2021年

1月3日() 新年礼拝 説教メモ

            「神の口の言葉で生きる」    マタイ福音書4:1-11

 

★チャレンジ 

1年のスタート  このことにチャレンジ 新たな気持ちで

 日記、散歩、ダイエット、整理整頓

教会としてのチャレンジ 聖書通読 FEBC の聖書日課2年サイク

    ★大切にしていること

 これを大切にしている

 ・挨拶を大切に    ・もてなしを大切に

 ・人への心遣い    ・自分の口から出す言葉  優しい言葉、人を傷つけないように

 ・身だしなみ  服装   ・運動   体を動かす

 ・読書 目で読み、考える ・掃除    家の中、外

 ・かたずけ、整理整頓   多くのものにあふれる

 いろいろあることでしょう。 それを心にとめた歩むことは素晴らしいこと   もう一つ、今年  それは、聖書の御言葉 意識して

 

★本日の聖書 

◎マタイ福音書4:1-11

★イエス様の受けた3つの誘惑

  バプテスマのヨハネから洗礼を受け 

 

○3章16-17節    

3:16 イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。

3:17 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

公生涯の歩みにつく前に 荒野での誘惑を受けられた。

 

①パンの試み    空腹の中で

◎子としての奇跡を起こしてみよ  人々も驚く   自分も得をする

★主イエスの返答

○申命記8:3  

8:3 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

  退けられた

 

②神をためす試み  神を試したらどうか

5-7節

4:5 次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、

4:6 言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たち  

に命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは 

手であなたを支える』と書いてある。」

4:7 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と  

言われた。

 

悪魔の誘惑

 聖書の御言葉を用いて 神を試したらよいのではないか

○詩編91:11-12

91:11 主はあなたのために、御使いに命じて あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。

91:12 彼らはあなたをその手にのせて運び 足が石に当たらないように守る。

 

★主イエスの返答

○申命記6:16

6:16 あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。

 試すことはしない。

 

③拝むならという試み  わたしを拝むならば、  わたしに従うならば  

◎8-10節

4:8 更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、

4:9 「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。

4:10 すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」

 

  繁栄    金銀財宝、   栄誉、名誉、   権力、力

   それがあれば、誰も文句を言わない。 すべてのものがついてくる

   すべての人が称賛する

  自分を拝めば   これから大変な公生涯に歩む出す必要はない。

  最後には十字架刑  そんな大変さ、つらさを味わう必要はない。

 

主イエスの返答

○申命記6:13

6:13 あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。

   

 悪魔の誘惑をすべて退けられた。  申命記の御言葉をもって

  勝利された。

 

★神の口の言葉で生きる

出エジプト16:2~12

16:2 荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。

16:3 イスラエルの人々は彼らに言った。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」

16:4 主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。

16:11 主はモーセに仰せになった。

16:12 「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」

 

40年の旅で、マナ(パン)を与えてくださった主  上からのパン

 

○ヨハネ福音書6:33~59

6:33 神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」

6:48 わたしは命のパンである。

6:49 あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。

6:50 しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。

6:51 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

6:58 これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

 

 真の命のパン  聖書の示すお方

 救いは主イエスを通して与えられる   その主に活かされて

 神の口の言葉で生きる

 命のパンを与えてくださった主を知り、その主と共に生きる

  人生の旅路を

 

 

1月10日() 聖日礼拝 説教メモ

             「主を畏れる人の幸い」   詩編112:1-10  

 

★耳を傾ける

 耳をそばだてる 耳を傾ける   注意して、心を集中して

 多くの情報が飛び交う現代社会

 その情報に一喜一憂する、時に踊らされる  テレビ、ネットからのニュース、映像、声   そこに耳が、心が傾いていることがある。

 今年の教会標語は「主の言葉を聞く」です。

  どのようにして聞くか まず、心を主に向ける。 

  いろいろなことに心が向かう その心を主に向ける

  静まり、祈るとき   聖書を開き、御言葉を読む

  少しずつ、そのことを心掛けていきましょう。

 

★幸せである。

 おいしいものを食べた時、 ぐっすり眠れた時  願っていたものが手に入った時  様々な幸せがある。

 一番いただきたい幸せは何でしょうか?  それは、心の平安ではないでしょうか。 心に恐れがない、 心に感謝がある。 心に希望がある

 主の恵みのご支配のもと、その幸いをいただいて進みましょう。

 

