2018年 5月

 

   5月27日()  ペンテコステ礼拝

 

   「イエス・キリストの名によって」    使徒言行録3:110 

 

       

 

主なる神によって私たちに与えられているものは、主イエスによる救い、永遠の命、そして聖霊なる神の内住、そしてイエス・キリストの名です。

 

 

 

生まれつき立ち上がることも歩くこともできずにいた一人の男性がいました。彼は大きくなり物乞いをして生計を立てていました。毎日、エルサレム神殿の美しい門と呼ばれるところに運んで来てもらっていました。彼は癒しを必要としていました。私たちもそれぞれ癒しを必要をしている存在です。

 

 

 

彼の人生はある日を境に変わりました。ペトロとヨハネに出会ったのでした。ペトロは彼に言いました。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(6節)。その時、彼は自分で立ち上がり歩けるようになりました。

 

 

 

主イエスは、弟子たちに主イエスの名でお祈りすることの大きな恵みについて告げられました(ヨハネ14:13、15:16,16:23-24)。

 

 

 

ペトロたちは、聖霊なる神に強めていただき、信仰をもって主イエスの名を用いました。そのとき大きな御業がなされました。

 

 

 

イエス・キリストの名を用いて祈ること、宣言することを聖霊なる神の助けの中でなさせていただきましょう。      

                       (久多良木和夫)

 

   5月20日()  ペンテコステ礼拝

       「聖霊の注ぎ」          使徒言行2:1-13  

  

天の神さまは、三位一体の神です。創造主である父なる神、救い主である子なる神、そして聖霊なる神の三つの位格をお持ちです。生ける力ある祝福の神です。

  

主イエスは、十字架の死より三日目に復活し、弟子たちと共に40日間共に歩んでくださいました。召天より10日後、聖霊が弟子たちの上に降りました。

 

弟子たちは、変わりました。お金持ちになったとか立派な身なりになったということではありません。確信を持って主イエスの弟子として大胆に恐れなく歩むようになったのです。この聖霊降臨の出来事は、ヨエル書3章の預言が成就した出来事でした。

 

 「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。」(2章32-33節)

 

   聖霊降臨、それは神が与えてくださった大いなる恵みです。聖霊なる神は、以下の通り6つの大いなる恵みの主です。

①神の子どもとしての命、身分を与えてくださる方(ローマ8章16節)

②御国の命の保証を与えてくださる方(エフェソ1章14節)

③御言葉を理解し受け取る恵みを与えてくださる方(ヨハネ14章17節)

④執り成し祈ってくださる方(ローマ8章26節)

⑤助けてくださる方(ヨハネ16章7、13節)。弁護者、助け主なる方です。  

 人生においては、山があり谷があります。順風の時があり、逆風の時があり

 ます。その中で、希望を失わず生きるようにしてくださいます。

⑥力の与え主です(使徒1章8節)。それは主の弟子としての力であり、主を証しする力です。         

                       (久多良木和夫)

 

 

  5月13日()  聖日礼拝

       「イエスの母マリア」        使徒言行1614 

 

主イエスが天に昇って行かれた後、ガリラヤの出身であった弟子たちが「戻る」ところは、ガリラヤではなくエルサレムでした。そして、主が十字架にかけられる前の日、最後の食事をされた場所、「泊まっていた家の上の部屋」に上がったのです。

  

14節に「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」とあります。弟子たちと、女性たち、主イエスの親族という集まりの中でマリアは主イエスの母親という特別な存在でした。

 

主イエスが十字架刑を受けられるのを見たマリアは、「剣で心を刺し貫かれ」ました。心は傷を受け、血を流しました。その母マリアが悲しみを乗り越えて、祈っているのです。そしてマリアもペンテコステの恵みを受けるのです。世界に教会が誕生する準備の時、マリアは自らをそこに置いています。息子イエスを裏切った弟子たちと心を合わせて真剣に祈り、主なる神様の約束を待ち望みました。主イエスのことを伝えていく重要な一人としてこれから生きようとしています。マリアは弟子たちから離れていくことはしませんでした。彼らと一緒にひたすら祈りました。

  

「イエスの母マリア」の祈りに学びましょう。神様と1対1で祈る祈りと共に、祈りの集団の一人として祈るのです。

  

ホーリネス誌5月号に記されています。佐藤雅文『祈りの生涯』より、-「祈祷」は祈祷であるとともに「祈闘」である。悪魔との白兵戦である。彼の退くまで頑張りとおす攻撃戦闘である。  

                        (久多良木志津子)

 

   5月6日()  聖日礼拝

      「弟子たちの祈り」          使徒言行11226

   

 動物にできなくて人にできる特別なことの中に、お互いの間での会話、議論、そして創造主なる神へ心を向けて言葉を用いての祈りがあります。主に向かっての祈り、讃美は、議論よりもずっと大事なことです。 

 

議論は、頭の良い人、頭の回転の速い人が勝ちます。祈りは神の前に謙虚な人、神に向かって辛抱強く、熱心な人が勝利します。願わくば、議論ではなく、祈りによって勝利し、神の御業を拝する者でありたいと思います。

 

主イエスの昇天の後、弟子たちは不安と自分たちの力なさを覚えたことでしょう。弟子たちは、「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカ24章49節)という主イエスの約束を握って、エルサレムの一軒の家の二階の部屋に集まって一緒に祈りました。「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」(14節)。

  

先日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」についてユネスコの諮問機関が世界遺産にふさわしいと勧告をしました。キリスト教信仰が禁じられた禁教期に弾圧を受けながらもひそかに独自の形で信仰を続けた潜伏キリシタンの人たちがいたのでした。そこにはお互いの励まし合いと共に神への切なる祈りがあったことでしょう。

 

 私たちも祈りを合わせつつ進んで行きましょう。そしていろいろな事柄を乗り越える忍耐と希望をいただきましょう。  

                        (久多良木和夫)