2023年 9月

9月20日() 祈祷会 奨励メモ

  「主から推薦される人こそ」 

             コリントの信徒への手紙二10章1-18節 

 

☆推薦を受ける

 推薦を受けることは栄誉なこと

 この人は誠実でまじめな方です、責任感の強い方です。 この人にはこのような良い点があります。このような優れた賜物を持っています。等々

 推薦を受けて、新しく採用してもらう。新たな働きに就く

  推薦を受けて仲間に受け入れてもらう。

 

☆誰から推薦を受けるか

 その人を良く知る人から推薦を受ける。

  この人はこのような人ですよ。良い人ですよ、素晴らしい人ですよと

  そのような推薦を受けることは感謝なこと。

  その推薦に後押しされる、励まされ前に進むということがある。

 保証書

  物においても、推薦する書面がある。それが保証書

  この製品は、特別な検査、審査を通り、素晴らしい製品ですと。

 その推薦、保証をだれがするか?

  その推薦、保証が間違いないか、確かなものかが大事になって来る。

 

☆自己アピール

 自己アピールをすることは時に必要。

 日本人はそのことが下手。 欧米の人はそのことに長けていると言われる。

 自分を出さないこと、控えめであること 日本人の特質の一つかもしれない。

 しかし、欧米では、自分を出さない、自分の考えをはっきり言わない、主張しない。自分をアピールしないことはマイナスとみなされる。

 自分の考えをはっきりと語る。自分はこう思うと。

 私はこのような人間です、このような特技があり、このようなことが得意です。 この点において優れています。 このことにおいては誰にも負けませんとしっかり自己アピールをする。そして前に進んで行く。

 

☆自己推薦

 今日の聖書箇所で問題になっていることの一つは、自己推薦

自分で自分を推薦する、仲間内で推薦し合う。

◎12節

10:12 わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。

 自己推薦 自分が何者かのように考えてしまう。

 自分は正しい、自分は優れているといつの間にか錯覚してしまうことがある。

  自分で自分を推薦する、仲間内の者から推薦してもらう。 

  それはいつの間にか甘くなる。甘い点数をつけてしまう。

 その歩みがいつの間にかずれて行ってしまう。

 自分の勝手な歩みに、仲間内の勝手な歩みに進んで行ってしまうことがある。

 

☆コリント教会において

 教会を支配しようとした人たちが起き、教会が混乱させられた。

 自分達こそ、正しい。自分たちこそ、教会を導くにふさわしい者だと考えた。

 自分達の考え、自分たちの主張をいつの間にか、前面に出し、教会を取りしきろうとした。自分こそ、それをすることができる者だ、そのことができる者だと考えた。 教会は混乱した。

 

☆混乱、苦しみの原因

 一人の人が、特定の人が勝手なことを行うことで、混乱や苦しみが起きる。

 会社の上に立つ人が、会社のためではなく、自分のために勝手な判断で事を進めたなら、その付けは、その会社に及ぶ。 自分の好き放題に、自分の思い通りに事をなす。会社がつぶれることさえある。 その会社に勤めている全員が苦しむことがある。

 国家においてもしかり。  ウクライナとロシアの戦争

  その根本原因は、ロシアの大統領、その取り巻き

  自分の考えが正しいと考え、自己推薦、仲間内の推薦で事を進めた。

  ウクライナの領土の一部を自分の国のものにしても良いのだと考え、そうだそうだと考えた。しかし、実際には、他の国の主権を犯してはならないもの

  この戦争でどれだけ大きな混乱、苦しい、悲しみが起きたことか、起きていることか

 

☆教会は神のもの

 教会はだれのものか?

 教会員である者たちは、自分の所属する教会において礼拝を捧げ、祈祷会をも守り、教会における様々な奉仕に勤しみ、教会の歩みのために祈りを捧げ、教会の歩みがより良いものになるようにと願いつつ歩んでいます。

 教会は誰のものか? 