詩編112:1-10 「主を畏れる人の幸い」

◎1節 主を畏れる人 主の戒めを愛する人は

  主の戒め 主の御言葉  私たちを愛するゆえに、語りかけてくださる主

 主を畏れるとは 御言葉に耳を傾ける

  恐れるのではない。びくびくするのではない。

  主の語られることを 私への語りかけを 

 

 主は、私たちを愛するゆえに、語りかけてくださる。

  私たちの心の不安、恐れ、迷い

  惑わす声、不安にさせる声  その声が心にいっぱいに

  その惑わすものを追い出してくださる。

  私たちの心に、恐れる必要はない。

   わたしはあなたと共にいる。 あなたを見放すことはない。

   あなたを持ち運ぶ。  あなたに祝福を注ぎ続けている。

   あなたの道を守る。  あなたを導く。

  御国は備えられている。 帰るべき故郷は用意されている。 憩うことのできるふるさとはちゃんと用意されている。

 主の戒め、 主の御言葉  感謝です。

 

○マタイ10:26-31

10:28 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

10:31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

 

112:7 彼は悪評を立てられても恐れない。その心は、固く主に信頼している。

112:8 彼の心は堅固で恐れることなく ついに彼は敵を支配する

  恐れる心が消える。  恐れずに歩む

   人の悪評を主が斥けてくださる。

  心が堅固にされる。 堅固な心 確かな心 心が支えられる。

  人からの攻撃  さまざまな災害からの攻撃

   地球温暖化、その他

  さまざまな疾病、感染症 パンデミックの感染症 これから多くなる。

   一つ一つ乗り越えていく。 

 

★大きな幸い

  主のご支配のもとで生きる そこでの幸い

 

◎3-6節

112:3 彼の家には多くの富があり 彼の善い業は永遠に堪える。

112:4 まっすぐな人には闇の中にも光が昇る 憐れみに富み、情け深く、正しい光が。

112:5 憐れみ深く、貸し与える人は良い人。裁きのとき、彼の言葉は支えられる。

112:6 主に従う人はとこしえに揺らぐことがない。彼はとこしえに記憶される。

 

 良い業 義 ツェダカー 神との関係 神に積み許されたものとしての恵み

 神とのつながり 

 

★闇の中に光

  暗い闇、深い闇、大きな闇  襲い掛かる

  闇が包む。  闇に支配される。

  闇は光には勝つことができない。 光なる主

 

★揺らがない

  揺り動かされない。

  少しも?  少しは揺り動かされる。  しかし、大丈夫、

  ノックアウトさせられない。  ノックダウンはあったとしても。

  主が守り支えてくださる。

 

★人に対しての態度

  人に対する態度が変わる。

  具体的なことで、他の人を思いやる。  助けの手を差し伸べる 

 

112:5 憐れみ深く、貸し与える人は良い人。裁きのとき、彼の言葉は支えられる。

◎々にはふるまい与え その善い業は永遠に堪える。彼の角は高く上げられて、栄光に輝く。

 

 神が憐れみ深くしてくださった。   その憐れみに与った。

 そのことを感謝して、 他の人に対して

 

 貧しい人々に対して  困窮している人たち  貧しい国に住む人たち

 世界に住む人たち   その人たちに手を差し伸べる。

  その人たちから、また大切なことを学ぶ。

  

主を畏れる人の幸い

  恐れる必要がない。   恐れからの解放。   平安、 感謝、 希望

   暗闇の中に置かれても、光が与えらる。

   必ず、出口にたどり着くことができる。   希望を与えられつつ。

   他の人への思いやり。   具体的な奉仕。   それに取り組む。

  

 

1月17日() 聖日礼拝 説教メモ

             「御言葉によって、命を」    詩編119:25-32

  

★ほしいもの

  これが欲しい、これがぜひ欲しい  普通の状態の中では、

  あれもあったら良い、これも    洋服も、靴も、・・

  緊急の事態の中で

   大雪で、高速道で身動きできなくなった   半日、1日、2日

   寒い   毛布が欲しい、ジャンパーが欲しい

   のどが渇く  水が欲しい、お茶が、飲み物が

   おなかがすく もう1日何も食べていない。激しい空腹感

    おにぎりが食べたい。パンを、何か食べ物を

   通常ではないこと、緊急事態の中で、ほしいもの

    必要最低限のもの    飲み物、食べ物、暖(暖かさ)

