2018年 3月

 

3月25日()  聖日礼拝

 

       「ゲッセマネでの祈り」      マタイ26:3646 

                 

 

主イエスが十字架を前にして、最後の最後になしてくださったこと、それはゲッセマネの園での祈りでした。この祈りがなければ、主イエスの十字架刑もなかったでしょうし、救いの業も全うされなかったことでしょう。

 

 

主イエスは、最後の週の日曜日にはろばに乗ってエルサレムに入城し、木曜日には、弟子たちの足を洗い、最後の晩餐がなされました。 

 

最後の晩餐の後、主イエスは3人の弟子を連れて、ゲッセマネの園に行き、祈られました。共に心を合わせて祈ることを要請された弟子たちでしたが、眠っていました。その弟子たちに、主は、「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」と語られました(41節)。

 

 

主イエスは、十字架刑がどれほどつらく苦しいことかをよく知っておられました。主の最初の祈りは、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」というものでした(39節)。しかし、主が行きついた祈りは、「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」というものでした(42節)。私たちの救いのために、主は十字架の道を選び取ってくださいました。

 

                        (久多良木和夫師)

 

 

 

3月18日()  聖日礼拝

 

       「真っ白に輝くイエス」      ルカ9:28-36

 

 

 

イエス様は、祈るために山に登られました。祈っている時「イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。」(29節)。主の栄光に包まれた状態となったのです。そして、イエス様が栄光に包まれた中に律法授与者であるモーセと預言者の代表としてエリヤが現われました。彼ら3人は「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。」(31節)この「最期」とは、受難と十字架と復活の事です。そして、「これはわたしの子、選ばれた者、これに聞け」(34節)と神の御声からイエス様は、神の子であり、メシアであることが神から語られました。そして,そこにいたのはイエス様のみでした。

 

 

 

一方、弟子たちは、栄光に包まれている真っ白に輝いている3人であることは分かったが、話している内容までは理解できていませんでした。そこがモーセと弟子たちの違いです。しかし、弟子たちは、分からないながら、眠気の中でも、見落としまいと「じっとこらえながら」その栄光を見続けていた。

 

わたしたちも、霊的な事は素晴らしさは分かっても難しいことが多いです。その時でも、弟子たちのように見落としまいと主の栄光を見続けていくことに意味があります。そして、またモーセやエリヤのようにわたしたちが主の栄光に包まれて主を証していきましょう。

 

                          (後藤真英)

 

 

 

 3月11日()  聖日礼拝

 

       「最後まで耐え忍ぶ者」       マタイ24:1-14

 

 

主イエスは、エルサレム神殿の崩壊と終末のしるしの予告をされました。 

 

どんなに立派なものもいつか崩壊します。私たちは、見えるものに寄り頼みやすいすが、変わることのない主に寄り頼む者でありたいと思います。

 

 

エルサレム神殿は、紀元70年にローマ軍によって、徹底的に破壊されました。福島第一原発事故は、人の英知ではなく、主の御前にへりくだることの大切さを示しています。

 

 

主イエスは、この世界の終末のしるしを教えてくださいました。終末とは、人間が何でもできる、何をしてもかまわないというそのような事柄が終わり、神の完全な支配の前に、すべての者が神を仰ぎ、助けと憐れみを求める時です。

 

 

終末のしるしは、6つあります。

第1は、偽のメシア、預言者の出現です。ものみの塔、モルモン教、統一教会(世界平和統一家庭連合)、オーム真理教、幸福の科学等々です。

第2は戦争と戦争の噂です。アメリカ、ロシア、中国の三強の牽制し合い、北朝鮮問題等です。

第3は飢餓と地震です。世界で現在9億人の人たちが飢えで苦しんでいます。世界各地で起きている大地震等です。

第4は迫害です。パキスタン、インド、中国、中東の国々、アフリカの国々でクリスチャンに対する迫害が起きています。

第5は不法と愛が冷えることです。現代社会において、互いに無関心になり、助け合うことをしなくなっています。

第6は世界宣教です。現在、キリストにある救いの福音が全世界に宣べ伝えられています。

 

 

「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(24節)。主のご支配、助けをいただきつつ、最後まで信仰の歩みを進んで行きましょう

 

                          (久多良木和夫)

 

 

 

  3月4日()  聖日礼拝

 

       「ロバに乗った王」         マタイ21:Ⅰ-11

 

 

真の救い主であり、真の王としてこの世においでくださった主イエスは、最後、ロバに乗ってエルサレムの町に入って来られました。ご自身が神から遣わされた救い主であることを明らかにするためでした。

 

 

 

主イエスは、ロバに乗ってエルサレムの町に入城されました。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。」(ゼカリヤ書9章9節)の預言の通りでした。

 

 

 

主イエスは、馬ではなくロバに乗られました。ロバは平和のために用いられる動物です。主は、平和の主としておいでくださいました。人間の罪のためにこの世には争いがあります。その根本のところには、命の主、真の愛と祝福の神との断絶があります。その断絶を取り除き、神との平和を与えるために主は来てくださいました。

 

 

もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」(3節)。主は、あなたが必要なのです。あなたを用いたいと願っておられます。 

 

 

群集は、歓喜して、「ホサナ」と叫びました。その中の多くは、5日後、「イエスを十字架につけよ」と叫びました。ホサナの本来の意味は、「今、救ってください」ということです。このホサナの原点を忘れないようにしましょう。

 

                        (久多良木和夫)