを造られた主は今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」(1節)。 主なる神は、贖うと宣言されています。贖うということの意味は、奴隷の状態から自由の身にするために、その解放のための代価を完全に支払ってくださるということです。

 

 神は、このイザヤの預言を歴史の中で成就してくださいました。私たち人間の罪の償いをしてくださいました。神の独り子であるイエス・キリストをこの世に遣わされました。主イエスは、私たちの罪の身代わりとなって死に、罪の代価を完全に支払ってくださいました。私たちの命と引き換えに、主イエスは十字架の上で死んでくださいました。                          

                          (久多良木和夫)

 

    10月23日() 秋の特別歓迎礼拝

      「とこしえに立つ神の言葉」   イザヤ書40章1-8節

 

 私たちの歩む生涯においては、嬉しいことと共に悲しいことも時に起きます。先が見えず、不安になることもあります。

 

「慰めよ、わたしの民を慰めよとあなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と。」(1-2節)。預言者イザヤは、暗いトンネルを出るとき、回復と希望の時が来るという預言を告げました。主なる神が慰め励ましてくださるのです。

 

 「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備えわたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」(3節)。 神は、確かな道、救いの道を備えてくださいました。クリスマス、十字架、復活のできごとをなしてくださいました。

 

 「肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。」(6節)。「草は枯れ、花はしぼむがわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」(8節)。 元気な身体も年と共に弱り衰えます。人生の後半に自らの終わりを思いめぐらします。

 

 あなたを造り見守ってくださるお方がおられます。その方は永遠なるお方、力あるお方、祝福してくださるお方、あなたを生かすお方です。その方を見上げ信頼するとき、確かな歩みが与えられます。          

                          (久多良木和夫) 

 

 

  10月16日() 秋の特別歓迎礼拝

      「がんばらないで」      イザヤ書60章1-2節

 

  私は、神学校を卒業し牧師となり、アメリカのある一つの教会において、担任教師となり自分の力を存分に出し尽くしました。あまりに頑張りすぎ、また大変なこともあり、燃え尽き症候群になってしまい、働きを退き、引っ越しをし、2年間家に閉じこもっていました。

  

 ある日、ハイウエイを運転していた時、自分が運転していた車の2.5倍ほど大きい自殺志願者の車が猛スピードでぶっつかって来て、瀕死の重傷を負いました。その大怪我のため11回の手術を受けました。そのことがあり、さらに5年間、家の中に引きこもっていました。

  

 しかし、私の甥は、もっと大変な出来事を経験し、大きな夢が一瞬で崩れ去った時、30分ほど号泣した後、天の神さまを見上げ、こう叫びました。「神さま感謝します。僕を今日まで守ってくださり感謝します。ドリームアゲイン、神さまは必ず新しい夢を見させてくださいます。」と。私は、その彼の姿を見て、再び天の神さまを見上げました。そして、立ち上がり、引きこもりから抜け出すことができました。

  

 「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。」(1節)。 自分で頑張って光を放とうとしてもそれは限界があります。神さまの大きな愛と恵みのご支配をいただいて歩むとき、本当に光を放つことができるのです。            

                        (クスマン・典子師) 

 

 

     10月9日() 聖日礼拝

          「イザヤの召命」       イザヤ書6113

 

 イザヤは、ウジヤ王が死んだ年の紀元前742年に高く天にある御座に主が座しておられるのを見ました。そして主の臨在に触れました。真に頼るべき方は王様ではなく主なる神であることを知らされました。

 

そして天の使いであるセラフィムが「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」と言う声を聞きました(1-3節)。イザヤは、圧倒的に聖い神を教えられ、自分自身の罪を示されました。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」と告白しました(5節)

  

セラフィムのひとりが、イザヤのところに飛んで来て口に炭火を触れさせて、「見よ、これがあなたの唇に触れたのであなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」と告げました(6-7節)。

 

 咎を取り去っていただき、罪を赦していただいたイザヤは、真の献身へと導かれました。主よりの「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」との問いにイザヤは、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」と答えました(8節)。 イザヤの預言者としての生涯には様々な困難がありました。しかし、イザヤは、その働きを主に導かれて全うしました。                                             

                          (久多良木和夫)

 

 

  10月2日() 聖日礼拝

       「剣を鋤に、槍を鎌に」      イザヤ書2章1-5節

  

「彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」(4節)。これは今からおよそ2700年前に、預言者イザヤを通して語られた預言です。

この時、北イスラエルは大国アッシリアに滅ぼされ、南ユダも滅ぼされるかもしれない状況でした。その後、南ユダは大国バビロニアに滅ぼされました。

 

この御言葉は、ニューヨーク市の国連本部のラルフ・バンチ公園のイザヤの壁に刻まれているそうです。

 

 剣や槍、それは戦いの武器です。現代で言えば、機関銃、ロケット弾、ミサイル、戦闘機、戦艦等を意味します。鋤や鎌は農業の道具です。作物を育てる道具です。

 

主イエスは、ゲッセマネの園での祈りの後、捕らえに来た者たちの一人の耳を剣で切り落とした弟子を叱責され、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と語られました(マタイ26章52節)

 

 イザヤ書の2章4節は理想の内容とも思えます。しかし主は、そのような世界を起こすことを約束しておられます。また、主への全き信頼がなければ、剣や槍を捨て去ることはできません。主のご支配と助けをいただき、主の御心に従っていきましょう。            

                           (久多良木和夫)