2018年 1月

  1月28日()  聖日礼拝

     「味わい 見よ 主の恵み」         編34123節 

 

 賛美とは、褒め称えである。主への感謝と歌詞を通して、主を証していくので「主に賛美する」ではなく「主を賛美する」が本来であろう。

 

 詩編34編は、賛美することの意味が描かれている。「どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。」(2節)とあるように、賛美は心が晴れやかな時だけではなく、辛い時などもする。ダビデ自身がこの詩を書いた時、サウル王に敵意を持たれ襲われているため、逃げている中書かれたものである。その中でも、ダビデが賛美することが出来たのは「苦難から常に救ってくださった。」お方が主であることを確信していたからである(718節等)。

 

 苦難とは、罪のこともあらわす。神様は、救いの神であり、贖いの神でもある(23節)。主を信じる者として、通るべきものは自分の持っている負、醜いもの罪を悔い改めることが必要である。その先に喜びがある(19節参照)。

 

 喜びをもって生き長生きする秘訣は、「主を畏れること」にある(1213節)。「主は何も欠けることがないお方」(詩編23:1)であるので、主に従うものは何も欠けることがない。

 

 主に従う者として生き続けることは、御言葉によって生かされること。御言葉を味わって、神様を見ていくことで神様からの恵みに気づかされる。

                            (後藤真英) 

 

 

   1月21日()  新年聖会礼拝

     「その偉大な力によって」       エフェソ61018 

 

 人生は旅であると同時に戦いでもあります。悪魔は、神から引き離すべく立ち向かってきます。その戦いに勝利するために、神の武具を身につけなさいと命じられています。「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。」(11節)

 

 第1は、真理の帯です(14節)。真理とは主イエスを指しています。

 

 第2は、正義の胸当てです(14節)。天の神さまは、すべてを公平に裁かれます。ひどいことを言ったり、ひどいことを言う敵に自ら復讐しようとせず、神に任せなさいと告げられています(ローマ12:19)

 

 第3は、平和の福音を告げる準備の履物です(15節)。どんなときにも主の救いの恵みを証し伝えることが大事です。

 

 第4は信仰の盾です(16節)。神を信じ、神にすべてをゆだねる信仰こそ大事です(ヘブライ11:6)

 

 第5は、救いの兜です(17節)。主イエスによって与えられた永遠の命を何よりも大事なものとして歩みましょう。

 

 第6は、神の言葉の剣です(17節)。真理からそらそうとする多くの声に惑わされず、聖書の御言葉に聞き従って行きましょう。

 

 第7は、祈りです(18節)。たゆまず祈りましょう(ローマ12:12)

 

 「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」(1節)神の偉大な力を受けつつ、歩み行きましょう。 

                          (久多良木和夫)

 

    1月14日()  聖日礼拝

     「ただ中におられる主」     ゼファニヤ書3:14-20 

 

 ゼファニヤは預言者ハバククよりも少し前に働きをなした預言者です。ハバククは南ユダの国がエジプト、バビロニアという大国に支配されていた時に、「神に従う人は信仰によって生きる」と語り、信仰の目を主に向けて歩むことの大切さを告げました。 

 

 ゼファニヤは、南ユダの国がアッスリアという大国に支配されていた時に、真の神以外のものに心を向け歩んでいた南ユダの人々に、そして真の神以外の神々に心を向けて歩んでいた南ユダの国以外の諸国の人々に、主の日の審きを告げました。

 

 それと同時に、ゼファニヤは、 「お前の主なる神はお前のただ中におられ 勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ 愛によってお前を新たにし お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」(17節)と告げました。

 

 主なる神がただ中にいてくださり、勝利を与えてくださるというのです。実際の歴史を見ると、南ユダの国は、その後、バビロニアに滅ぼされていまい、多くの者はバビロン捕囚となります。しかしその期間が終わってもう一度南ユダの国は再興されます。神殿中心の信仰から、律法中心の信仰へと変わっていきます。その後、主を見失いますが、天の父なる神は、独り子イエスを救い主として遣わしてくださいました。

 

 主は、私たちそれぞれが抱えている事柄をご存じで、助けを与え、希望を与え、勝利を与えてくださるお方です。 

                         (久多良木和夫)

 

   1月7日()  新年礼拝

     「信仰によって生きる」        ハバクク書2:14 

 

 預言者ハバククが活躍したのは、紀元前7世紀からの後半です。南ユダ王国を支配しようと迫っていたアッスリアの国が滅び、第16代目のヨシヤ王が宗教改革を行いました。しかし、彼はエジプトの国との戦いで戦死してしまい、南ユダの国はエジプトの支配下に置かれました。次にはバビロニアに支配されていった大変な時代でした。ハバククはその苦しみを神に訴え抗議しました。「それなのになぜ、欺く者に目を留めながら黙っておられるのですか 神に逆らう者が、自分より正しい者を呑み込んでいるのに。」(1:13)。

 

主なる神は、彼に語りかけられました。「見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」(4節)。この御言葉は、ローマの信徒への手紙1章17節で、使徒パウロによって引用されています。ガラテヤの信徒への手紙3章11節においても語られています。

 

 どのような時にも、主を仰ぎ、主に祈り、主に信頼して主の助けと導きをいただいて歩んでいきましょう。目の前の困難、行き詰まりに打ち沈む時があります。その時に主を見上げる者であらせていただきましょう。「わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。」(詩編62:6)。主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。(哀歌3:22)

                         (久多良木和夫)