2023年8月
8月6日(日) 聖日礼拝 説教メモ
「造り上げるために」 コリントの信徒への手紙二12章11-21節
☆暑い日々
猛暑の中、毎日、大変。 クーラーがなければ、どうにもならない。
地球温暖化の影響で、年々、夏の気温が高くなっている。以前は8月半ばを過ぎればぐっと涼しくなった。今は9月になっても暑い。
それでも、暑さのピークはあと2週間ほど。この暑さを乗り越えていきましょう。
☆暑さの中で、水分補給
体をうまく涼みつつ、水分補給をしっかり。 塩分も少々摂りつつ。
暑さの中で、雨が降らないと、プランターや花壇の土は一気に乾く。そのままにしていると花や野菜は枯れてしまう。
その都度、水をやる必要がある。花や植物の世話は一仕事。
農家の人は畑の作物への水やり、大変。 これは作物を育てるためにしなければならない。
土がカラカラの時に、すぐに対処が必要。 この時に手を抜けば、枯れてしまう。
☆世話を受ける花や野菜、作物は
世話を受ける花や野菜や作物は元気に育つ。
労を惜しまず、花や野菜や作物、木々の世話が必要。
花や野菜、作物は、その元気を失った姿をもって水を求める。
金魚でも亀でも、おなかをすかせると餌が欲しいとアピールする。そのアピールを見て、また決まった時間に餌をあげる。 「おなかがすいた、餌を食べさせて」
飼っているネコや犬に対しても、様々な世話をする。飲み水をあげ、餌をあげる。
☆親は子どものために
親は子どものために、労を惜しまない。特に子どもが小さい時に。
乳幼児期、小学生、中高の時。
子どもが健やかに成長するように、愛情を注ぐ。 おいしいご飯を食べさせる。
その成長のために、様々なことに心を用いる。
子どもは、その愛情を受け、その世話を受けて、すくすくと成長する。
☆使徒パウロの姿勢
コリントの教会の人たちに対してのパウロの姿勢
①忍耐強く
◎12節
12:12 わたしは使徒であることを、しるしや、不思議な業や、奇跡によって、忍耐強くあなたがたの間で実証しています。
主にあって、しるしや、不思議な業や、奇跡を行った。主がそのことを助けてくださった。
それらを通して、コリントの教会の人たちが主にあって歩み続けるように、主にしっかりつながるように。
楽々と行ったのではない、心を込めて歩みつつ、なしていった。
そこにあったのは忍耐強さ。
水やり一つにしても、餌やり一つにしても、毎日、欠かさずに。 そこには忍耐強さが必要。
小さな子どものために、大きな子どものために、家族のために、食事作りをすること、これも大変な仕事。 そのことで、家族が養われる。
パウロは忍耐強く、なすべきことを行った。
②負担をかけないように
水やり、世話やり、食事作り、1回につき100円と請求しない。
レストランで食事をすれば、1食につき、500円、1000円はすぐにかかる。 下手をすると、2000円を超えるかもしれない。
家では、請求されない。
1食を作るのに、食材費、そのための手間、時間もたくさんかかる。
その代金を子どもに請求する親はいない。
◎13節
12:13 あなたがたが他の諸教会よりも劣っている点は何でしょう。わたしが負担をかけなかったことだけではないですか。この不当な点をどうか許してほしい。
パウロは、コリントの教会の人たちに対して,負担をかけなかった。
これはパウロ自身の姿勢であった。使徒として、宣教者としての働き。
日々、食事を必要、住むところも必要であった。普通は、働き人のために、その教会がその生活の必要を差し上げる。
牧師、伝道師のために、教会では、その働きに対して、住まい(牧師館)を用意し、その生活の必要を謝儀として渡す。 私たちも皆さんの祈りを受け、教会から必要なものを受けて歩ませていただいている。 大きな感謝。
パウロは、天幕作り、移動しようと思えば移動できるテントを作ることで、その収入を得て歩んだ。自分の生活のための必要を自分でまかなった。
教会の人たちに負担をかけなかった。
それは、金銭的なことだけでなく、様々な面において、心がけた。
コリントの教会、そこにつながる人たちのためにそうした。
③間違った道に進まないように。
コリントの教会の人たちが間違った方向に進まないようにと心を用いた。
キュウリ、ニガウリ、ぶどう、メロンの特徴が一つあります。 それはつるを伸ばすことですね。 その蔓で自分自身を固定して上に伸びていく。
