2024年1月
1月1日(月) 元旦礼拝 説教メモ
「安らぎへの招き」 マタイによる福音書11章25-30節
☆2024年の教会の御言葉と標語
御言葉
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中に
いるのである。」 (マタイによる福音書18章20節)
標語
「主の名によって共に集い進もう」
☆新年の喜び
今日から新しい年のスタート 新しい希望、ビジョンを握って進み出しましょう。
元旦の日、私たちは主を仰ぎ、主を礼拝します。
私たちは、初日の出の太陽ではなく、天地万物の主、この宇宙、地球、世界の造り主なる神生ける祝福の神を礼拝します。 主なる神をほめたたえ、礼拝を捧げます。
☆この年2024年
この年が平和の回復の年であってほしい。 このことを願い共に祈りを合わせましょう。 戦争によってこれ以上、亡くなる方が起きないように。 平和な日常に回復しますように! 笑顔が戻ってきますように!
私たち個人においても、こじれた関係、難しくなった関係があるとするならば、その修復がなされる年となりますように。
大きな悲しみと苦しみの中にある方々が、その悲しみ、苦しみから解放され癒される年となりますように!後ろ向きな思いが前向きな思いにされる年となりますように!
眼を下に向ける歩みから、眼を上に向ける歩みに変えられますように!
大きな災害が起きませんように! 共に、主を崇め、共に主を賛美できますように!
☆チャレンジ
チャレンジ。 何か一つチャレンジ!
三日坊主にならないようにしつつ。 途中、少し挫折しても、また、そこから立ちあがって行きましょう。
気になっていることがある。 このことをしたい。しなければ。
そう思いつつ、ずるずると時を過ごしてしまうのが私たち。
気になっていて、ずっとできないまま、しないまま。
一歩を踏み出しましょう。 頭で考えるだけでは、何も進まない。
☆本日のテーマ
それは、安らぎです。休みです。
新共同訳では、安らぎ。 新改訳では魂の安らぎ、 口語訳では魂の休み。
☆肉体と心と魂
私たちに与えられているもの 3つあります。
1)第1は肉体です。
命が与えられ、この肉体の健康が支えられ、毎日を歩んでいます。
健康の時もあり、病気になることもあります。 病気になった時には、健康の回復を願い、心がけます。
2)第2は心です
外側の見える部分の肉体と共に、眼では見えませんが心を持っています。
心をしっかりと整え、強く持って歩みたいものです。
しかし、その心も弱くなることがあります。 難しい問題を抱え、先が良く見えない。 心の負担になる。 心が疲れてしまう。心が弱くなってしまう。心が沈み、心が萎えてしまう。 少し休息が必要です。 その難しい問題、課題から目を離すことも必要です。気分転換も必要。
3)第3は魂です。
心の中心にあるもの。 心の一番深い部分。 自分の魂も、自分では取り扱うことはできない。 しかし、感謝なことは、神がその部分を取り扱ってくださいます。そこに命を注ぎ生かしてくださいます。
自分の肉体に対して、自分の心に対して、自分の魂に対して、眼を向けつつ歩んで行きましょう。 肉体の健康、心の休息、平安、そして魂の輝き
☆主への祈り
この私の肉体を整え、強めてください。 健康の維持、病気からの回復を主に祈りつつ歩んで行きましょう。
この私の心に平安を与えてください。 心が疲れ切ることがあります。その時には回復の恵みを与えてください。 心が重くなってしまう時には、その心を軽くしてくださいと。
そして、この私の魂を取り扱ってください。 この魂に命を注いでください。 主につながって歩むことを得させてください。 主と共に歩む恵み、主につながって歩む恵みを満たしてくださいと。
☆主を仰いで感謝なこと
◎29節 1:29 わたしは柔和で謙遜な者
◎口語訳 11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者である
◎新改訳 11:29 わたしは心優しく、へりくだっている
主なる神は、柔和で謙遜な方 心優しくへりくだっておられる方
私たちを愛してくださっているお方 私たちのために、クリスマスの主となって、低く降ってくださったお方です。 私たちを顧みてくださるお方です。
弱っている者、傷ついている者に心を深くとめてくださるお方です。
今朝の聖書箇所においても
◎28節
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
元気な人、たくましい人、身軽な人、立派な人、優れた人ではなく、すべて疲れた人、重荷を負っている人と呼び掛けていてくださっています。
☆主は訪ねて来てくださった。
主イエスは、さ迷う者を、迷い出た者を探し求め、訪ねて来て下さいました。
*あのエリコに住んでいたザーカイに対して
○ルカ福音書19:1-10
*あのサマリアに住んでいた一人の女性
○ヨハネ福音書4:1-14
◎28節
11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
私のもとに来なさいと招いていてくださっています。 休ませてあげようと
☆安らぎへの招き
あなたの魂に安らぎを与えよう。 主と共に歩みなさい。 共に歩もう。
私は自分の歩みたいように歩むのです。 その結果、疲れ切ることがあります。 行き詰まり、先が見えない。この先どうなるのだろうか? 今抱えている課題はどう決着するのだろう。 過去のあの問題が今も心にひっかかっている。 それを引きずりつつ、歩んでいる。 出口が見えないことのつらさ。
◎29節
11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
◎口語訳
11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
◎新改訳
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
主が共に荷を担ってくださる。
くびき 二頭の牛が共に歩調を合わせて歩み、鋤を引っ張って土を耕す。
主が共にくびきを負ってくださる
主に学ぶ
主の御言葉を絶えず、いただきつつ、歩む。
主の語り掛けを聴きつつ、主に祈りを捧げつつ歩むことの幸いの中に歩みなさいと。
安らぎを得なさい。魂に休みをいただきなさい。魂に安らぎをいただきなさい。
☆主は、私たちに安らぎを与えてくださる。
肉体に、心に、そして一番大切な魂に安らぎ、休息を与え、生かしてくださいます。 肉体に、心に、魂の輝きを与えてくださいます。
この主を見上げ、この主を賛美しつつ、歩んで行きましょう。 ハレルヤ!