 教会は、創立の時、いやその前から祈られ、そこに身を置き、歩んできた人たちがいた。その後の歩みにおいて祈り、奉仕に身を捧げた人たちがいた。

 今、教会員として、教会につながる者として歩んでいる私たちがいる。

 教会は過去の歩みが守られ、現在の歩みがあり、未来、将来の歩みがある。

  今納骨堂建設に向けて、歩を進めている。

  これが現在の歩みのために、また将来の歩みのために、幸いなものとなることを願いつつ準備している。祈りをなお合わせたい。

  私がこうしたいから何かをしているのではない。

  そのことの根本には、主の御心を尋ねつつ、歩を進めている。

 教会は神のものである。

 教会は主のものである。キリストの体なる教会

 キリストの体である教会が、主の御心をいただきつつ、主の御心の中に歩みを進めていく。 教会は主のもの

 

☆コリント教会の混乱

 それは、教会は主のものだということをわきまえない者たちによって混乱した。 自分たちの思い通り、願い通りに事を運ぼうとした。

 その主張、考えがどこから来ていたか? 

 主からではなかった。自分の、自分達の願い、思い、考え それに従って

 その語ることも立派に見え、そのように聞こえたが、本物でなかった。

 御声を勝手に聞いていた。

 人の声、思い、意見を御声のように考えた。自分の思い、意見、自分たちの思い、意見を一番上に掲げた。

 主の御声、主のみ旨を追い求める必要があった、それに聞き従う必要があった。

 

☆混乱のもとになった者たち  

 他の人たちへの非難、批判

 対抗し、敵対した。 使徒パウロへの批判

◎1-2節

10:1 さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。

10:2 わたしたちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。

◎10節

10:10 わたしのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。

 使徒パウロを標的とした。

 自分達の立場を守るために、退けようとした。

 

☆使徒パウロ自身

 肉に従って歩まず。

◎3-4節

10:3 わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。

10:4 わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、

 肉において歩んでいる。 弱い肉体を持った一人の人として歩む。

 ただし、肉の力で歩むことはしなかった。

 何の力で歩んだか? 霊に従って歩んだ。神の由来する力、聖霊なる神によって力をいただいて歩んだ。 神に由来する力を受けつつ、歩んだ。

◎8節

10:8 あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威について、わたしがいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう。

 主から授けられた権威を受けて歩んだ。

 それは、その権威を振り回すためではなかった。

 教会につながる者たちを打ち倒すためではなく、造り上げるために用いた。

 主によって立てられたパウロ

◎12-16節

10:12 わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。

10:13 わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです。

10:14 わたしたちは、あなたがたのところまでは行かなかったかのように、限度を超えようとしているのではありません。実際、わたしたちはキリストの福音を携えてだれよりも先にあなたがたのもとを訪れたのです。

10:15 わたしたちは、他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません。ただ、わたしたちが希望しているのは、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたの間でわたしたちの働きが定められた範囲内でますます増大すること、

10:16 あなたがたを越えた他の地域にまで福音が告げ知らされるようになること、わたしたちが他の人々の領域で成し遂げられた活動を誇らないことです。

 神が割り当ててくださった中で、感謝して働く。

 コリントの町において、宣教の働きを真っ先にした。福音の種まきをなした。

 その結果、コリントの教会ができた。

 パウロの願い それは、あなたたちの信仰が成長すること

  自分のためではなく、コリント教会の人たちのために労した、心を用いた。

 主によって定められた範囲で、その働きが増大することを願った。

 

☆誇る者は主を誇れ

 何を誇るか?

  自分自身を誇るのではなく、自分の持ち物を誇るのではなく、主を誇る。

 私たちクリスチャンは、何を誇るか、だれを誇るか?