その蔓が変なところに絡みついたり、おかしな方向に向かっていったら大変。時に方向をうまく調整する。
◎20-21節
12:20 わたしは心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたがわたしの期待していたような人たちではなく、わたしの方もあなたがたの期待どおりの者ではない、と いうことにならないだろうか。争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがあるのではないだろうか。
12:21 再びそちらに行くとき、わたしの神があなたがたの前でわたしに面目を失わせるようなことはなさらないだろうか。以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、わたしは嘆き悲しむことになるのではないだろうか。
争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動、不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行い それらは時に陥ってしまう。
霊の親であったパウロは、霊の子どもであるコリント教会の主にある兄弟姉妹の歩みが間違った方向に行かないように、祈り、心を用いていた。
万が一、そのようなことに陥ったならば、そこから抜け出すことができるように。☆より良いものが壊れないように
そこから悔い改めることができるようにと祈り、関わった。
☆より良いものが壊れないように
この世の中で、より良いものが多くある。
心を込めて形成されている家庭 親と子ども、親戚 互いに励まし合って歩む
インフラ、建物 生活のために必要なものが設置され、建築される。
人間関係 互いに助け合い、仕事を進める、社会を形成する。
より良いものを時間をかけて造り上げる。それらが、破壊されていくならば、悲しいこと。
しかし、私たち人間は、時に、それらの大切なものを踏みにじったり、壊してしまうことがある。強引にそうしてしまう。 平和を踏みにじる。その代表が戦争ですね。
★戦争がやむように、戦争が起きないように、平和が訪れるように、平和が回復するように。
これは私たちの願いです。でも実際には、悲しい現実がある。
今も世界のいろいろなところで、戦争が起きている。弾圧、迫害が起きている。
小さな存在が踏みつけられている。
8月は、日本人である私たちにとって平和を願う月ですね。
8月第1聖日、日本キリスト教団においては、平和聖日と定められている。
世界の平和、日常の歩みにおけるこの社会の平和を願い求めていきましょう。
教会婦人8月号に、「平和の実現を」という題で説教を書きました。
九州教区で出された、2023年平和聖日に寄せての「祈りの言葉」が届きました。
とても良いものでしたので印刷して皆さんに配付させていただきました。
交読の形で記されています。世界の平和を願いつつ、交読してみたいと考えました。司式者とみんな、そして一同となっているところは一緒に。
では、言葉をかみしめつつ、祈り心をもって交読したいと思います。
感謝です。
☆使徒パウロの姿勢、祈り
①、②、③に続いて、さらに2つ。
④自分を使い果たそう。
コリントの教会の人たちの持ち物を使わず、パウロ自らの持ち物を使って歩んだ。
◎15節
12:15 わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。あなたがたを愛すれば愛するほど、わたしの方はますます愛されなくなるのでしょうか。
愛の労苦
自分自身を使い尽くそう。そのような心意気。
⑤造り上げる
造り上げるために労したパウロ
一人の人が大きくなる。いろいろなことを学んで大きくなる。
そのために多くの愛が注がれる。
私たち一人一人も、多くの愛が注がれてきた。
親から、祖父母から、兄弟姉妹から、叔父、叔母、親族から
先生から、・・
◎19節
12:19 あなたがたは、わたしたちがあなたがたに対し自己弁護をしているのだと、これまでずっと思ってきたのです。わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。愛する人たち、すべてはあなたがたを造り上げるためなのです。
造り上げるために、労する方々、労した方々
そのために働きかけてくださる聖霊なる神さま
感謝します。 応答していきます。ハレルヤ!