1月7日(月) 新年礼拝 説教メモ
「主の名によって共に集う」マタイによる福音書18章18-20節
☆元旦礼拝
「安らぎへの招き」との題でのメッセージ
○マタイ11:28-30
主は、安らぎを、休息を、平安を私たちに与えてくださるお方
主より安らぎをいただき、この年を歩んでいきましょう。
☆新年早々
*元旦夕方には、能登半島地震 震度7、津波
石川県、能登半島の町々の多くの家々が倒壊 亡くなられた方、行方不明の
方々も多い。 輪島市での大規模火災、・・
*2日の夕方には、羽田空港での日航機と海保機の衝突
海保機の6名中、5名が亡くなる。
日航機の炎上、しかし、幸いに全員が逃げ出すことができた。
*そして3日午後には、小倉駅の近くの鳥町食道街での大規模火災
多くの店舗が焼けてしまう。
新年早々、大変なことが続いて起きました。 なお、守られますように。
☆この大変なことの中にある方々が支えられますように!“
これからの日々が助けられますように。
☆この大変さの中で励まし合い、助け合い
避難所生活の方々、老人施設、・・ どんなにか大変なことか
特に、北陸地方はこれから寒さが増し加わる、雪が降る
停電が続く。 エアコンも使えない。 ストーブの灯油もなくなる。
食べ物もほんの少ししか届かない。 断水 トイレも十分には使えない。
お風呂にも入れない。 一日も早く、日常生活に回復しますように。
これから、数週間、数カ月、もっと長くかかることかと思う。
救助の方々の働き、ボランティアの方々の働き
互いに励まし合い助け合いつつ進む日々。守られますように。
☆共に進む
この年の標語
「主の名によって共に集い進もう」
共に進もう、共に進みたい。 互いの励まし合い、共に助け合って進む。
私たち自身がそうありたい。 そして、今大きな困難の中にある人たちが、励まし合い、支え合って前に進んで行けますように!
☆このような困難の中で
互いに助け合うこと、麗しい。 これから、次々と明るいニュースが入って来てほしい。
地震直後で亡くなる方が少しでも少ないことを願うと共に、これから数週間、数カ月の厳しい日々の中で、乗り越えてほしいことです。関連死の方が少しでも少ないようにと願います。
☆主の名によって、大きな力が
主イエスの名 それは救い主の名
◎18節
18:18 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
あなたがたとは、直接的には、主イエスの弟子たちを指す。
イエスを救い主と信じる者たち。
地上でつなぐことが天上でもつながれる。地上で解くことは天でも解かれる。
普通は、天上でつながれることは地上でもつながれる、 天上で解くことは地上でも解かれる。 その反対のことが起きる。
それは、なぜなのか? 主イエスの名のゆえに
*ペトロの信仰告白
主イエスの名の意味をしっかりと受け止め、歩み出したペトロ
○マタイ16:13-20
16:13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の
子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
16:14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいま
す。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
16:15 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
16:16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
16:17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなた
にこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
16:18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
16:20 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
主イエスを救い主と信じるペトロに天の国の鍵が授けられた。
主イエスの名を信じ、主イエスの名によって願い求める、祈り求める。
その祈りを通して、主がご支配を大いに強めてくださる。
この地上では、どうにもならにないことがある。
主イエスの名によって祈り、上よりの助けをいただきたい。
キリストの名を信じて、前に進む。
上よりの助けを願いつつ、希望を失わずに持って前に進む。 それは幸いなことです。
☆願い事
こうあってほしいと願う。 より良いものが与えられるようにと願う。
今ある大変さが少しでも軽くなるようにと願う。
*地震大国の日本
大きな地震で、関連死を含めて100人以上の死者が出たのは、この30年では、1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、そして今回の能登半島地震
これから先、大きな地震がないことを願います。
*ウクライナとロシアの戦争が終わるように。
停戦の時が来ますように。どうしたらそうなるのか。人間的に考えると、さらに数年続く。尊い命が失われ、町々が破壊される。気の休まる時がない。
将来を見通せない、将来を描けない悲しみ。大変さ。
2つの国だけでなく、周りに国々、世界の国々の将来が大変なことになる。
この戦争が一日も早く終結するように。
戦争を続けるつもりの上に立つ者たちの心が変えられるように。
戦争をやめる、戦争をしない心を持つ人たちが上に立つように。そのような日が一日も早く来ますように。
*その他の難しい課題
・地球温暖化 ・核兵器 ・原発 ・北朝鮮の事柄、その他
・旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)の事柄
*私たちの北九州復興教会
・納骨堂建設のこと
願わくば、このことを完成にと願います。
・教会の将来に向けての設計、ビジョン
教会の歩みの立て直し
☆主に願い求めましょう。
こうあってほしいと願うことを主に願い求めましょう。
◎19節
18:19 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
この願いを叶えてほしい。 願い求める。
自分自身の祈りとして、願い求める。 何度も何度も願い求める。
祈りの課題 自分自身のこと、家族のこと、教会につながる兄弟姉妹のこと、日本のこと、
世界のこと 主イエスの名によって願い求めましょう。
主が、その祈りを聴いてくださる。 聴いてくださるとの約束がある。
○ヨハネによる福音書15:16
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
主イエスを信じ、その名によって願い求めることの幸い。
☆一人ではなく、二人で共に祈る
共に祈ることの幸い。 一人で祈ることは幸い、もっと幸いなことは、二人で祈る。 共に祈る人を持つ。 このことのために祈ってほしい。
このことのために共に祈りましょうと。 親しい信仰の友と共に
教会の定例の祈祷会も大事にしていきたい。
毎週集うことは幸いなこと。
忙しい人で、月一度はと心が心がけて出席、参加する方もおられる。
対面で集うことができない時は、オンラインで参加される方もおられる。
感謝なこと。幸いなこと。
☆共にいてくださることの幸い
共にいて支えてくれる存在 大きな励まし
家族、友の存在はありがたい。 大事にしていきたい。
それでもいつか、その家族、友が先立つこともある。 遠くに引っ越すこともある。
主なる神はインマヌエルの主 神共にいます
○マタイ福音書28章20節
28:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
主なる神は、いつも共にいてくださるお方
☆わたしの名によって共に集う。
二人、三人が共に集う 楽しい時、語らいの時 共に力を合わせる。 大きな力となる。一人の人と共にいてくださる主。二人、三人の人が共に、主の名によって集うことの幸い。
◎20節
18:20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
聖書の中で
*ダビデとヨナタン
○サムエル上20:1-42
ダビデが危機の時、どんなにか大きな慰め、励ましであったことか。
サウル王の息子のヨナタンとの絆
*弟子たちを二人ずつ組みにして遣わされた。
○マルコ6:6-13
互いに助け合い励まし合えるように。 知恵を出し合えるように。
☆主の名によって共に集う
主の名によって共に集い進んで行きましょう。
この年を前に向かって どのようなことが起きるかわかりません。
主はすべてを支配しておられます。 主の助けを信じ、その主の名、イエスの名のもとに集い進んで行きましょう。
1月14日(日) 聖日礼拝 説教メモ
「祝福を受け継ぐために」 ペトロの手紙一3章8-16節
☆この世での大変さ
この世で、大変なこと、悲しいこと、つらいことは多い。
今も能登半島地震のために、家を失い、家族を失った多くの方々がおられる。
遠いウクライナで、戦争のために苦しんでおられる方々がおられる。
イスラエルのガザにおいて、苦しみと絶望の中におられる方々がおられる。
そのような中で、互いに励まし合っておられる方々も多い。それらの人たちを支えようとされる方々がおられることは幸いなこと。
☆励まし合い、支え合い
起きている現実はとてもつらいこと、悲しいこと、堪えがたいことがある。
その中にあって生きていかねばならない。現実を受け止めつつ、歩んでいく。
そのことを可能にするものは、互いに励まし合い、支え合うこと、そして、周りからの支援と励まし。
☆主よりの語り掛け
生きていく中で、様々なことがある。 そのような中にあってどうあるべきかと考える。
◎8節
3:8 終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。
心を一つにしなさい。同情し合いなさい。兄弟を愛しなさい。憐み深くありなさい。謙虚になりなさいと。
この年の御言葉は、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ福音書18章20節)です。
主なる神を仰ぎつつ、主を見上げ、主に信頼して、二人、三人が共に集まる。そこに、主が共にいてくださる。良き道を開き、最善を導いてくださる。
心を一つにする。バラバラではなく、心を一つにする。
同情し合う。大変さを同じ思いを持って担い合う。 目の前の人を大切にする。
憐れみを互いにかけつつ、大変さを担い合う。
自分は大きな者ではない、小さな者である。しかし、そのような自分にできることはあるのではないか。それをさせていただこうと歩む。
☆更なる勧め
私たちは、自らの歩み、つながる者たちの命、その歩みが守られるように、恵みにあふれるようにと願います。幸せであるようにと願います。
そのことが確かなものになるために大切なこと
◎10-11節
3:10 「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、
3:11 悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。
①舌を制して悪を言わないようにしなさい。
簡単そうで簡単ではない。ついあれこれと言ってしまう。
悪を言う あの人はこのような人だ。その人の良いことを言うのは悪いことではない。 こんな素晴らしいところがある。こんな良いところがあると
