2017年6月

   6月25日() 聖日礼拝

            「殉教者ステファノ」    使徒言行録75483 

  

初代教会の最初の殉教者はステファノという人です。彼は霊と知恵に満ち、信仰と聖霊に満ち、恵みと力に満ちた人でした。彼を責め立てる人たちを前にしても天使のように顔が輝いていました。

 

 彼の的をついた説教に腹を立てたユダヤ人たちは彼に襲いかかり石を投げつけ彼を殺害しました。彼は、死を覚悟しつつ「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と祈り、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と自分にひどいことをする人たちをお赦しくださいと祈りました。(59-60節)

  

 今から75年前の1942年6月、ホーリネスの教会に国家により宗教弾圧がなされました。前年の1941年に治安維持法が改正され、弾圧の準備が着々と進められていました。この宗教弾圧は治安維持法違反ということでなされました。弾圧と翌年1943年の教会解散命令の理由は3つでした。()神宮に対する不敬、()天皇に対する不敬、()国体変革を企図した罪でした。

  

 現在の日本には、政府が思いのままに国民を支配しようとする動きがあります。かつてのようなことが起きないように祈りましょう。唯一のまことの神を信じる信仰を貫いて行きましょう。   

                           (久多良木和夫)

 

   6月18日(日) 聖日礼拝

            「大胆に神の言葉を」   ルカ福音書7:11-17 

  

 聖霊降臨の恵みを受け、主イエスの弟子たちは主を力強く証ししました。エレサレム神殿の美しい門において、生まれつき足が不自由だった男の人が主イエスの名によって癒され、そのことを通して多くの人が主イエスを救い主と信じ受け入れました。危機感を抱いたユダヤ教指導者たちは、ペトロとヨハネを牢に入れ、主イエスの名を用いないように脅し釈放しました。

  

 二人は、仲間たちのもとに戻り、あったことを報告しました。一時的に人間の力や権力や脅しが勝利したように見えてもそれは一時的なことで終わります。

 

弟子たちは、主に向かって祈りました。「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」(29-30節)。祈りが終わると弟子たちに再び聖霊が降り、聖霊に満たされ、神の言葉を大胆に語り出しました。

  

「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」(詩編50:15、口語訳)。困難な時、悩みの時、主に祈り寄り頼み進んで行きましょう。          

                          (久多良木和夫)

 

 

   6月11日() 聖日礼拝

            「恐れは信仰に」     ルカ福音書7:11-17 

  

 「主」(13節)とは、イエスキリストのことを指している。十字架からの甦りの後、昇天され、神の右の座に着き、今も世界を支配されていることを表わしている。イエスキリストは、この地上で驚くべき主の御業を多くなされている。

  

 はじめに、唯一の家族であった息子を亡くした母親に対して「もう泣かなくてよい」と語る。(13節)これは、神の臨在をこの母親が感じるための先行的恩寵として語られた慰めの言葉である。次に主は、「棺に手を触れられた」これは律法で禁じられている行為であったが、主はこのような些細なことには拘らず、この時必要な事をなされた。最後に、死んでいる息子に対し「起きなさい。」と一言命令された。この一言で、生き返っただけでなく、この人は「何かを言い始めた」(15節)のである。ここでの主の御業には、神の臨在を示し、律法よりもまさるもので、死にも打ち勝つものであった。

  

 この主の御業を見ていた人は「皆恐れを抱き」ました(16節)。しかし、これは恐怖ではなく、起こっていることにパニックを起こしたような形での恐れである。その恐れが、主を称える賛美へ、そしてこの出来事を多くの人を宣べ伝える伝道へと移り変わった。「イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。」(17節)は、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリア全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)を連想させる。                         (後藤真英師)

 

 

 6月4日() ペンテコステ礼拝

           「注がれた神の霊」      使徒言行2章14-21節 

  

復活の主イエスの弟子たちへの命令は約束のものを待ちなさいということでした。「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカ福音書24:49)。

  

私たちは力に憧れます。神以外からの力は人を傷つけ苦しめます。「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」(テモテ二1:7)。神は力と愛と思慮分別の霊である聖霊を与えてくださいます。

  

 旧約聖書の時代には、モーセ、ヨシュアといった特別の人だけが神の語り掛けを聞き励まされました。またギデオンといった特別な人だけが神の霊によって強めていただきました。

  

新約聖書の時代になり、ペンテコステ(聖霊降臨)の出来事を通して、主イエスを信じる者すべてが聖霊を受けることができるようになりました。「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。」(17節)。

 

 「主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。」(20-21節)。聖霊によって支えられ強められるのみならず、どのようなことが起きても、天の御国を受け継ぐことができます。なんと感謝なことでしょう。 

                          (久多良木和夫)