8月13日(日) 召天者合同記念礼拝 説教メモ
「仕えるために来られた方」 マルコによる福音書10章35-45節
☆召天者合同記念礼拝
コロナ4年目の中での召天者合同記念礼拝を捧げます。
今年も午前と午後に分散して行います。 コロナ1年目より、2年目、2年目より3年目と出席者が増えました。 今年4年目にして、参加者も増えています。 先に召された方々を覚えます。
召天の年から50年、40年、30年、20年、10年、7年、5年、3年、初年と記念の年の方々は1ページ目のプリントのごとく、33名です。
その中で、初年の方々は7名です。
☆上に立ちたいと願った弟子たち
人の上に立ちたい。 それは、多くの人の願いかもしれません。
今日の聖書箇所において、そのことが具体的に記されています。
主イエスの二人の弟子は、1つの願いを持っていました。
それは、特別の位につくことでした。
「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」お願いました。
◎マルコ福音書10:35-45
主イエスの特別の弟子の数は、全部で12名でした。その中の2名が抜け駆けをしたのでした。 特別の位につく、主イエスと共に特別な特権を持つということです。
高い地位、人々から褒めたたえられる、人々から特別に仕えてもらえる。
特別な地位に就くということは、多くの人が憧れます。 二人の弟子、ヤコブとヨハネはそのことを願い、そっと求めました。
あなたの右に、あなたの左に、右大臣、左大臣に、特別な位にと願った。
主イエスは、やがて栄光の座に就くことだろう。その時に自分達こそ、その右と左にと願い求めた。
主イエスの答え、「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」
その話を聞きつけたその他の10名の弟子たちは、腹を立てた。
抜け駆けをした。許しがたい。 その他の10名の弟子たちも、みな同じ思いを
持っていた。 自分こそ、特別な位につきたい。右大臣、左大臣になる。
他の人たちに仕えられる身となる。
他の人に仕えてもらう。他の人に上に立つ者として、命令することができる。そのような者になりたいと願っていた。
☆主イエスの答え
主イエスの答えは以下の通り。
◎42-44節
10:42「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
10:43 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
10:44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。
偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい。
一番上になりたい人は、すべての人の僕になりなさい。
仕えられること、他の人に僕になってもらいたいと願っていたのに、仕える者になりなさい、僕になりなさいと言われた。
☆仕える者、僕とは。
主人に対して、お客さんに対して、心を込めて接待する。
おいしい食事を作る。その主人、そのお客は、おいしい料理がテーブルの並べられるのを椅子に腰かけて待つのみ。
仕える者、僕は、その食事のために食材を買い揃え、台所で、おいしい料理を作る。夏の暑い日、クーラーをつけていても、厨房は、料理を作る火で、クーラーも全然効かないほど。時に汗びっしょりになる。
どんなにおなかがすいていても、主人のために、お客のために、ひたすら作る。 その料理を一所懸命に作る。
そのできた料理を盛りつけ、テーブルに運ぶ。 その料理をきれいに並べる。
次ぎ次とおいしい料理を作る。そして運ぶ。 お代わりがあれば、更に運ぶ。
主人、お客が食べ終わるまで、接待する。
日常の中で、そのようにしている人たちもいることでしょう。
子どもたちのために、家の者たちのために、毎日、精出す。
☆仕えられる者、仕える者
弟子たちは仕えられる者になることを願った。
その弟子たちに、仕えられる者ではなく、仕える者になりなさいと主イエスは語られた。
弟子たちは、仕えることは損、仕えられることは得だと考えた。
☆世界における苦しみ
その代表の一つは戦争ですね。
昨年2月24日にロシアによるウクライナへの軍事侵攻、その実態は戦争。
今なお続いている。
そのことを命じたロシアの大統領は、軍人たちを戦場の前線に送った。しかし、自らは決して、前線には行こうとしない。ただ命令するだけ。
多くの人が亡くなった。ウクライナの人の一般人、兵士たち、そしてロシアの兵士たち。
ウクライナの人達がどれだけ嘆き苦しんでいることか。それだけでなく、ロシアの人たちも。 ロシアの大統領は、多くの兵士が亡くなり、追加の動員を行った。若者たちが駆り出された。そして多くの者たちが今もなお多く亡くなっていく。
上に立つ者が、人々にその悲しみ、苦しみが少しも分かっていない。
ロシアは人口の8割近くがロシア系だが、約80の民族が住む。 少数民族国家から招集された若者たちは、戦闘の激しいところに送り、多くの人が亡くなっている。
約9割がイスラム教徒のダゲスタン共和国、モンゴル系ブリヤート人が人口の約3割を占めるブリヤート共和国。少数民族が優先的に激戦地へ投入されている、イスラム教徒やモンゴル系が多い地域から派遣された兵士の死者数が突出している。