   

 ★新型コロナの中で

   この思ってもみなかった事態の中で  何が大切なものなのか  考えさせられている、問われている 何を大事にしなければならないのかを

 

★「御言葉によって、命を」

●詩編119:25-32 

 

★魂

  私の一番深い心の部分  普段は、あまり意識しない、ほとんど意識しない。  でも、ここが大切

 

魂の状態

  この部分がしっかりしている。

  支えられている、恵まれている、確かである。 それは感謝なこと

  その反対の状態になることがある

   魂が沈んでいる、傷つき弱り果てる、ボロボロ

   消えてなくなりそう。   元気がない、活力がない

   喜び、感謝、希望がわいてこない。    嘆きと悲しみ

 

 ◎28節

 119:28 わたしの魂は悲しんで涙を流しています。

   悲しみの涙  塵に着く どん底 はいつくばっています。

  沈み込んでいる、弱り果てている、  なぜこうなったのか

  

  心がうつ   意欲がわかない

  静かに過ごす、がんばりすぎない、休養が必要。   薬が必要

 

 魂が弱り果てる。力を失う。 こんなはずはなかった。どうしたらよいのか、

  誰にでも起きること

  自分を苦しめ者の存在 敵  苦しめようと 

  困難 思わない困難、難しい問題

  病  病気、身体の弱り

 

★その中で、どうするか

  出口を探す、求める  必死に戦う それでも限界のことも

   相手に対して  必死に力を出し切ろうとする  それでも、難しい

  病院にかかる   医者にかかる

  誰かに相談する  誰かに助けを求める。

 

★詩編119編、このところでは、 

  天の神さまへの叫び、祈り

  今自分はこのような状態です。 訴え

   私の魂は悲しんでいます。塵についています。  主に知っていただく。

   訴える前から、主はご存じ、それでも主に申し上げる

    わたしに深く覚えてほしいのだな

 

★主への訴え◎

◎28-29節

 119:28 わたしの魂は悲しんで涙を流しています。御言葉のとおり、わたしを立ち直らせてください。

 119:29 偽りの道をわたしから遠ざけ 憐れんで、あなたの律法をお与えくださ い。

  立ち直らせてください。

   再起の恵み   コロナでの苦しみ 再起の願い

  主の律法を 主の教え、語りかけ、御言葉を

   わたしに語りかけてください。御声を聞かせてください。

  

●25節以外では、

 37節、88節、92節、107節、116節、144節

  命を得させてくださいと訴えています。

  

★盲人であったバルテマイ

  自分の目が見えない  そのことをはっきりと自覚していた。

  

○マルコ10:46-52

 10:47 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。

 10:48 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。

 10:52 そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

 必死の叫び その叫びは聞き届けられた。  必死の叫び

 

★サマリアの一人の女性

ヨハネ4:7-30

  彼女は、自分の問題を自覚していなかった

  自分の内にある問題、課題   そこに光が与えられた。

 その自分への主イエスの招き、語りかけ

○13-14節

 4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。

 4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

 

 

★「御言葉によって、命を」 

◎25節

 119:25 わたしの魂は塵に着いています。御言葉によって、命を得させてください。

●口語訳

 119:25 わが魂はちりについています。み言葉に従って、わたしを生き返らせてください。

●新改訳

 119:25 私のたましいは、ちりに打ち伏しています。あなたのみことばのとおりに私を生かしてください。

  主イエスのみ救いに与って  主のものとされてなお

 主のみ手の内にあって 主にしっかりつながって

 

 

1月24日() 聖日礼拝 説教メモ

             「主が味方でなかったなら」      詩編124:1-8 

 

 

★自分を受けとめる存在 

  受けとめてくれる存在

  ピッチャの投球 思い切って投げられる 投手の力もある

   その球をしっかり受け取ってくれるキャッチャーがいるから。

   もし、しっかり受け止めてくれるキャッチャーがいなっかったら、

    思い切って投げることはできない。

    キャッチャ‐がいて、初めて思い切って投げることができる

  子ども時代

   今のように、塾もなく、ただひたすら遊んだ

    夕方、日が暮れるまで    そうできたのは、友達がいたから

    もう一つは、帰る家があり、夕食が用意されている。

    泥んこになっても、家にお風呂が沸かされている

    その安心感から、思い切り遊ぶことができた。

   自分を受けとめてくれる存在

   それは、ありがたい存在  それは誰でしょう? あなたはどうです 

         か?  家族、 親、 兄弟、 友達、 伴侶、 子ども?