ところが、私たちは、時に、舌を制することをせず、あの人はこのような悪いところがある、あの人はとんでもない人だというようなことを言ってします。相手を悪者にしてしまう。それは、時に自分を正当化するために、自分を弁護するために、そうしてしまう。 舌を制せよ、舌を慎みなさいと主は語られる。
②唇を閉じて偽りを語らないようにしなさい。
唇を閉じなさい。べらべらと語ってしまう。
偽りを語ってしまう。 明らかに偽りを語ってしまうことがある。
自分の見えるところで、自分の立場で、これは本当のことですがと語る。
実際には、大きく間違っていることもある。それがすべて本当のように語ってしまう。
私たちは、仲間が欲しい、自分の大変さを分かってほしい、自分を守りたい。 そのような中で、自分中心なことを語ってしまう。
相手を端っこに追いやってしまう。相手を弾き飛ばしてしまう。
唇を閉じることは大事なことです。
③悪から遠ざかり善を行うようにしなさい。
悪には、明らかな悪と明らかではない悪があります。
明らかに悪いこと、誰が見ても間違っていると分かる悪
それと、一見ではわからない悪、悪と思えないように見えて、悪、間違っていることがある。 悪は、時に自分に益をもたらすように思えることを秘めている。本当はそうでないのだが、そのように見せる。 これをなして行けば、自分に益が転がり込んでくると見せかける。そこには誘惑がある。悪を見分けることは簡単そうで、簡単ではない。
魅力を含んだ悪の周りに身を置きたくなる。ひきつける要素がある。
そこに身を置き続ければ、その虜になる。
磁石にはN極とS極がある。 それを少しずつ近づけると、最後は強力な力でくっついてしまう。 悪に近づきすぎてしまうことがある。 そのところから遠ざかりなさい。
善を行いなさい。 良いと思われることを行いなさい。
④平和を願ってこれを追い求めなさい。
互いの平和 個人においても国と国においても
個人 家族との関係、親族との関係、友達との関係
その関係がこじれている。疎遠になっている。
その関係の改善を願い求めましょう。 どうしたら、改善できるか。
自分の方に非があるなら、それを認め謝る。自分の態度、歩みを変える。
国と国の平和
ウクライナとロシアの間の戦争が終結するように願い求めましょう。
遠い国のことだから、関係ないということはない。大いに関係がある。
戦争が終わり、平和なの日常に戻るように。
元のように戻るには、何年も何年もかかることでしょう。しかし、その途に就けるように願い求めましょう。
ガザでの苦しみが一日も早く終わり、苦しみから解放されるように。
☆悪、侮辱を受ける
悪を受ける。侮辱を受ける。 それはつらい経験です。
人からひどいことをされた、ひどいことを言われた。 衝撃なこと
あの人からひどいことをされた、ひどいことを言われた。 悪口を言われた。
そのことで、自分は大きく傷ついた。 ひどく苦しんだ。
その直後に。 その後ずっと苦しんだ。 今も苦しんでいる。
そのような時、そのことを忘れることができない。
その相手が自分に対してなした悪しきこと、ひどい言葉、態度 許せない。
絶対に許せない、許さないと考えてしまう。
心の傷となって残ることもある。 この自分の受けた苦しみ、傷
☆悪、侮辱に対して
それに対して、その相手にお返しをしたいと考えてしまうことがある。意識的に、無意識的に 悪に対しては悪をもって、侮辱に対しては侮辱でお返ししたい。
直接に返すこともあるし。直接ではなく、間接的にし返すこともある。
相手にもこの苦しみ、悲しみを味わたい。味わわせずにはおけない。 そのような思いがやって来ることがある。 そうしてはいけませんと
◎9節
3:9 悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。
そうしてはいけません。悪に対して悪を、侮辱に対いて侮辱で報いてはなりません。 泣き寝入りとなるではないですかと言いたくなる。
わかりました。でも、その相手との関係は遠く遠くに置きます。その相手を無視します。 その相手との関係は切ります。 それも一つの道かもしれない。 だがしかし、・・
☆更なる勧め
かえって祝福を祈りなさい。
相手の上に神の愛が、神の恵みがなお豊かに注がれるますようにと祈りなさいと そのようなことが、果たして可能なのか? そうですか、分かりましたと簡単にはいかない。
☆苦しみを経験したヨセフ
旧約聖書に出てくるヤコブの子どもに一人のヨセフ
父親から寵愛されたヨセフ 兄たちからねたみを買い、エジプトに売り飛ばされる。 売り飛ばされた先のエジプトでの苦しみ
兄たちに対しての恨みを持ったことでしょう。
そのヨセフと主なる神は共にいてくださり支えてくださった。
主人のポテファルの妻からうそを疲れ、牢獄の中に
その後、ヨセフは、神の助けを得て、エジプトの王ファラオにつぐエジプトで一番高いくらいについた。
エジプトとその周辺にひどい飢饉
食糧を買いに来た兄たち 自分のことに気が付いていない。ヨセフはすぐに気が付いた。 いろいろなやり取りがある中で、兄たちが自分を売り飛ばしたことを悔いていることを知る。 最終的に、自分の身を証ししたヨセフ。 兄たちを赦した。
〇創世記45:4-10
神のご支配、摂理、ご計画
☆苦難を経験された主イエス
この世にお降りくださった。 人となり、おいでくださった。 神の位を打ち捨てておいでくださった。
神の子として迎えた者はとても少なかった。 多くの者は、神の子として迎えなかった。
最後はとらえ十字架につけてしまった。 苦しみのどん底に落とした。
十字架刑という最も苦しみを与える刑の処した。 最もみじめない死を経験された。 しかし、主イエスはそれを甘んじて受けられた。
十字架を選ばない道に進むこともできた。でも、その道を選ばれた。
それは、私たちのためでした。
