2023年 9月

 9月3日() 聖日礼拝  

   「生き生きとした希望」     ペトロの手紙一1章1-5節

 

 「あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づい

て、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注

ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます

豊かに与えられるように。」(2節)。人の計画は、完全そうに見えても不完全

で、途中で変わってしまうことがあります。 神のご計画は、真の祝福の神を見

い、さまよう者となってしまった私たちを見出し、主と共に歩むようにするこ

です。 神の御子イエスが人となり、この世においでくださることをもって、

ち人間の救いを成し遂げるということです。 神の選びは愛の選びです。私

ちが優れているからではなく、むしろ反対です。主イエスご自身が救いの代価

支払ってくださいました。イエス・キリストの命を通してその代価はすべて支

われました。

 

 あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づい

て、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注

ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます

豊かに与えられるように。」(5節)。守られていることほど幸いなことはあり

ません。主はすべての必要を満たしてくださるお方です。主は私のあなたの必要

なものをご存じです。

 

 「また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまな

い財産を受け継ぐ者としてくださいました。」(4節)。 天に宝を積むこと

,この地上に財産を積むこともよりももっと幸いです。神の子どもとされ主に

感謝しつつ喜び生きること、他の人に対して自分のできることをなす、主の愛を

証しする、主のみ救いを宣ベ伝えることは主の御心に沿うことです。

この地上で様々なつらいことも経験します。しかし、主は、憐れんでくださ

り、主のみ救を得て、天の御国の後継ぎとしてくださいます。

 

 

 「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からの

イエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、」(3節)。

は希望の源である方です(ローマ15:3)。「しかし、わたしが与える水を

む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命

至る水がわき出る。」(ヨハネによる福音書4章14節)。主は生き生きとし

希望、生ける望みを与えてくださるお方です。

                          (久多良木和夫)

 

9月10日() 聖日礼拝  

   「魂の救いを受けて」        ペトロ一1章6-12節

 

 「それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、」(6節)、フィリピの町に着いたパウロとシラスは、占いの霊につかれた女性からその悪しき霊を追い出してあげた結果、その女性を利用し、商売をしていた者たちから捕らえられ、鞭打たれ、足枷をはめられ、牢の中に投げ込まれました。

 困難、試練に遭った時、不安、恐れ、焦りがやって来ます。孤独感にとらわ

れ、このまま沈んで行ってしまうのではないかと考えてしまいます。しかし、そ

の時に、近くにあって励ましてくれ者がいれば、大きな力となります。

 

 牢に投げ込まれたパウロとシラスはどうしたか? 恨みつらみを叫んだか?そ

うではありませんでした。真夜中に賛美と祈りを捧げました。人で励まし合った

ことも支えだったでしょう。しかし、何よりも主が共にいてくてださることが分

かっていて、決して見捨てられてはいない。そこから道も主がきっ出ると備えて

くださる。今のこの大変さにもきっと意味があると考えていたことでしょう。そ

の夜大地震が起き、一人の看守とその家族が主の救いに与かることができまし

た。

 

 「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じてお

り、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あ

なたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」(8-9節)

 ローマの信徒への手紙8章26-39節には、主を信じる者の内にあって、聖

霊なる神がとりなし祈ってくださるとあります。また復活の主イエス、神の右の

座におられる主イエスが執り成し祈ってくださるとあります。この私は、見捨て

られることなく、覚えられ、愛が注がれています。主は、私を守り支え、最善に

いてくださるお方、この地上の歩みの先に御国をも用意し待っていてくださっ

います。なんという感謝なことでしょう。

 

 「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されなが

らも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときに

は、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」(7節)。試練には意味があると

心に留めたいと思います。時に、試練がこの私を造り変えてくれることがありま

す。主がその試練を通して、私たちを引き上げようとされている。この私を新た

に造り変えようとしておられる。

 金の精錬においては、金を含んだ岩石は粉砕されねばなりません。そして、不

純物を取り除くために溶かされる必要があります。火を通して不純物が取り除か

れ、純度の高い金となります

 