   そのような人がいることは大きな感謝

   子どものころ、 青年のころ、 大人になって、 年を取って、 いかがでしょうか?

 

★ 「主が味方でなかったなら」

   主が味方でなかったなら  どうなったことか、 どうなることか

 

◎1節

 124:1 【都に上る歌。ダビデの詩。】イスラエルよ、言え。「主がわたしたちの味 方でなかったなら

  

★ダビデ自身の体験

  少年時代は羊飼い

   兄たちはサウル王のもとで兵士  サウル王のもとで働く  

   ダビデは、あることがきっかけで、サウル王の家来に

    サウル王のもとで働く   戦いにも出ていく 数々の勝利を収める

   サウル王の妬みを買い、命を狙われる。

    逃亡生活をしなければならなかった。  必要に命を狙うサウル王

   その苦しみはいかばかりであったことか 

    サウルはたくさんの兵を従えて 追ってくる

    ダビデは逃げる ダビデに仕える部下は少しはいたが、サウル王の兵の  

   数には到底及ばない

   逃亡生活 不安と恐れ、悲しみ、みじめさ

    いつ捕まるかもしれない。 おなかはすくし、住む場所もない

   サウルは、いつでも追いかけてくる   ダビデは逃げる、身を隠す

    何度も何度も    

   そのたびに、ダビデは不思議に守られた。

    サムエル記上24:1-16には、

     エン・ゲディの荒れ野でのことが記されている。

 

 124:2 主がわたしたちの味方でなかったなら わたしたちに逆らう者が立ったと

 124:3 そのとき、わたしたちは生きながら 敵意の炎に呑み込まれていたであろう。

 124:4 そのとき、大水がわたしたちを押し流し 激流がわたしたちを越えて行ったであろう。

 124:5 そのとき、わたしたちを越えて行ったであろう 驕り高ぶる大水が。」

 124:6 主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。

 124:7 仕掛けられた網から逃れる鳥のように わたしたちの魂は逃れ出た。網は破られ、わたしたちは逃れ出た

 

  逆らう者、 敵意の炎、 大水、 驕り高ぶる大水、 敵

  仕掛けられた網  どれも手ごわい 苦しめる事柄、 危機

  今、新型コロナ感染において、世界中が危機、日本中が危機

   その中に身を置いて歩まねばならない。

 ダビデ自身 主が味方となって守り助けてくださった。

  危機を乗り越えた。

  やがてサウル王は、ペリシテ軍との戦いで亡くなる。

  サムエル記上30:1-6 に記されている通り

   やがて、ダビデは、サウル亡き後、イスラエルの王となった。

 

 主が味方でなかったなら

   主の守りと助けがなかったならば、捕らえられ、獄の中に投げ込まれ、

   苦しみつつ、殺されていたであろう。

  でも、主が味方になってくださった。そのことのゆえに守られた、助かっ た。  閉ざされて道が開かれた。 さらに、前進することができた。

 

★私たちはどうでしょうか? あなたはどうでしょうか?

  大丈夫でしょうか?  困難はないでしょうか?

  恐れを抱かせる事柄はないでしょうか? 苦しめる敵はいないでしょうか?

   自分だけで大丈夫という人はほとんどいない。

  大丈夫だと思っていても、自分が担いきれない大きな困難

   自分を飲み込むばかりの出来事、事柄、敵

   長い人生においては、さまざまなことがらが起きてくる、自分がそこに身  

   を置くことがある。

 

★振り返ると

  そうだ、あの時、守られた。

  紙一重で守られた。  あの時、本当に助けられた。大きな危機を脱した。

   あの時のことを思い出すと、涙が出る。

    本当に助けられた。 自分の頑張り、必死に対処した。

    助けてくれる人がいた。 励ましてくれる人がいた。 共に労してくれ   

    た人がいた。

   その出来事  その時のこと  あの瞬間 忘れないようにしたい。

 

 ★主の守りと助け

   不思議に守られた、不思議に乗り越えることができた。

   大きな借金も返済することができた。

   大きな困難を乗り越えることができた。

   運が良かった。 たまたま、良い知恵が浮かんだから? たまたま、助け 

  てくれる人がいたから?