私たちそれぞれが抱えている罪の代価をご自身の死をもって償うためでした。
その死をもって、信じる者に永遠の命が与えられるように、主イエスは十字架の道を進んでくださいました。
私たちが、罪の呪いから解放されるために主は十字架に架かってくださった。
呪いから祝福へ引き上げてくださった。 神の子どもとしてくださった。
払いきれない罪の代価を支払ってくださった。 なんという感謝なことでしょう。
☆その主が私たちに
かえって祝福を祈りなさい。
◎9節
3:9 悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。
呪いではなく、祝福を祈りなさい。
主の憐れみ、ご支配の中に置かれるようにと祈る。
あなたたちは、祝福を受け継ぐために召されたのですよと
主の祝福が広がるように。主の祝福が受け継がれるようにと召されて今を生きている。
☆義のために苦しむとき
良いことをしているのに、無視された。認めてもらえない。
反対に苦しみを受けた。受けている。 つらい。
人々を恐れず、心を乱さず
◎14-15節
3:14 しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。
3:15 心の中でキリストを主とあがめなさい。
心の中で、キリストを主と崇めなさい。
主の十字架の苦しみを心にとめ、その苦しみは私のためであったことを心に留めなさい。
主は、生きておられる。復活された勝利の主として立っておられる。
この私を守り、導いていてくださる。
主よ、感謝します。主よ、お委ねしますと従って行きましょう。
☆祝福を受け継ぐために
私たちは、主イエスによって、祝福の中に招き入れられた。
祝福を受け継ぐ者とされている。 このことを心から感謝して歩んで行きたい。
(久多良木和夫)
1月21日(月) 聖日礼拝 説教メモ
「苦しんでくださったお方」 ペトロの手紙一3章17-22節
☆難しい問題、課題
難しい問題、課題に取り組むことがあります。 苦労します。 どう取り組むか、どう解決するかと それが解決されれば一番良い。 それがなくなればよいと考えます。
しかし、それが解決されることで、自分だけでなく、他の人に益が及ぶとするならば感謝です。
☆その意味がすぐには分からないこともある。
なぜ、どうしてと考えざるを得ないこともないわけではない。
その意味をとらえきれないこともある。
*パウロとシラスの経験
○使徒言行録16:11-36
フィリピの町での出来事
占いの霊に憑かれた女性からその霊を追い出してあげた。
その女性を用いて商売をしている者たちは怒り、二人を捕らえ、獄の中に投げ込んだ。痛みを受け、投げ込まれたパウロとシラス
なぜこのような苦しみを。 その夜の出来事 大きな地震
看守が命を断とうとしていた。その看守に対して、二人は声をかけた。
その看守は、主イエスを信じることへと導かれた。 その看守と家族の救い
パウロとシラスは、そこから出て次の働きの場に向った。
◎17節
3:17 神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよ
い。
☆苦しみの中で主を見上げる
苦しみの中で、主を仰ぎましょう。 なぜですか、どうしてですかと主に問いつつ、主の御手の中で歩む。 主の御手にいだかれつつ、歩む。
主のご支配の中でなお生かしてください。願わくば、この苦しみの意味を教えてください。この苦しみがただ苦しみで終わることがないようにしてくださいと願い、進みたい。
主は、その苦しみを無駄にはされないお方です。
☆陰府にくだられた主イエス
死んだ後、どこに行くのか? 死の世界 死者の世界 「陰府」と呼ばれる世界 ユダヤ人のとらえ方 「陰府」それは、この地上の世界と切り離された薄暗い世界 死者が赴くところ この世と関わることはできない。
主イエスは、この世においでくださった。神の位をお捨てになり、人の子となられた。 私たちと同じく、この地上の生涯を歩まれた。 最後は十字架につけられ命を取られた。 命の終わりを経験された。命の終わり、それはこの地上の命が完全に失わったということ 命のない世界 それが陰府 そこに送られた。そこに行かれた。
*使徒信条
主は 十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、
☆主イエスが陰府でなしてくださったこと
捕らわれた霊たちのところに行かれ宣教された。
ノアの時代 箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者たちですと。 その陰府において宣教してくださった。
◎18b-20a節
3:18 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。
3:19 そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。
3:20 この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。
この個所は解釈がとても難しい箇所です。
陰府、すなわち死者の世界において宣教がなされた。福音の宣教
福音とは
この福音を宣教してくださった。
陰府、死者の世界には、もはや命をもって光をもって誰も赴くことはできない。
もはや希望なし、光なし。 しかし、主イエスはその陰府に赴かれた。
神の大いなる愛を伝え、救いの御業が成し遂げられたことを伝えられた。
すべての者は、死後、死者の世界、陰府に置かれる。
イエスは、何もできないお方ではなかった。 陰府に赴かれて、福音を宣教された。
その死者の世界は、薄暗い世界、確かな光のない世界。 しかし、イエスは、確かな光として、その世界を照らされた。
福音が宣教された。聞く機会のなかった者が聞く機会が与えられた。