上に立つ者が自分の都合の良いように、自国民であるのに、少数民族国家の若者たちをぞんざいに扱っている。悲しい現実がある。
☆平和を願う。
かつての日本 日中戦争に、そして太平洋戦争に突入
多くの若者が戦争の招集された。そして戦死した。
日本の国が、アジア諸国へ 朝鮮への侵略、中国への侵略 多くの人を苦しめた。 多くの戦争の犠牲者、アジア諸国、日本において
15年にわたる戦争は日本人の軍人軍属などの戦死230万人、民間人の国外での死亡30万人、国内での空襲等による死者50万人以上、合計310万人以上の犠牲 日本の侵略戦争は、アジア・太平洋各国に2000万人以上の死者を含む史上最大の惨害をもたらしました。
☆多くの悲しみに満ちた世界に生きている私たち
私たちは、多くの悲しみに満ちた世界に生きている。
その中にあって、心を通わせ合って励まし合い、歩んでいる。
その人間関係の中で、特につながりが深いものが家族であり、親族です。また共に歩んで来た信仰共同体の神の家族です。
多くの励ましを受けた、愛情を受けた。
また励ましを与え合った。愛情を互いに交わした、愛情を注がれ、愛情を注いだ。
毎年の召天者合同記念礼拝において、先にこの地上の生涯を終えた方々を追悼する。
☆記念の年の方々
召天の年から50年、40年、30年、20年、10年、7年、5年、3年、初年と記念の年の方々は、全部で33名です。
その中で、初年の方々は7名です。
朝位真士先生、福江幸子姉、平河友代姉、黒田キワ姉、福江 聰兄、藤原力惠姉、谷本信子さんの7名です。
☆仕えることの究極
仕えられることは簡単、でも仕えることは簡単ではない。
仕えられることは人が身を削る。それに対して、仕えることは自分の身を削る必要がある。 自分の身を削ること、簡単ではない。
☆溺れる子どもを助けようとして
溺れる子どもを助けようとして、海に飛び込む
子どもを助けて手渡した後で、その父親が力尽きて沈んで溺れ死ぬということが時にある。
☆子どもを生み出す母親
命がけの仕事。
子どもを生み出す中で、母親が亡くなる、今は少なくなったとはいえ、かつては、子ども産むことで、出血多量や感染症で亡くなることは結構あった。
出血により輸血 それで肝炎になり、寿命が短くなった人もいる。
☆人の子主イエス
主イエスはご自身の命を捧げてくださった。
◎45節
10:45 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
人のことは、主イエスを指す言葉。
主イエスは仕えられるためではなく、仕えるために来られた。
公生涯の最後には、弟子たちの足を洗った。
○ヨハネ福音書13:1-15
13:3 イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、
13:4 食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
13:5 それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
13:12 さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
13:13 あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
13:14 ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。
主イエスは、僕がすることを自らなした。
僕になり、互いに仕え合う者となるようにと諭された。
その方は、案の罪もないのに、最後には捕らえられ、十字架につけられ処刑された。 その命を奪い取られた。 自らの命を差し出された。
○ローマの信徒への手紙6:23
6:23 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
真の神を見失った私たち人間、真の神を無視して歩むようになった私たち。
その結果、間違ったことも正しいと考えて歩み、自らだけでなく、周りの人をも苦しめる者になってしまった。取りかえしのつかない事さえしてしまう者になってしまった。 払いきれない罪の重さ、重大さ。
その報酬は死であると。自分の命でもって償うしかない。
でもその命を差し出したら、それは死をもって命の終わり。
その命を差し出しても償いきれない人の犯す罪の重大性。
罪が全くないお方である神の独り子である主イエスがおいでくださった。
私たち人間全体の罪、私たち個々人の罪、その罪の代価を支払うために、主イエスはおいでくださった。
そのことで、罪の償いがなされ、罪が赦され、神の子どもとされ、主なる神と共に 歩むことができる。
☆神の愛
神はその独り子をお遣わしくださった。
私たちが、主イエスによって永遠の命を得るために。
○ヨハネ福音書3:16
3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
☆仕えるためにおいでくださった方
その方は、まさにその命を私たちのために捧げてくださった主イエスです。