   主の守りと助けがあったのです。 主が味方となってくださったのです。

   主の愛に見守られ、主の憐みをいただいたのです。

 

★聖書 

○3:1-3

 43:1 ヤコブよ、あなたを創造された主は イスラエルよ、あなたを造られた主は今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。

 43:2 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず 炎はあなたに燃えつかない。

 43:3 わたしは主、あなたの神 イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。わたしはエジプトをあなたの身代金とし クシュとセバをあなたの代償とする。

 

 主の守りの約束 

  水の中、大河の中、火の中

  絶体絶命    そのような時にも、主の守り  主なる神の呼びかけ

 ○

○ローマ8:31-39

8:31 では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。

 8:32 わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。

8:33 だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。

8:34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

8:36 「わたしたちは、あなたのために 一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。

8:37 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。

8:38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、

8:39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

 

  艱難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣

  パウロ自身がその中を通って来た。  その都度、守られた。

  

  神が味方となってくださった。

  キリストの愛によって  復活の主イエスのとりなしの祈りを受けて

 

  神の愛の中で、主イエスの十字架の恵み

  義とされる、神に罪を赦していただいた。 神の子どもにしていただいた。

   永遠の命をいただく身となった。

  その大いなる恵みに包まれて、歩むことの幸い。

  

★神が味方でなかったなら

  神が味方でなかったなら、私の人生はあそこで終わっていたであろう。

   あの時、沈んで行ったであろう。

  神が味方になってくださった。  神は味方なるお方。 

  主よ、感謝します。

  主よ、これからも守り導いてくださいと願いつつ、祈りつつ。

   

◎8節

124:8 わたしたちの助けは 天地を造られた主の御名にある。

  主の聖名に助けあり 主こそ、すべてを支配し、守り導いてくださるお方

  ハレルヤ!

 

 

1月31日() 聖日礼拝 説教メモ

             「主を待ち望みます」        詩編130:1-8 

 

★助けがある。

    助けがある、守りがある。 それは大きな支え

  セイフティネット 万が一、落ちても、そこで受け止めてくれる 大きな安心   助けを必要としている今、守りを必要としている今

  新型コロナの困難の中で、

 助けはどこから? 人から、友から、家族から、地方自治体から、国から ?

 

 ○詩編121:1-2

121:1 【都に上る歌。】目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。

121:2 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。  

  主なる神への信頼

   主よりの助け、支え

  

★「主を待ち望みます」

130:1 【都に上る歌。】深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。

130:2 主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。

 

★置かれている状況、ところ

  大きな困難

  深い淵   淵 川の淵

   子ども時代 プールよりも川で泳ぐ  必ず淵と呼ばれるところがある。

   水深の深いところ 飛び込みに最適のところ、潜り泳ぐのに最高のところ

    でも危険もある 溺れたら助けるのが困難

   深い底の底   一番困難なところ   そこに身を置いている

   どうしたら良いのか

    危機、 他の人にも見えない  とにかくそこから抜け出すしかない

   そこからの叫び、助けを求める

    何とか浮かび上がらねば、 どうしよう。 必死にもがく

 

  主に助け求める。主よ助けてください。

   嘆き祈る。 どうしたらよいかわかりません。 

   憐れんでください。 もう限界です。 もうどうすることもできない。

 

  昨年からのコロナの時代

   深い淵の底に置かれる そのようなことが起きている。 自分の身にも

  どこに向かって叫んだら良いのか 誰に向かって叫んだら良いのか

  主に向かって叫ぶのです。  嘆き祈るのです。

     必死に叫ぶ私たちの声を主は聞き届けてくださいます。

  信仰が熱心だからでしょうか?  信仰者として立派だからでしょうか?

   いいえ、違います。

 私たちは、熱心さや立派さを問われたら、合格な人はいません。

 ただ、神が愛の方だからです。

 

あのヨナという人物

  彼は預言者でしたが、神さまからのご命令を聴き、従いたくない。逃げ出した人物です。

  逃亡の途中で、嵐に出会い、海に投げ出される。  

   これでおしまいかと思ったらそうではなかった。

○ヨナ2:1-8

2:1 さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。

2:2 ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、

2:3 言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと 主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めるとわたしの声を聞いてくださった。

