2018年 6月

 6月3日()  聖日礼拝

     「荒れ野で叫ぶ声」          ルカ福音書3:1-14        

 

今の世界は、真実の執り成しの叫び、訴えを必要としています。

  

洗礼者ヨハネは、「悔い改めにふさわしい実を結べ。」(8)。「悔い改めよ。天の国は近づいた」と叫びました(マタイ3:2)。時代は、ローマの支配下にあり、政治は腐敗していました。人々の歩みも投げやりになっていました。

 

 ヨハネは、父はザカリヤ、母はエリサべトでした。彼は、生まれた時から、救い主イエスの道備えをする者と定められていました。「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。」(ルカ1章76-77節)。彼は大きくなり荒れ野に向かいました。律法を守ることに厳格でメシアを待望していたエッセネ派に属していたのではないかと言われています。

 

どうしたら良いかとの問いに、ヨハネは具体的に答えます(10-14節)

 

罪の赦しによる救いとは、主イエスによる罪の赦しをいただくことであり、真の祝福を与えて下さる神の愛に生かされて生きることです。その恵みに感謝して生き、主の助けと導きを得て歩むことです。むなしいものにくっついたまま歩まないことです。

 

ヨハネは、救い主であるイエス様の道備えとしての働きをなしました。

                           (久多良木和夫)

 

 6月10日() 聖日礼拝

     「主イエスの洗礼」         ルカ福音書3:15-22      

  

 大切なことは、言葉で語るより歩みを通して語る方が後に残ります。父なる神、救い主なるイエス、聖霊なる神の三位一体の神は、この世界の歴史の中で降誕、十字架、復活、聖霊降臨の出来事を通して救いの御業をなしてくださいました。

 

 洗礼者ヨハネは、悔い改めの水の洗礼を授けました。人々にそのままでは滅ぶことを伝え悔い改めを迫りました。その警告には大きな意味がありました。しかし、限界課題がありました。悔い改めた歩みを継続すること、どんなときにも希望を失わずに歩み続けることはとても難しいことです。

 

 ヨハネは、聖霊と火で洗礼を授ける主イエスを紹介しました(16節)

 

その主イエスは、洗礼者ヨハネより水の洗礼を受けられました。罪の全くない方が私たちのために洗礼を受けられたのです。

 

 「事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブライ2章18節)。私たちの受ける試練を深く理解し助けるためです。

 

 「主イエスの洗礼の時に、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」(21-22節)。父なる神、救い主なる主イエス、聖霊なる神がその時、在され、働かれました。   

                         (久多良木和夫)

 

  6月17()  聖日礼拝

    「荒れ野で誘惑を受けられた主」   ルカ福音書4:1-13       

 

主イエスは公生涯の働きに入られる前に試験を受けられました。それは悪魔からの試み、誘惑でした。その試験をパスすることはご自身のためではなく、私たちのためでした。

 

あなたは、どのような試み、誘惑を受けることが多いでしょうか?、

 

 主イエスは、40日間、荒れ野で過ごされ悪魔から3つの誘惑を受けました。

 

 第一は、石をパンに変えて空腹を満たしたら良いのではという誘惑です。イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった(4節)

 

 申命記8章3節の御言葉を引用して悪魔の誘惑を退けました。生きる上で物質的なものすなわち食べ物、お金は確かに大切です。しかしそれがあれば、生きる希望を持ち続けることができるかといえば否です。神を信じ、その御言葉で生かされる必要があります。

 

 第二は、すべての権力と繁栄を与えるから、自分を拝めという誘惑に対して、「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」と申命記6章13節のみ言葉を引用して。斥けられました (8節)。人間は、莫大な富、大きな権力を手に入れようと願い、してはいけない恐ろしいことに手を伸ばすことがあるのです。

 

 第三は、神を自分の都合で僕(しもべ)のように扱っても良いのではという誘惑に対して、主イエスは、『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』と申命記6章16節を引用して答え、その誘惑を斥けられました。

 

 主イエスは、荒れ野での誘惑に勝利して、公生涯の働きにつき、十字架への道をなお進み出されました。                                         

                         (久多良木和夫)

 

 

 6月24(日)  聖日礼拝

    「迫害で散って行った人々」    使徒言行録8:1-8     

 

聖霊降臨の恵みの中で、主イエスの弟子たちは力強く証しをなし、主イエスを信じ仲間に加わる者も多くなりました。しかし、信仰と聖霊に満ちていたステファノが殉教の死を遂げました。そして、エルサレム教会への大迫害が起こり、多くの弟子たちが散らされて行きました。

  

 ホーリネスの教会は、今から76年前の1942年から翌年にかけ、国から宗教弾圧を受け、それは1945年まで続きました。また1943年には、教会解散命令が出され、大打撃を受けました。その大きな原因は、ホーリネス教会が伝道熱心であったことと共に再臨信仰を高く掲げていたことにありました。戦争一色の国家にとって都合が悪かったのです。戦後2年目の1946年、ホーリネスの群は新しく結成されました。

  

 エルサレム教会への大迫害で散って行ったキリスト者たちは、散って行った各地で、伝道しました。「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。」(4節)。困難を経験しましたが、主は共にいてくださいました。

                         (久多良木和夫)