2016年 9月

   9月25日() 聖日礼拝

       「だから、こう祈りなさい」   マタイ福音書659

  

「主の祈り」は、祈ることを知らなかった弟子たちが、「主よ、わたしたちにも祈りを教えてください」と、主イエスに願ったことに応えて、「こう祈りなさい」と教えてくださった祈りですが、主イエスはその前に、祈る時の心構えについて次の三つのことを言われました。

 

①「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない」(5)。心を神に向けて祈っている様な振りをしながら、つまり、ポーズを取って、その実は、自分の祈りが周囲の人たちに、どう聞かれているか、他人の評価を気にしながら祈っている。彼らはすでに人からの賞賛を得ており、神からの報いはない。

 

②「あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」(6)。いっさいのものの目から覆い隠されたところで、神はわたしたち一人一人と会って下さるからです。

 

③「あなたがたが祈るときは、異邦人のように、くどくどと述べてはならない」(7)。同じ言葉を無意味に繰り返して祈る異邦人の祈りに対して、主イエスは、「彼らのまねをしてはならない」と言われました。神は、私たちが祈ると祈らざるとにかかわらず、私たちに何が必要であるかをすべてご存じであるからです。

 

「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ』」。このお方に呼びかけ、訴え、問いかける、それが祈りであります。 

                           (井上博子)

 

 

      9月18日() 敬老祝福礼拝

        「神の輝きを見る」       イザヤ書35章1ー4節

 

「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ 砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ 大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ カルメルとシャロンの輝きに飾られる。」(1-2節)

 

雨がずっと降らない日が続くと、草木は元気を失い、ついには枯れてしまします。しかし、ひとたび雨が降ると草木はまた元気になります。自然界と同じく、私たちの心、魂がカラカラになり枯れ果ててしまうことがあります。必要なものは慰めと支え、励まし、休息、新たな希望です。それはどこから来るでしょうか。お金、趣味、楽しみ、世の中からでしょうか。それは家族、伴侶、親友からでしょうか。本当に変わらない天の神さまから、そして真の友であるイエス様からこそ与えられるのです。

 

旧約の時代に、希望を全く失う事態の中に置かれたイスラエルの民に対して、希望と回復の出来事が起きました。そのことを教える預言がこの箇所です。

 

天の神さまは、救い主イエス様をお遣わしくださり、罪の赦しと神とつながる道、天の御国を備えてくださいました。

 

 「人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。」(2節)。 主イエスを信じ従う者に恵み、喜び、感謝、希望が与えられます。神の輝きを受け、それを映し出す者とさせていただきましょう。     

                         (久多良木和夫)

 

 

    9月11日() 敬老祝福礼拝

        「恋人よ、美しい人よ」       雅歌2章717節               

 

雅歌は、聖書66巻の中で、最も特異な書と言えるでしょう。そこには愛し合う一人の若者と一人のおとめの恋の歌が記されています。素晴らしい愛の讃歌がそこにあります。この恋の歌は、キリストと教会の間の関係、神とクリスチャンとの関係を歌っています。

 

 若者は語ります。「恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のよう。」(1:15)。「恋人よ、あなたはなにもかも美しく傷はひとつもない。」(4:7)。おとめは歌います。「恋しいあの人はわたしのもの わたしは恋しいあの人のもの ゆりの中で群れを飼っているあの人のもの。」(6:3)。

 

若者はかもしか、若い雄鹿にたとえられています。(9節)。おとめに対して呼びかけています。「恋人よ、美しいひとよ さあ、立って出ておいで。」(13節)。「岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ 姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」(14節)。

 

これはキリストからの私たちへの呼びかけです。「あなたは価値ある人、大事な人、私の愛のふところに飛び込んでおいで」と。キリストの愛に応答して進む私たちでありたいものです。

                          (久多良木和夫)

 

 

  9月4日() 敬老祝福礼拝

     「創造主を心に留めよ」     コヘレト12章1-14節               

 

コヘレトとは、伝道者、集会の招集者、説教者のことです。口語訳では伝道の書と言っていましたが、新共同訳では言語の発音のまま、コヘレトの言葉を言っています。 

 

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」言う年齢にならないうちに。(1節)

 

青春の日々とは、決して10代、20代だけを指しているのではありません。30代、40代、いや70代、80代になっても、神の呼びかけに応答する心を持っているならば、すべてその時が青春の日々です。 

 

3節から7節にかけての描写は、町に住む人たちが年を取り、仕事もできなくなり町が廃れていく様をうたっています。それと同時に、人の身体が年を取って衰えていく様をうたっています。歯が抜け、目がかすみ、耳が遠くなり。声が出なくなり、身体がだんだん曲がり弱くなる様子を伝えています。

 

すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。(13節)。 

 

私たち人間は、神のかたちに似せて造られました。神と交わり、神を礼拝するものとして造られました。その神に立ち返って、神の語りかけを聞きつつ歩む者となることこそ、幸いです。   

                         (久多良木和夫)