2:4 あなたは、わたしを深い海に投げ込まれた。潮の流れがわたしを巻き込み 波また波がわたしの上を越えて行く。

2:5 わたしは思った あなたの御前から追放されたのだと。生きて再び聖なる神殿を見ることがあろうかと。

2:6 大水がわたしを襲って喉に達する。深淵に呑み込まれ、水草が頭に絡みつく。

2:7 わたしは山々の基まで、地の底まで沈み 地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よ あなたは命を 滅びの穴から引き上げてくださった。

2:8 息絶えようとするとき わたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き 聖なる神殿に達した。

 

主なる神が、ヨナを憐れみ助けてくださったのです。

 神に反逆したヨナに対しても、神は、憐れみのみ手を差し伸べてくださった。

 

 私たちも憐れみの神、愛の神に向かって、叫び求めましょう。

   嘆きを主に申し上げましょう。 そして、主に助けを求めましょう。

 

  深淵の淵においては、とにかく、叫びましょう。

   主に信頼して呼び求めましょう。

  ★小学校1年か、2年生の時

   私は扁桃腺を腫らせてだったか、家で休んでいた。

   その時、仲の良い友達3人が川でおぼれた。 川の底に沈んだ 

    たまたま、それを見つけた中学生の人が、3人を掬い上げた。

    それで、3人は皆助かった。 幸いなことだった。

 

130:3 主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。

130:4 しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。

  

主は憐れみ深いお方

 私たちの愚かさを憐れんでくださるお方

 私たちの罪、咎を赦してくださるお方

   

○ルカ福音書15:11-24

15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。

15:12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。

15:13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。

15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。

15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。

15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。

15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。

15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。

15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』

15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。

15:21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』

15:22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。

15:23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。

15:24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

 

  放蕩息子を迎えてくれた父、 それは、父なる神のこと

  息子の帰りを待ち続けた父、 それは父なる神のこと

 

●7-8節

130:7 イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに 豊かな贖いも主のもとに。

130:8 主は、イスラエルを すべての罪から贖ってくださる。

 

 慈しみ  ヘセッド 1)良いこと,,誠実,いつくしみ ,2)咎め,恥 

 贖い  ペドース 贖い,買い戻し

  

  神は、助けてくださるお方、救ってくださるお方

   私たちをあくまで助ける、あくまで救う

   罪の赦しを用意してくださった。そのために主イエスの命を犠牲として。

   私たちが払いきれない自分の罪の代価を、主イエスの命を身代わりとして支払ってくださった。  あの十字架の上で。

 

●5-6節

130:5 わたしは主に望みをおき わたしの魂は望みをおき 言葉を待ち望みます。

130:6 わたしの魂は主を待ち望みます 見張りが朝を待つにもまして 見張りが朝を待つにもまして。

 

 助けを待ち望む。

  暗い夜 周りにどのような危険が潜んでいるか。 身動きできない。

  動こうにも、何も見えない  漆黒の闇

  しかし、朝がやってくれば、周りが見えるようになる。  道を探すことができる。

 

 足首の骨折、大きな怪我  身動きできない その中で

  周りが明るくなれば、誰かが自分を探すことができる見つけることができるかもしれない。 朝日が昇ることを待つ。 やがて待望の朝がやって来る。

 

 助けを求める。 自分を助けてくれる方を。

 主を待ち望む  主ご自身が、自分の抱えている困難を打ち破ってくださるように。

 

 疲れ果てた私の魂を包んでくださるように。 癒してくださるように。

 間近くいてくださるように。 

 主のご支配、主が見捨てておられない。

  見捨てないどころか、主が支えてくださる。

 

主が語りかけてくださる。

  主にみ言葉を待ち望む   主よ、お語り下さいと

 

★「主を待ち望みます」

   主に信頼して、呼び求めましょう。  主の御言葉に耳を傾けましょう。

    聖霊なる神の助け、支えの中で

 

2月7日() 聖日礼拝 説教メモ

             「主が望まれる人とは」       詩編147:1-7 

 

★評価

  ある壺の評価 その金額

   その壺の持ち主の評価額 これだけの価値があってほしい。 

       主観的、希望的観測

   専門の鑑定士の評価額  これだけの価値があります。 客観的

   自分の評価

   自分がなす評価   これこれの、 これだけの

   他の人、周りの人が これこれの評価

    自分では見えない部分、自分はどうしても甘くなる

    周りの人   客観的に

    他の人の評価を気にしすぎても良くない。

    一方、他の人の評価を受けとめる必要もある。

     他の人の評価、意見を受けとめ、謙虚に受け止めることも大切

    評価

    自分がなす評価、他の人がなす評価

    もう一つの評価がある それは神がなされる評価

 

