2017年12月

   12月31日()  年末感謝礼拝

 

     「御言葉に聞き従う」       ヨハネ福音書21114 

 2017年を振り返ると、様々のことがありました。4月に後藤真英教師の着任、7月に第41回西南夏期聖会、10月に秋の特別歓迎礼拝、歓迎集会、その他とありました。3名の方が受洗、3名の方が転入会、3名の方が召天されました。

  

「舟の右側に網を打ちなさい」と復活の主はペトロたちに語りかけました。聞き従ったペトロたちは多くの魚を捕ることができました。標語「主の御言葉に聞き従う」に対して、皆さんはどうだったでしょうか。

 

 主イエスは、種をまく人のたとえで、実を結ばない人と実を結ぶ人の違いを語られました。御言葉を聞いても聞き流し、主に寄り頼むことをせずに歩む者は実を結ぶことができないと主は語られました。実を結ばない自分であるならそのことを認めて、再び主を見上げ寄り頼みましょう。御言葉を聞いて悟る者は実を結ぶと約束しています。聖書の御言葉を心に刻み、主に信頼して歩んでいきましょう。

 

 「草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」(イザヤ書40:8)変わらない確かな主の御言葉を与えてくださるところの永遠に生きて働いてくださる主に感謝して従っていきましょう。   

                         (久多良木和夫)

 

   12月24日()  アドベント第4主日礼拝

      「インマヌエルの主」        マタイ福音書1:1825 

 

 クリスマスの主は、私たち一人一人の人生の歩みを覚えてくださっています。そして、どんなときにも共にいて、歩みを助け導いてくださいます。

 

ヨセフは苦悩しました。私たちそれぞれも人生の歩みにおいて悩む時があります。ヨセフは、身重のマリアとの結婚の約束を解消し、秘かに縁を切ろうと考えました。マリアの胎内の命はどこから来たのか、マリアの言うことはとても信じがたいことでした。

 

 主の天使が夢の中でヨセフに、マリアの胎の子は聖霊によって宿ったと告げました。ヨセフはマリアを受け入れる決断をしました。イサクの子ヤコブは、どん底の危機の時、神が語りかけられ大いなる約束をいただきました。(創世記28:15)

 

 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(23節)神が共にいてくださる、なんと幸いなことでしょう。そしてその幸いな約束は神との関係の回復を抜きには考えられません。

 

  「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(21節)それは罪からの救いです。罪とは真の神との断絶のことです。その断絶からの回復を主イエスは成し遂げてくださいました。イエス・キリストは、クリスマスの主であり、十字架の主であり、復活の主です。  

                            (久多良木和夫) 

 

 12月17日()  アドベント第3主日礼拝

   「飼い葉桶の中の救い主」       ルカ福音書2章1-7節

 

 救い主イエス様は、家畜小屋でお生まれになり、飼い葉桶の中に寝かされました。聖書はそのことを伝えています。

 

 ローマ皇帝の命令によって、ユダヤの人たちは生まれ故郷の町で住民登録をしなければなりませんでした。マリアとヨセフはベツレヘムに行きました。宿屋はどこもいっぱいで、泊まる場所は家畜小屋しかありませんでした。マリアはそこで救い主イエス様を産みました。「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」(6,7節)。

 

 飼い葉桶は、牛やロバ等の家畜のえさ箱です。食べかすやよだれが付いていたかもしれません。決してきれいではありません。そのような場所に救い主は寝かされたのです。その飼い葉桶には深い意味がありました。

 

 その夜ベツレヘムの野で羊を飼う羊飼いたちは、救い主の誕生を知らされました。家畜小屋の中の飼い葉桶の中で寝ていることを告げられ、出かけて行きました。立派な宮殿の立派な揺りかごの中の中に寝ていると言われたら自分たちは行けないと思ったかもしれません。でも、家畜小屋の飼い葉桶ということで親しみをもって行くことができました。

 

 神は一番低いところにお下りくださり、わたしのもとに来なさいとあなたを招いてくださっています。       

                         (久多良木和夫)

 

 

  12月10日()  アドベント第2主日礼拝

     「光の道、平和の道」         ルカ福音書1章5779節 

 

 私たちは聖書を読むとき、自分自身を聖句に重ね合わせて読みます。「時が来れば実現するわたし()の言葉を信じなかった」のは、ザカリアでしたが、私たちも同様です。初めはまだであっても、その時になったら必ず神の言葉の如くなることを彼は信じることができませんでした。50年もの長い間、心の奥にあった願いを神は聞き入れてくださらない、という不信と怒りのようなものがあり、彼はそこに覆いをかぶせていたのではないでしょうか。

 

 言葉を話すことができない期間を過ごしたのち、妻エリサベトが男の子を産み、その子の名前を天使が告げた通り「ヨハネ」と書いたとき、口がほどけました。彼の不信仰は信仰へ変わり、神への賛美が湧き出て来ました。罪の赦しによる救いを与えてくださる神の憐れみの心、光の道、平和の道があることを語りました。「主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」(77-79節)。

 

 自分の不信仰を知らされた後、信仰の行いへとすすんだザカリアはまず主なる神をほめたたえました。天使に告げられた通り息子ヨハネは、救い主イエスのために道を整える働きをしました。       

                        (久多良木志津子)

 

 

  12月3日()  アドベント第1主日礼拝

       「救い主誕生の預言」           ミカ書5章1-5節

 

  預言者ミカは、紀元前8世紀に活躍した預言者です。時代は、北イスラエルが大国アッスリアに苦しめら呑み込まれようとしていた時です。

 

 ミカ書5章のこの箇所は、救い主のイエス様がお生まれになる町を預言した有名な箇所です。「エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」(1節)その町の名はパンの家という意味のベツレヘムです。エルサレムよりおよそ10キロ南の町です。救い主は、その預言の通りベツレヘムでお生まれになりました(マタイ2:9-11)

 

  「彼こそ、まさしく平和である。」(4節)。この世においては、力ある者、経済力、軍事力の大きい国が、他者をそして他の国を凌駕し支配しようとします。そのような人間の力による支配は限界があり、いつか破綻します。真の平和の君として主は来られ、民を助けてくださいます。

 

 「主は多くの民の争いを裁き はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」(4章3節)

 

  真の平和は、神との平和という土台があって与えられるものです。神との平和は、主イエスによる贖いを通して備えられました。

                          (久多良木和夫)