2016年 8月

     8月28日() 敬老祝福礼拝

         「定められた時」        コヘレト3章1-8節

 

 「コヘレトは言う。なんという空しさなんという空しさ、すべては空しい。」(1:2)。コヘレトは、知恵、快楽、金銀のすべてのすべてを手に入れた後に、深いむなしさを感じ、そう語っています。その理由の最大のことは、死をもって人生の終わりが来ることだからです。死んでしまえばすべてが消えてしまうからです。「賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。」(2:16)。

 

  「何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時。」生まれる時と死ぬ時は決めることができません。自然の時の流れは、ギリシャ語では「クロヌス」であり、神によって供えられた特別の時は「カイロス」です。

 

  自分で決断して選ぶ時もありますが自分では選べない時もあります。大きな自然災害や事故等の思ってもみないことが起きることもあります。また、悪しき国家や悪しきグループが暗躍している現実に歯がゆい思いがします。良き時が来ることを忍耐して祈り待つ必要があります。

  

 「裂く時、縫う時、黙する時、語る時 愛する時、憎む時、戦いの時、平和の時。」(7.8節)。  

                          (久多良木和夫)

 

 

    8月21日() 聖日礼拝

         「主を畏れ、悪を避けよ」    箴言3章1-12節

 

 箴言の箴は鍼灸の鍼(はり)の意味です。知恵の言葉で人生のツボをつくという意味です。箴言のキーワードは、「主を畏れる」ということです。17節、910節に記されています。

 

 諭しは尊いものです。ただし、その諭しが相手の心に届くのは、その相手が心を開いた時だけです。心が開かれた時初めて相手の心には届きます。

 

 「慈しみとまことがあなたを離れないようにせよ。それらを首に結び心の中の板に書き記すがよい。そうすれば、神と人の目に好意を得、成功するであろう。」(3-4節)。 慈しみは、原語ではヘセドというへブル語であり、神が私たちを救うと約束された神の契約の愛であり、決して変わることがありません。まこととは、原語ではエメトというへブル語であり、真理、真実、信頼、安定という意味です。神の確かな愛の内に留まって歩みなさいと語られています。

 

 「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(56)。 自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。」(7)。真の生ける聖なる神の御愛を深く知り、その方の御心を受け止め、その方を心から敬い、畏れ、従う歩みの中にまことの幸いがあることを教えています。                                       

                           (久多良木和夫)

 

 

     8月14日() 召天者合同記念礼拝

        「天の父なる神の家」    ヨハネ福音書14章17節     

 

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」(1節)。 特別に難しい問題や課題を抱えるとき、不安、恐れに包まれます。主は、「心を騒がせるな」と語りかけてくださっています。大丈夫だ、共にいて助け、支えると約束してくださっています。不安、恐れの時、主なる神に呼び求めましょう。

  

 この地上で住まいを確保することは大変なことです。全財産をつぎ込まねばならないこともあります。地上の生涯を終えた後に、天の御国に移されます。天の御国における住まいはどう確保できるでしょうか。

 

  「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(2-3節)

  

 天の神様は、主イエス・キリストのゆえに、イエス・キリストの命と引き換えに、天の御国における住まいを用意してくださいました。なんという大きな感謝でしょう。主イエスを信じる者への特別な恵みです。                                        

                            (久多良木和夫)

 

    8月7日() 召天者合同記念礼拝

         「賛美の歌を歌え」       詩編14919

  

 詩編の最後の5編は「ハレルヤ詩編」と呼ばれます。その中の4番目が詩編

 149編です。

 

 口の働きは、食べ物を食べたりや飲み物を飲むこと、話すこと、そして歌うことです。その歌の中で、神に感謝し、神をほめたたえる歌が賛美です。

  

 「ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。」(1節)。 なぜ賛美の歌を歌うことができるのか、その理由は、神が私たちを救うと約束され、決してその約束を変えられることなく、救い主をお送りくださり、救いの御業を完成してくださったからであり、今も変わることのない愛を注ぎ続けてくださっているからです。

  

 「主は御自分の民を喜び 貧しい人を救いの輝きで装われる。主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み 伏していても喜びの声をあげる。」(4-5節)。 どのような時も、自分の乏しさを認め、主に信頼する者に対して、主なる神は救いの輝きを豊かに与えてくださいます。主の変わることのない愛とご支配に信頼して歩むものを栄光に輝かしてくださいます。   

                          (久多良木和夫)