仕えられるためではなく、仕えるためにおいで下さいました。
本日、召天者の方々を覚え、御前に記念礼拝を捧げています。
先に召された方々との出会い、交わりを主は与えてくださいました。
なお、この地上に残って歩む私たちも、故人を偲びつつ、主の愛に生かされて進
みましょう。
8月27日(日) 聖日礼拝 説教メモ
「神の力によって生きる」 コリントの信徒への手紙二13章1-23節
☆かつての自分
振り返って、かつての自分を思い出す。
・かつて、とても勢いがあった。強かった、元気が良かったと思う人もいることでしょう。 しかし、今は、その勢い、強さ、元気が乏しくなったと思う。
・かつては、好き勝手に生きていた。他の人のことを考えずに自分の思うままに生きていた。自由だった。 一方、他の人に迷惑をかけていた。
・かつては、希望なく生きていた。むなしさの中に歩んでいた。心の中にむなしさを覚え、それを打ち消すべく強がって生きていた。
☆この手紙を書いたパウロ自身
かつては熱心なユダヤ教徒
クリスチャンに対して迫害を加え、多くのクリスチャンを捕らえ、牢の中に投げ込んだ。
その自分が、キリストとの出会いを通して、悔い改め、キリストを信じ、キリスト者、クリスチャンになった。 そして、キリストを宣べ伝える者になった。
☆キリストを紹介する。
キリストはこのような方ですとパウロは紹介する。
よく知っている方を紹介する。この方はこのような方ですと。
☆キリストは強い方です。
キリストは強い方
◎3節
13:3 なぜなら、あなたがたはキリストがわたしによって語っておられる証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です。
あなた方に対して弱い方ではなく、強い方。
力強い方 私たちを生かしてくださるお方。 祈りを受け止め、聴いてくださるお方。
私たち人間は強く見えて、そうではない。あることで、急に弱くなることがある。 病気になれば、とたんに弱くなる。 大きな試練に遭えば、意気消沈してしまう。希望を失ってしまう。
キリストは、弱い方ではなく、強い方。 寄り頼んで良い方。 寄り縋って良い方。
主にお祈りしつつ、相談しつつ、 力をいただきつつ。
私自身は決して強くはない。 強いお方を見上げつつ歩む。
主に寄り縋りつつ、キリストを誉めたたえつつ。
☆キリストは、十字架にかかり、復活されたお方
キリストは十字架にかかり、3日目に復活された。
◎4節
13:4 キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。
キリストは小さくなってくださった、弱くなってくださった。
神の位を捨て、私たちのこの世に、人の子としてお生まれくださった。
私たちはどうでしょうか?
自分を捨てることは簡単ではない。プライドがある。
私はこれこれの者、こんなことは私のする仕事ではない。自分はこんなことはしない。 自分を捨てることは簡単ではない。
キリストは、神の地位を捨てて、父なる神のもとを離れ、この世においでくださった。 人となっておいでくださった。 弱い人間となっておいでくださいました。 それだけではない、私たちの罪の代価を支払うために、十字架にかかってくださった。 その命を捧げてくださった。
十字架での死、すべてが終わったように思えた。 しかし、そうではなかった。 十字架の死より3日目に復活された。
父なる神が、このイエスを復活させてくださった。
神の力により、死を打ち破る力によってそのことがなされた。
神の力によって生きておられる方です。復活の主として立っていてくださる。
☆使徒パウロの願い
①悪を行わないように
悪を行わないように、分かっていても、ひきつけられるのが私たち。
◎7節
13:7 わたしたちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈っています。それはわたしたちが、適格者と見なされたいからではなく、たとえ失格者と見えようとも、あなたがたが善を行うためなのです。
これはしてはいけないと頭ではわかっていたはずなのに、気がついたらそのことをしていた。 さまざまなこと、 ネットの闇サイトにひっかかる。・・
相談する方が必要。 自分だけでしているといつの間にか間違ったことにも引っかかる。
主に祈りつつ歩む。 万が一、そこに陥っても、回復の恵みをいただく。
もう引き返せないのではない。そこから引き揚げていただく。
②善を行うように
善を行う。 これはすべきだ、した方が良いと思うこと。
わかってはいても、時間を取られたくない。 自分の計画、自分のしたいことがある。 頭の上を素通りしてしまうことは多い。
◎7節
13:7 わたしたちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈っています。それはわたしたちが、適格者と見なされたいからではなく、たとえ失格者と見えようとも、あなたがたが善を行うためなのです。
その中で、主によってこれは大切なこと。これはなすべき善だと教えていただき歩む。
瀕死の旅人を助けた良きサマリヤ人のように。
人を思いやる心をしっかり持ちつつ。
③完全なものになりなさい。
◎9節