 私たちは、主のみ救いをいただき、神の子どもとされて歩む者とされました。

こそ、私の主。私と共にいて愛を注いでくださる。どんなことがあっても主が

け導いてくださいます。

                         (久多良木和夫)

 

9月17日() 敬老祝福礼拝  

   「道、真理、命なる方」   ヨハネによる福音書14章9-14節

 

 人生の秋、初秋は月でいえば9月、年齢で言えば60代、中秋は10月、70代、晩秋は11月、80.90代です。かつては人生50年、今は人生80年、90年、100年の時代です。80歳以上の人生を歩まれた方々に心より尊敬申し上げます。

 

 人生の歩みにおいて、2つの柱があります。一つは何かができたか、できなかったということ、もう一つは、平安の中に感謝しつつ歩むかどうかということです。

 

 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(6節)。

 第1に、主イエスは道です。主イエスは、天の御国に入る道を備えてくださった方です。主は御旨にかなう道、正しい道に導いてくださいます。その道は、主イエスの命の犠牲があって初めて完成した道です。主はよろめきやすい私たちをよろめくことなくい歩むことができるようにしてくださいます。

 

 第2に、主イエスは真理です。人の作ったものはやがて廃れていきます。人の生み出した真理は時代と共に廃れ過去のものになってしまいます。主イエスは十字架の死から3日後に復活され今も生きておられる方です。主イエスの霊である聖霊は私達を真理へと導いてくださいます。私たちは自分の罪を贖うことでできません。主イエスはこの私の、そしてあなたの罪をすべて背負って、あの十字架にかかってくださいました。

 

 

 第3は、主イエスは命です。主につながっている者は実を結ぶことができます。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ福音書15章5節)。「わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(14節)。主イエスを救い主として信じ、主イエスに信頼してお祈りし。その祈りはかなえられ、いよいよ信頼して歩むことの中に命があります。

                       (久多良木和夫)

 

 9月24日() 聖日礼拝  

   「神を頼りにして」   コリントの信徒への手紙二1章8―11

 

 使徒パウロが経験したことで一番大きなことは、ダマスコ途上での回心です。迫害者として歩んでいたサウロは復活の主イエスに声をかけられました。そして天からの強い光で目が見えなくなりました。しかし、主イエスによって遣わされたアナニアによって目が再び見えるようになりました。サウロは、神の愛を知り、主イエスを信じる者になり、主イエスの福音を宣べ伝えるようになりました。

 

 パウロは伝道者、宣教者である故に、何度も迫害、苦難を経験しました。その具体的な内容は11章23-27節に記されています。「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。」(8-9節)。しかし、何度も死の危険から救い出される経験をしました。私たちも、彼のようには多くないことですが、大きな危機、苦難を経験することがあります。

 

 「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。(10節)。神は、過去、現在、未来において救ってくださる方です。

 

 頼りにするものはいろいろあることでしょう。自分自身、お金、持ち物、人脈、伴侶等々、しかし、それらがあれば大丈夫かと言えば、必ずしもそうではありません。

 

 アブラハムは、息子イサクを焼き尽くす献げ物とせよという神からの命令を受けて驚き悩んだことでしょう。その中で神に従う道を選びました。モリヤの山で、イサクを屠ろうとした時に、ストップがかけられました。後ろの木の茂みに一匹の雄羊が用意されていました。主の山に備えありということを経験しました。

 

 「わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。(9節)私たちの信じる神は、主イエスを復活させてくださった方であり、主イエスは復活され今も生きておられる方です。このまま死に向かうことがあっても御国を備えていてくださる方です。信じる者に復活の命を与えてくださいます。

 

 私たちは、時に思いがけない苦しみを経験します。もうこれでおしまいだと思うことさえあります。そのような時にこそ、生ける神に信頼して歩んで行きましょう。

                         (久多良木和夫)