◎17節

10:17 「誇る者は主を誇れ。」

主を誇れ、主を指し示す。 これこそ、お勧めです。この方こそお勧めです。

 主に生かされて、その生かしてくださる主を指し示す者でありたい。

主を証しし、主を崇め讃美したい。

 

☆主に推薦される人こそ

 誰から推薦されるか

  自己推薦は決してしない。 他の人から推薦されることは栄誉であるが、それはそれとして、真実に歩む。

 他の人から推薦されると自分が何者であるかのように考え歩んでしまう。

 人の推薦は、変わってしまう。 推薦されたかと思えば、それが取り消されることさえある。

◎18節

10:18 自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。

 誰が適格者であるか?

 自己推薦でも、他の人からの推薦でもない。主から推薦される人こそ適格者である。 主から推薦される。

 主に従い歩む者 み言葉に聞きつつ歩む。 主への礼拝を捧げつつ歩む。  

 主に目を向け歩む。

 主の御霊のご支配のもと、御霊によって歩む。

 

 

9月21日() 曽根合流祈祷会 奨励メモ

  「神の熱い思いを抱いて」 

             コリントの信徒への手紙二11章1-15節 

 

☆何を買い、何を持ち、何を食べるか

 何を持つか、どんな家に住むか、どんな車に乗るか、・・ それはすべてそれぞれの自由

 何を食べるか 自宅で作って食べるか、外食をするか、どこの店で食べるか それも自由。

 経済的にかなり余裕がある人は、ブランドの服、ブランドの時計、バッグを持っている。豪邸に住んでいる。高級車を所有している。 いつも高級レストランで食事をしている。 家の家具も高級なもの、・・

 一方、経済的に余裕がなければ、豪邸には決して住めないし、車も高級車はなかなか持てない。

  夕方、スーパーでも、デパ地下でも、閉店の時間が近くなるとおかずコーナーで3割引き、半額となることがある。その中のいくつかを買うとああ得した気分になる。 これは庶民である私たちの実感

 何を買い、何を持ち、何を食べるか、それは全く自由。

 経済的な余裕によって左右されることが多いことも事実。

 一方、経済的な余裕があるにもかかわらず、強敵には住まず、高級車も所有せず、つつましく生きる人もいる。

  コツコツとお金を貯める。人生の晩年に、町に、市に寄付をする人もいる。

  一生かけて貯めたお金を、町のために、市のために寄付するという人もいる。

 

☆パウロという人の生き方

◎7-9節 

11:7 それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。

11:8 わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。

11:9 あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。

  彼は報酬を受けなかった。 本来、伝道者であるから、報酬を受けることができた。 生きていくためにお金は必要。しかし、彼は報酬を受け取らなかった。 では、どうしていたのか? 

  彼は天幕作りの仕事をしていた。 移動式のテント式の家を作る。

  どこかで、その技術を会得したのでしょう。それで生計を立てた。

 どうして受けなかったのか? 受けることもできたはず、でも受けなかった。

 天幕作りのために労せねばならない。それをいとわずに行った。

  では、なぜそうしたのか?

  福音の種まきをして、教会ができていく。 最初は小さな群れ、経済的な余裕もない。 その中で、パウロ自身は、自分の仕事をしながら、自分の生活費は手に入れた。

 と言っても、その天幕作り専門ではなく、それは副業。 本業は宣教者

  天幕作りを通して得たお金で、つつましく生きたことでしょう。

 巡回伝道だから、持ち家もなかったことでしょう。持ち物も最低限のものだったことでしょう。

  教会の群も、少しずつ人数が多くなる。 経済的な余裕も少しは出てくる。

 現在の教会、日本の教会 そこに牧師、伝道者がいる。

  教会から謝儀を受ける。それで生活をする。  

  さて、パウロは、どうだったか、彼は、報酬を一切受け取らなかった。そのことを貫いた。 負担をかけないように。 教会の活動が前進することを願っていた。 

 自分を低くして、教会につながる人たちを高くすること、これこそ、パウロの生き方であった。

  自分を低くすることが大好きだという人はそうはいない。

  他の人は高い。 他の人は裕福に暮らしている。 好きなことをやって楽しんでいる。

  私たちの思いは、どうでしょう?