13:9 わたしたちは自分が弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になることをも、わたしたちは祈っています。
◎11節
13:11 終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。
すべてを完璧にこなすことはできない。
すべてをパーフェクトにこなそうとすればどこかに無理が来る。
自分の思い通りに事を運ぼうとすれば、自分勝手な思いの中で、自己満足にすぎなくなる。他の人にそのひずみが及ぶ。 そのような自分中心の完全は破綻してしまう。
主を仰ぎつつ、このことをどう歩んだら良いのでしょうかと主に問いつつ、歩む。 主に喜んでいただけるようにするにはどうしたら良いでしょうかとお尋ねしつつ、取り組む。 自己満足ではなく、主を仰ぎつつ歩み、心に平安が来るように。
他の人にも喜んでいただけるように。他の人にも主を証しできるように。
共に主の恵みに与かって行けるようにと祈りつつ、歩む。
④喜びなさい
主にあって喜ぶ。
◎11節
13:11 終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。
心沈むことがある。 落ち込むことがある。
様々なことの中で、うまく行かないことの中で、弱気になる。心が下を向くことがある。 そのような時にも、主を仰ぐ。
このことの意味はどのようなことでしょうか?
今このようなことでストップがかけられています。行き詰っています。
でも、これでおしまいでは決してありません。
主が共にいてくださいますから、感謝します。
きっと、何らかの意味があり、道が新たに開かれていくことを信じます。
主を見上げつつ、祈りつつ歩むときに、励ましを心に与えられる。
大きな山も主にあって小さく見える。 平安を回復する。
喜ぶことができる。感謝。
⑤励まし合いなさい
励まし合うことは喜び。
◎11節
13:11 終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。
互いに励まし合うこと、喜び。
個人主義の現在。 自分のことばかりで、他の人のことは我関せずという時代。 その中で、励まし合うことは大きな感謝。
自分の大変さを理解してくれる人がいたら、励まされる。
昨年の1月から来島絵美子姉が当教会に出席するようになり、その年のペンテコステの日に転入会され、教会員になりました。
もともと献身の思いを持っていた姉妹ですから、神学校入学に向けて、覚え祈りました。 そして今年度から東京聖書学校に入学されました。
前期を終えて、後期に向かう時です。
来島姉を覚えて、送り出した教会として、祈ることができ感謝です。
毎月有志で、それぞれ示された口数の援助献金をし、毎月限られた金額ですが、支援のお金を送ることができるようになりました。
神学校の期間は4年間です。この4年間は、サポートによってその生活の必要を満たしていただきつつ、歩む期間です。 励まし合って共に歩んでいきましょう。
⑥思いを一つにしなさい。
自分勝手な思いは輪を乱す。 自分だけ、自分達だけ良ければ良いとなり、周りの人を苦しめることになる。
周りから総スカンを食うことにもなる。
◎11節
13:11 終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。
互いを思い合い、互いの益を求める。
一つのことに取り組む。
いろいろなことに教会としても取り組んで来ました。
この20年ほどの間にもいろいろなこと
60周年記念誌の発刊 4年ほどの準備、取り組みが必要でした。
70周年記念誌も発刊
第1駐車場(およそ70坪ほど)の取得 福岡県の土地の売り出し
これを取得、皆で、予約献金を募り、捧げ、満たすことができました。
清水会堂の外壁補修と塗装にも取り組むことができました。
曽根会堂の増築 礼拝堂の隣半分を増築することができました。
今取り組んでいることがら 納骨堂建設
主のみ心を仰ぎつつ、心を合わせて取り組んでいます。
意見と違いが全くないことはありません。しかし、その中で、心を合わせ、祈りを合わせ歩む。 それは大きな感謝です。
⑦平和を保ちなさい。
平和を願い、求める。
◎11節
13:11 終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。
8月は、日本にとっても平和を求める月です。
終戦から78年の年。
かつての戦争でどれだけ多くの人が亡くなったことか、日本の国が引き起こした太平洋戦争で、アジア諸国で2千万人ほどの方々が亡くなられました。
日本の国でも300万人を超える方が亡くなりました。
中国、韓国、朝鮮等への侵略。 どれだけ多くの大きな悲しみをもたらしたことです。 今も、ウクライナでは戦争が続いています。
国と国の平和を願います。
人と人の平和はまた、それ以上に大切です。
互いの思いを受け止め合い、相手を尊重して、心を合わせる。
国と国の関係、人と人の関係の中で、難しい問題もないわけではありません。
その間に、主を置いて、主のご支配のもとで、互いが受け止め合えるように、支え合えるように。互いを尊重し合えるようにと進んで行きましょう。
☆自分は強い、弱い?