陰府 死者の世界 希望のない世界、喜びのない世界、光のない世界
そこに光が輝いた。 その光が死の世界の住人となった人たちに届く。
☆希望がないところに希望を
希望はもはやない。もうおしまいだ。 絶望が押し寄せる。 そのような状況がこの世にもある。 もう何もできない、もう希望がないと思われる時がある。
陰府にくだられた主イエスは、私たちがもはや届かない、もはや打つ手はないと思われるところにも、おいでくださるお方
希望がないと思われるところに希望を注ぎ与えてくださる。
その苦しみ、限界の中においても、主イエスはおいでくださる、 光を与えてくださる。
主にあっては、希望なし、もう絶望だということにおいても、なお支えてくださる。 引き上げてくださる。
☆復活の勝利
最も暗いところ、最も希望のないところに降られた主イエスは、その死の世界から命の世界に戻って来られた。それは、死を打ち破る復活をもってその死の世界を打ち破られた。 一番暗く深いところから、一番明るく高いところに
神の右の座に着かれた。 右の座それは権威と力を意味する。 すべてのすべてを支配される者として。 復活の大いなる勝利
◎22節
3:22 キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです。
死を完全に打ち破られた。
*使徒信条
主は 三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
☆洗礼の意味
ここで、洗礼式のことを指し示す。
◎20b-21節
3:20 この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。
3:21 この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。
水を用いての儀式 主イエスを信じることの入会のための儀式。
水で清める? そうではないと。 水が肉の汚れを取り除くのではない。
そのような儀式で救われるのではない。 しかし、その洗礼式を行わないというのではない、行う。 キリストに従うことにおいて。その儀式を必要としない人はいない。
あなたの命の中にこの私を招き入れてください。
招いてくださっているので、その招きに応答します。 その命の中にこの私を生かしてくださいと願うのです。
洗礼を受けるということは、その受けた教会の教会員とした歩むということにもつながります。
☆苦労してくれた人
苦労してくださっている方に感謝
毎日の中で、不自由なく生活できる。
水道、電気、ガス その整備に労してくださっている方々
バス、電車 時刻通りに来てくれる そのために労してくださっている方々
食事をおいしく食べられる その食事の用意をしてくれる人がいる。
美味しい1品を作る。その食材の準備、買い出し、刻み、煮込み、炒め・・
子ども時代、いろいろなものを与えられ、不自由なく生活できた。
当たり前と思っていた。 当たり前ではなかった。 親が仕事をして、世話をしてくれて養ってくれていた。
能登半島地震 避難所生活をしなければならない人 自宅にとどまって不自由な生活 水道の水が出ない、電気が来ない。
給水車、水道の水が出るように、補修をしてくださっている方々、・・
救援活動に当たっている自衛隊の方々 ボランティアの方々
町役場、病院、老後施設、・・の方々
それらの人たちの尊い働きによって、多くの方々が助けられている。 感謝なことです。
自分のために労苦する。 家族のために労苦する。他の人のために労苦する。
☆苦しんでくださったお方
キリストは、罪のために苦しまれた。 ご自身には罪の一切ないお方
私たちの内に罪があった。 神との交わりが寸断され、どうにもならない。
今回の能登半島地震において、家々が壊れた。半壊、全壊
そして道路がとても通れない状態になった。
罪はもっと恐ろしい。 私たち人間と神さまとのつながる道を徹底的に破壊してしまった。
私たちと神さまとのつながりを回復するために、キリストは苦しまれた。
どうしたら、そのつながり、交わりが回復するのか。
その方法はただ一つしかなかった。
神の御子イエスが、この世においでになる。 人となっておいでになる。
正しい方、全く正しいお方が、この世で苦しみを受ける必要のなかった方がおいでくださり、苦しんでくださった。 死んでいた私たちが生きようになるためです。
◎18節a
3:18 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。
人は、神との交わりが失われ、霊の命を失って歩むしかない。
その霊の命の回復のために、主イエスは苦しまれました。
この地上での生涯の終わりには、捕らえられ十字架刑につけられました。
鞭打たれ、唾を吐きかけられ罵倒されました。 堪えられない苦痛を味わわれました。
キリストが犠牲となられた。 それは、ただ一度だけの出来事。
しかし、神の御子がその犠牲になってくださったことにより、罪の赦しは完全なものになったのです。
○ヘブライ7:27
7:27 この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。
それは大きな感謝の出来事でした。
主イエスをそのような方として信じ受け入れる方に与えられる大きな恵み
それは、罪の赦しであり、神との関係の回復です。
神の子どもとされ、恐れなく生きることができるのです。
☆その命を献げてくださったお方
その苦しみにおいてなされたこと、それは御子イエスの命が犠牲として献げられたことです。
◎ヨハネ福音書3章16節
3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
私たちのために、あなたのために、主はその命を献げてくださったのです。
なんという感謝なことでしょう。 主よ、感謝いたします。 ハレルヤ!
