2017年 2月

    2月26日() 聖日礼拝

       「とこしえの愛をもって」      エレミヤ3116

 

日常生活の中で、人生の中においては、楽しいこと、嬉しいことと共に、急なこと、思わない出来事が起き、心が慌てることがあります。一人で乗り越えようとする人もいれば、誰かに支えてもらおうとする人もいます。天の神さまはそのような私たちに対して愛を注ぎ目を注いでくださっています。

 

 「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(29章11節)。

 

愛にはいろいろなものがあります。一時的な愛、打算的な愛、自己中心の愛もあります。一方、真実な愛、変わらない確かな愛もあります。ただし人は変わっていきます。天の神様の愛は真実であり、変わりません。

 

「遠くから、主はわたしに現れた。わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し変わることなく慈しみを注ぐ。」(31章3節)。この愛は選びの愛であり、無条件の愛です。慈しみとは契約に基づく愛です。変わらない愛です。

 

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ福音書3章16節)。

                        (久多良木和夫)

 

    2月19日() 聖日礼拝

       「主に信頼する者は」        エレミヤ17:5-8  

           

「主はこう言われる。呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとしその心が主を離れ去っている人は。」(5節)。頼りになるようでならないものは、人間であり、財産、お金です。それらのものに心を向けすぎて、主を忘れることは愚かなことです。  

 

「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り暑さが襲うのを見ることなくその葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく実を結ぶことをやめない。」(7.8節)。

 

主に信頼して歩む者に、主は大いなる恵みを注いでくださいます。イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ福音書6章35節)。

 

「主の教えを愛しその教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩編1編2-3節)。

 

聖書の御言葉を心の中にしっかり握り、歩んでいきましょう。この世の教え、流れを第一とせず、主の教えを第一としましょう。

   (久多良木和夫)

 

 

     2月12日() 聖日礼拝

       「行って語れ」           エレミヤ1:1-8              

 

エレミヤは、南ユダの王ヨシヤの治世13年に、預言者として召されました。彼は、南ユダが滅ぼされ、人々がバビロン捕囚となるのも見ることになりました。

 

「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた。」(5節)。彼の父は祭司でしたが、彼自身は預言者として召されました。若くとても任に堪えないと答えたエレミヤに対して、主は語られました。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」(7-8節)。

 

神から人々に告げるように与えられたメッセージとは、「背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす。」(3:22)、「わたしのもとに立ち帰れ。呪うべきものをわたしの前から捨て去れ。そうすれば、再び迷い出ることはない。」(4:1)でした。

 

人々はエレミヤを通して語られる神からのメッセージを無視しました。エルサレム入城の後、主イエスは、エルサレムの民を覚えて涙を流されました(ルカ福音書19章41節)。エレミヤは、涙の預言者と言われます。神の召しに応え、預言者として歩むものとなりました。         (久多良木和夫)

 

 

    2月5日() 聖日礼拝

        「賛美の衣、救いの衣」       イザヤ61:111 

 

「主はわたしに油を注ぎ主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み捕らわれ人には自由をつながれている人には解放を告知させるために。」(1節)

 

 打ち砕かれた心とは傷ついた心であり、弱っている心です。その心を包んでくださるのです。捕らわれ人、つながれている人とは、牢獄に入れられている人だけではなく、憎しみや怒りや劣等感等に縛られている人も指しています。そのような束縛からの解き放ち自由を与えてくださるのです。

 

 「シオンのゆえに嘆いている人々に灰に代えて冠をかぶらせ嘆きに代えて喜びの香油を暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。」(3節)。嘆き、暗い心が取り除かれ、喜びの声、賛美の歌声が与えられます。

 

 「主は救いの衣をわたしに着せ恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ花嫁のように宝石で飾ってくださる。」(10節)。この世には特別に高価な立派な衣装はあります。しかしお金をどんなにたくさん積んでも買えない衣装こそ、救いの恵みの衣です。罪の赦し、永遠の命、聖霊を内に宿す恵みです。 

 

 神からの油注ぎを受け、そのような大きな恵みを与えてくださる方こそ、主イエスです。主イエスは公生涯の初めにそのことを明らかにされましたルカ福音書4章18,21節)。                  (久多良木和夫)