  自分も同じように裕福に暮らしたい、好きなことやって楽しみたい。 それを目指す。それが普通。

 パウロは自分を低くする。 いやいやながらしていた? そうではなかった。

 彼の願いは、教会につながる方々が高められること

  自分のことは置いて、主にある兄弟姉妹のことであった。

 

☆パウロと対照な者たち

 パウロの鋭い指摘、警戒する者たち

 彼らは、神の聖霊でない、別の霊を伝えようとした

 キリストの福音とは違う間違った教え、異端の教えを教えようとした。

 自分達こそ大使徒だ 優れたものだ、神から特別に遣わされた者だと豪語して、教会で上に立とうとした。 自己推薦、仲間内の推薦

 彼らは、偽使徒だ、ずる賢い働きだと指摘した。

◎4-5節 

11:4 なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。

11:5 あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。

◎13-15節

11:13 こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。

11:14 だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。

11:15 だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。

 なぜ、そこまで強く指摘したのか。 教会は混乱し、つぶされないために。

 彼らは教会を乗っ取ろうとした。自分たちの思いのままに、引っ張って行こうとした。

 キリストの教えではなく、人の教え、神と対立する存在、サタンの教え

 それは、救いではなく、最後は滅びに向かう。

 そのような教えを持ち込もうとした。 それに対する警戒、そして警告。

 

☆救いの恵み

 キリストにある救い 主イエスを信じ、受け入れ、クリスチャンとして歩み出す。 それは大きな感謝。 その恵みの中に置かれ、キリストに対する真心と純潔  このキリストこそ、私の主。この方に生涯従っていきたいと願う。 熱い思いを持ち歩み出す。 信仰のスタート

◎3節

11:3 ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。

 その熱い思いが冷まされないように、それが消えてしまわないように。

 熱い思いもいつの間にか冷めることがある。

  熱いお茶も、しばらくすると冷えてしまう。

  熱いお茶に、誰かがひそかに冷たい水を加えたら、そのお茶はたちまち冷えてしまう。 悪だくみがある。

  エバは蛇の悪だくみにひっかった。

  巧みの言葉に引っかかり、食べてはいけないと言われていた善悪を知る木の実を取って食べてしまった。

 救いの恵みを継続することは簡単ではない。

  熱い思いも時間と共に冷えていくことが起きる。

 情熱をこめて取り組んでいたことも、途中でその情熱が覚めることがある。

 あれだけ熱心に取り組んでいたのに、今はもうさっぱりということもある。

 信仰の歩みにおいては、キリストを通して与えられた救いの恵みを奪い去ろうとする力は働く。

  サタンの働き、悪霊の働きかけ。

  4つの種のたとえの1番目、2番目、3番目の種のように。

   この世のものに目と心が向いてしまう。

 キリストに対する真心、純潔からそれないように。 パウロの願いと祈りであった。

 

☆神の熱い思いを抱いて

 パウロの告白 その真実

 ◎2節  

11:2 あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。

 神の熱い思い それをパウロ自身も抱いていた

 キリストを信じ、救いに与かった者たちのその生涯の歩みが守られるように。

 自分の愛する娘を一人の男性に嫁がせる父親の思い。

  キリストに捧げた。 神の熱い思い それは、キリストを通して救いに与かった者たちが、その生涯、キリストにあって、主につながるものであるように。 その熱い思いをパウロは知り、その一部を受け取った。そして、その熱い思いを抱き続けた。

 神の熱い御思いを人は持つことはできないが、パウロ自身はそれをしっかり受け止め、神に従い続けた。

 その熱い思いを心にとめつつ、伝道者として歩み通した。

 そのパウロを通して書かれた手紙を私たちは読んでいるのです。