1月28日(日) 聖日礼拝(曽根会堂) 説教メモ
「助けてくださる聖霊」 ローマの信徒への手紙8章26-30節
☆私たち自身
自分は強い人間だと考えることがあります。
自分の思い通りに事が進むとき。 ああできると考える。
様々な計画を立て歩む。前に進むことが楽しみ。
いろいろなことをこなしていく。 幸せだと感じます。
その時にこそ、主なる神の愛と恵みを心にとめましょう。
自分だけのために生きず、主のために、他の人のために歩みましょう。
遜ることを教えてくださいと祈りつつ
自分が弱い人間だと考えることがあります。
自分の願う通りに事が進まない。 困難が立ちはだかる。困難にぶっつか る。 歩みがストップする。歩みがつらいと思う。 失敗をする。 大事なものを失う。 仕事を失う。 人との関係がうまく行かなくなる、トラブル、 身体の不調、病気 不安や恐れの心がやって来る。 前に進むのがつらい。
主にそのことを申し上げつつ、支えと助けをいただきつつ歩みましょう。
☆思いがけないことがある。
今年は元旦早々 能登半島地震 思いもよらない大災害
自分の力どころではない。 太刀打ちできないようなことを経験することがある。 不安と恐れに包まれる。 その時にも、自らを励まし、家族、友人で共に励まし合いつつ進む。 そのよう時には、なお主を仰ぎ、支えと助けをいただきましょう。
☆この年が幸いな年であるように。
そのことを主なる神に願いつつ進みましょう。
たとえそう思えないようなことがあったとしても、主に祈りつつ歩んで行きましょう。
主は私たちを守ってくださるお方、助けてくださるお方。
この私の生涯をも導いてくださるお方です。
☆主を見上げたい。
自分が強い人間だと思っていたのに、そうでないと気が付かされる時があります。 愕然とします。 ああ、自分は強い人間だと思っていたのにそうではなかった。 ショック、落ち込みます。 自分は強い人間ではない、弱い人間だ。 不安があり、恐れがある。 大丈夫だろうか、大丈夫どころではない。堪えられない。 しかし、そのような時にこそ、主を見上げ、主に依り頼みましょう。
*パウロとシラス
使徒言行禄16章を見ると、パウロとシラスという二人の人が真夜中に賛美と祈りを捧げています。
踏んだり蹴ったりの一日 フィリピの町での出来事
占いの霊に憑かれた女性からその霊を追い出してあげた。
その女性を用いて商売をしている者たちは怒り、二人を捕らえ、獄の中に投げ込んだ。痛みを受け、投げ込まれたパウロとシラス なぜこのような苦しみを。 その夜の出来事 大きな地震
看守が命を断とうとしていた。その看守に対して、二人は声をかけた。
その看守は、主イエスを信じることへと導かれた。 その看守と家族の救い
パウロとシラスは、そこから出て次の働きの場に向った。
なぜそうできたのか?
