2017年11月

 

 11月26日()  聖日礼拝

 

          「ヨナの祈り」            ヨナ書2:1-11

 

 

 

教会学校の子どもたちの中で、最もなじみ深い聖書の中の人物の一人がヨナです。彼は預言者ですが、神さまの命令に背いて逃げ出しました。ニネベではなくタルシシュに向かいました。途中大嵐になり乗っていた船が沈みそうになりました。ヨナはその原因は自分にあることを知っていました。

 

 

 彼は海の中に投げ込まれました。そのまま溺れ死ぬかと思ったら、大きな魚にのみ込まれました。しかも死なずに生きていました。その魚は神が用意されたものでした。ヨナはこれで自分の人生はついに終わると思いました。でもそうではありませんでした。神がヨナの命を生かし続けられたのです。

 

 

 

 ヨナ書は、旧約聖書の中では、神の愛は、イスラエルの民だけでなく、全世界の民に向けられていることを告げるユニークな書です。(4章11節)

 

 

 

 「苦難の中で、わたしが叫ぶと主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めるとわたしの声を聞いてくださった。」(3節)。「しかし、わが神、主よあなたは命を滅びの穴から引き上げてくださった。」(7節)。神はヨナを憐れんでくださいました。神の大きな憐れみがヨナにかけられました。ヨナは神の愛に感謝し、「救いは、主にこそある」(10節)と告白しています。                                                                                           (久多良木和夫)

 

 11月19日()  聖日礼拝

    「神はできる‐ラクダを針の穴を通す方法」   マルコ10:1731

 

 沢山の財産を持つ青年が主イエスのもとを訪ねてきた。彼は、当時のユダヤ人が「永遠の命」と呼ぶ、自分の死を超えても残る確かなものを探していたからだ。

 

 しかし、その青年に対して主は「財産を貧しい人に施しなさい」と言われた。その言葉に青年は悲しみながら去る。財産が彼のアイデンティティだったのだ。

 

 そして主は「財産のある者が神の国に入ることは難しい」と言われた。その言葉に弟子たちは驚いた。なぜなら、当時の価値観では財産は神の祝福と考えられていたからだ。つまり、財産が沢山ある人は神に祝福されていると思われていたのだ。しかし、主は「そもそも人が神と共に生きることは難しい」と言われるのだ。 

 

 私達はどんなに素晴らしい持ち物や才能、魅力があっても、それで神に救われるということは無い。そもそも私達人間は誰一人として、神に相応しい存在ではないのだ。  

 

 しかし、そのような私達のことを神は見捨てずに、神と共に生きることができるなら、主イエスを十字架にかけることも厭わない神なのだ。なぜなら、神と共に生きることにこそ、私達の生きる勇気も力もあるからだ。そして、どのような現実を引き受けながらも、それでも前に進むための力もあるからだ。 

                     (福岡渡辺通教会 馬場勇樹師)

 

 

  11月12日()  聖日礼拝

           「光の子として歩みなさい」     エフェソ5:6-20

 

 パウロは、「光の子として歩みなさい」(8節)と述べる前に、「あなたがたは以前には暗闇でした」(同)と、暗闇の中にいたのではなく、私たち自身が暗闇と言っている。それが「今は主に結ばれて、光となっています。」(同)と語る。

 

 主イエスが、光として暗闇である私たちの心に光を差し込んでくださった。私たちは、光の子として歩むためにすることは「何が主に喜ばれるかを吟味」すること(10節)。暗闇の時は、見ている先は真っ暗で何も見えなかった。要するに、そこが暗闇であるかもわからなかった。しかし、主からの光が照らされることで光と闇の部分が分かるようになった。「すべてのものは光にさらされて、明らかにされます」とある(13節)。

 

 光の子らしく何が光で何が闇であるかを考えつつ歩んで参りましょう。また、パウロは「愚かな者としてではなく、賢い者として細かく気を配って歩みなさい。」(15節)と語る。光を知ることは、何がよい事で悪い事かの知識を得たことになる。そこで光の子らしく、「時を良く用い」(16節)、「主の御心が何であるかを悟り」(17節)「酒に酔いしれず・・・むしろ霊に満たされ」(18節)歩みましょう。 

                          (後藤真英) 

 

 

   11月5日()  聖日礼拝

           「主を求め、生きよ」        アモス書5:4-6 

 

 アモスという預言者は、南ユダのテコア出身で、家畜を飼い、いちじく桑を栽培していた人です。紀元前8世紀前半から半ばに、北イスラエル王国で預言者としての働きをなしました。ヤロブアム2世の時代で、国は非常に栄えていました。しかし、貧富の差があり、不正、宗教の堕落が横行していました(2:6-8、3:11、5:11)。

 

人々は、神の呼びかけに応じようとしませんでした。「お前たちはわたしに帰らなかった」(4:6、8、9、11)。

 

 「ベテルに助けを求めるな ギルガルに行くな ベエル・シェバに赴くな。ギルガルは必ず捕らえ移され ベテルは無に帰するから。」(5節)。べテル、ベエル・シェバ、ギルガルは、神への礼拝のための祭壇が築かれたところです。そこでの礼拝は形式的なものとなっていました。500年前に、ドイツで当時のカトリック教会が贖宥状(免罪符)を買うことで罪の償いができる、罪は赦されると呼びかけていたのと似ています。

 

 「まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。」(4節)。「主を求めよ、そして生きよ。」(6節)。神は救いの道を備えてくださいました。それは人の善行によってではありません。ただ、神の慈しみと憐れみによってです。神は、イエス・キリストをお遣わしくださいました。

   (久多良木和夫)