自分は強いと考える人もいます。
反対に、自分は強くない、弱いと考える人もいます。
◎4節
13:4 キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。
いろいろなことを経験してくると、やはり、強いとは決して考えられない。
強く見えても、強くない、弱いということを実感する。
様々に行き詰まり、危機を経験して、自分は本当の弱い者だと思う人は多い。
強い、なんでもできること、それはすごいことに見える。
周りの人からもそう見られる。自分はそのような者だと誤解してしまう。
そして、自分勝手なことをしてしまい、周りの人に迷惑をかける、周りの人を苦しめる。 自分は強い、なんでもできる、なんでもしても良いのだと考えて歩むときもないわけではない。そのような時は傲慢になってしまうことがある。他の人の思い、苦しみ、悩みに心が向かないことが多い。
自分が弱いことを覚える時、自分の小ささを覚える時、謙虚さが与えられる。
自分にできることはそんなに多くはない、限られている。
そのような中で、できることは何だろう。 他の人の思い、苦しみ、悩みに心を向ける。
自分の弱さの中で沈んで行ってしまうこともないわけではない。
でも、感謝なことは、一人孤独の中ではない。
主に結ばれた者として生かされている。支えられている。
主よ、なお生かしてください、支えてくださいと祈って進むことができる。
☆真理のために
自分は何をもって生きているのか。 人それぞれ違うことでしょう。
今の健康、体力によって 自分の能力、賜物によって
自分の持っている財力によって 自分のかつての業績によって、成し遂げたことによって 自分のプライドによって。
クリスチャンである私たちは、何をもって生きたらいのか?
◎8節
13:8 わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。
真理に逆らう。 間違ったことも良しとして歩むなら、うまくっているように思えても、決して良い実を結ぶことはできない。
正しいこと、主の心に沿って歩むときに、主は必要な力を満たしてくださる。
主の御心を求めて、その御心に従って歩むときに、主は助けてくださる。
☆内に住んでくださるキリスト
主イエスを信じる者の内にキリストは住んでくださる。
キリストの霊である聖霊が内に住んでくださる。なんという感謝。
◎5節
3:5 信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが失格者なら別ですが……。
思い出を心にとめて歩む それも時に励ましになる。 しかし、悲しみにもなることがある。
かつての業績を心にとめて、しかし、今の励ましにはあまりならない。
内に住み給うキリストを心にとめて歩みたい。
☆神の力によって、キリスト共に
神のご支配の中、力を受けて受けて歩むことはどんなにか幸いなことでしょう。
◎4節
13:4 キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。
聖歌588番
1主と共に歩む その楽しさよ 主の踏みたまいし みあとをたどる
ひと足 ひと足 主にすがりて たえず たえず われは進まん
2赤子にひとしき か弱きわれは ただ主にすがりて いのちに歩まん
※折り返し
真衣姉の伴奏で讃美しました。 主と共に歩む。キリストと共に歩む。
確かな人と共に歩む、力ある人と歩む、良く道を知っている人と共に歩む。
正しい方と共に歩む。 ゴールへと導いてくれる人と共に歩む。それは幸いなこと。
一足一足、主にすがり、絶えず絶えず進む キリストと共に。
キリストが力を満たしてくださる。
上からの神の力を日々注いでいただきつつ歩む。