主が共にいてくださる。 必ず、主は出口を用意してくださる。
主にある永遠の命が与えられている。御国は用意されている。そのことを主にあって確信していたから。
☆弱い時にこそ、強い。
パウロの残した言葉。コリント二12章
○コリント二12:7-10
12:7 また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。
12:8 この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。
12:9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
12:10 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
弱い時にこそ、強い。 力は弱さの中でこそ十分に発揮される。
普通は弱い時にこそ弱い。 力は強さの中にこそ発揮さえると考える。
しかし、主の恵みのご支配の中では、その反対。
弱い時、どうにもならないと考える時、主により頼むしかない。
自分を見ないで、主を見る。 主は強いお方。 主は、依り頼む者を引き上げ助けてくださる。
☆今日の聖書の前の個所
○18-25節
この世界におけるうめき
自然破壊、地球温暖化、・・この世界は、主によって創造され最高のものであった状態から崩れて行っている。 被造物のうめき 苦しみうめいている。
大地が、海も山も、川も海も この地上、水の中に生きるすべての生物が、植物、動物も 山火事が起き、また人の手によって山林が焼かれ、木々がどんどん減っている。 その中での被造物のうめきがある。
また、この世に生きる人間のうめきもある
この世界はどうなっていくのか。 戦争、争い 国と国の争い、人と人の争い。いがみ合いが起きている。 様々な悲しい事件に巻き込まれ、大事な命が奪われる。 大きな地震や様々な災害
主を信じている者も、そのような世界の中で生きて行かねばならない。
主のご支配がなお豊かに覆うようにと願う。
御国に入るまでのこの地上での歩みにおいては、様々な苦しみを通ることがある。
主の助けをいただき御国に入るまでの歩みが守られるようにと願う。
主のみ救いの豊かさを御国で味わい、主をなお豊かにほめたたえることができるようにと願い、主よ、助け導いてくださいとうめきつつ歩みます。
☆今日の聖書の後ろの個所
○31-39節
神が味方であることの幸い。
自分の味方がいることは励まし、自分の味方になってくれる家族がいる、友達がいる。 辛さを抱えているときに、慰められる。誰かが自分のことを覚え、祈ってくれている。
神の愛 どのようなものも神の愛から引き離すことはできない。
死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、神の愛から
神の愛によって守られ支えられる。 それは大きな幸い。
イエス・キリストのとりなしがある。
復活の主イエスは、神の右の座に折られる。 御国を支配しておられる。
この地上に歩む者たちが、主イエスの救いに与るように、今も、三位一体の主のお一人として働いてくださっている。
主イエスを信じ、み救いに与った者たち、私たちのために、主イエスがとりなし祈ってくださっている。それは大いなる幸い。
☆本日の聖書箇所
聖霊なる神の助け、支え、執り成しの祈り
弱い自分を覚える。どう歩んだら良いのか。どう進んだら良いのかと悩む。
自分自身の限界を覚える。 自分の力に依り頼んで歩んできた。
しかし、それでも及ばない。 自分で自分を支えきれないと思う。
◎26-27節
8:26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
8:27 人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
しかしのしかし。自分の限界。自分を支えきれない。
聖霊なる神の助け 主を信じる者の内に共にお住まいくださる。
主を信じ、主を仰ぐ者と共にいつも共にいてくださる。
どう祈ったら良いかさえも分からない。祈りの言葉がなかなか出てこない。
私たちの祈り、私の祈りは、限られている。ほんの少ししか祈れない。
聖霊なる神は、共にあってうめき祈ってくださるお方
自分が自分を支えきれない時、普通、最も近い家族が援助してくれる。励まし支えてくれる。 それでも限界がある。
究極的に。この地上の命の終わる時を考える時、家族といえども最後の最後まで一緒にいることができないこともある。 間に合わないこともある。
たとえ、間に合っても、限界がある。 その旅立つ人、旅立つ自分を内から支えることはできない。 聖霊なる神は、内から支えてくださる。
究極を考えないとしても、この地上の歩みにおいて、自分の歩みの限界を覚える時がないわけではない。 その時にこそ、聖霊なる神は助けてくださるお方です。 なんという感謝なことでしょう。
聖霊なる神を崇め、歩んでいきましょう。
☆万事を益に
思うようにいかない時、思い描いていたことと反対に思えることを経験することがある。 どうして、なぜと思う、考える。
◎28節
8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
*苦しみを経験したヨセフ
旧約聖書に出てくるヤコブの子どもに一人のヨセフ
父親から寵愛されたヨセフ 兄たちからねたみを買い、エジプトに売り飛ばされる。 売り飛ばされた先のエジプトでの苦しみ
兄たちに対しての恨みを持ったことでしょう。
そのヨセフと主なる神は共にいてくださり支えてくださった。
主人のポテファルの妻からうそを疲れ、牢獄の中に
その後、ヨセフは、神の助けを得て、エジプトの王ファラオにつぐエジプトで一番高いくらいについた。 エジプトとその周辺にひどい飢饉
食糧を買いに来た兄たち 自分のことに気が付いていない。ヨセフはすぐに気が付いた。 いろいろなやり取りがある中で、兄たちが自分を売り飛ばしたことを悔いていることを知る。 最終的に、自分の身を証ししたヨセフ。 兄たちを赦した。 そして、兄と父と一族をエジプトで済むことができるようにした。
神のご支配、摂理、ご計画の中にあった。
私たちの思いを超えて、主は。最善を導いてくださる。
万時を益としてくださる。
☆助けてくださる聖霊
聖霊なる神は、私たちと共にあって、助け導いてくださる。
私たちの内なるものを強めてくださる。 間近くあって。とりなし祈ってくださる。
聖霊なる神を崇め、感謝して,ゆだね進んで行きましょう。