★望まれる人

  こうあってほしい

  3つの方向

   1)自分自身  目標を立て、努力奮闘する

   2)他の人達  こうあってほしい、このような人になりなさい

   3)天の神さま このような人として歩みなさい

  

詩編147:1-7 「主が望まれる人とは」

 

主は愛なるお方

  主は愛なるお方

  何かを求められる方ではない。

   捧げものを、善い行いを、立派な行動をではない。

  主は私たちを顧みてくださるお方

   私たち一人一人のことを、あなたのことを心にかけてくださるお方。

  特に私たちが弱っている時、弱り果てている時

  傷ついている時、癒してくださるお方

     病気

   心の傷、魂の傷  ずきずきと、いつもそれが自分自身を苦しめる。

◎3節

147:3 打ち砕かれた心の人々を癒し その傷を包んでくださる。

   その傷を包んでくださる。

   打ち砕かれる つらい経験で心がボロボロ 大きな失敗、行き詰まり 

    自分自身の弱さ、小ささを知る、 足りない自分自身を知る。

   もうだめだ、もう限界だ    弱り果てる。 

   そのような時に、癒してくださる。

   神の愛で包み込み、元気を回復させてくださる。

 

◎6節

147:6 主は貧しい人々を励まし 逆らう者を地に倒される。

 心の貧しい人々(新改訳)  しえたげられた者(口語訳)

 金銭的に貧しいことも含まれているかもしれないが、

 心の貧しい者、しえたげられている者

  心の貧しい者

   自分自身の乏しさを受けとめる 愛が乏しい、自己中心だ、自分の弱さ、

    ああ、どうすればよいのか  自分はなんとみじめのものか

    どこに助けはあるのか

  しえたげられる 他の人から苦しめられる、苦しみを受ける

   苦しい経験をする 不当に苦しめられる 弱り果てる

 

  主は貧しいものを励ましてくださる。

   貧しい者の味方になってくださるお方

   逆らう者を倒される

   神に逆らう あくまでも、神の御心を踏みにじる。人を苦しめる

   それぞれの持っている価値を踏みにじる、その大切な人格を踏みにじる

    人権侵害  それは、人であっても、国であっても

    どんなに力、財力、権力を持っている者であっても、その力、財力、権力をもって、人を、民族を、少数者を 立場の弱い人を苦しめる者、国はついに滅ぼされる。

 

神が喜ばれないこと

◎10節

 

147:10 主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく人の足の速さを望まれるのでもない。

 何をして構わないのだ。 自己中心。それをますます大きくしようとする。

   他の人、他の国を犠牲にしても構わない

   謙虚さを失う。  神のより頼まなくても良い。 傲慢になる。

  神はそれを喜ばれない。

 

神が望まれること、望まれる人

◎11節

147:11 主が望まれるのは主を畏れる人 主の慈しみを待ち望む人。

★主を畏れる人

 ・敬虔な人   神を心から畏れる人

   敬虔そうな人ではない  敬虔そう 実際はそうではない

    人にはそう見える、見せかける 実際は、神を畏れない。

   敬虔な人 神の御心を尋ね求める それを受けとめ従うために

 

★主の慈しみを待ち望む人

  慈しみ へセド 良いこと誠実いつくしみ

   神の愛、神の救いを待ち望む

   神の救いを感謝して受け取る者

   神の契約の愛を感謝して、その愛のもとに歩む者

   

  主が望まれる者

   主が喜ばれる者 主を畏れ、主の慈しみを待ち望む者

 

○詩編139:1-24  

  ある敬愛する牧師 N牧師  ここから何度もメッセージをされた。

   その中心聖句は

〇19節

139:19 どうか神よ、逆らう者を打ち滅ぼしてください。わたしを離れよ、流血を謀る者。

   逆らう者、流血を謀る者

    他の人ではない。自分自身の内のそのような思い、傾向性

    主を畏れない心。自分勝手に歩もうとする力、思いがある

  他の人のことではない、私自身を憐れんでください。

  私自身を清めてくださいと願う祈り

 

○詩編119編

119:25 わたしの魂は塵に着いています。御言葉によって、命を得させてください。

119:37 むなしいものを見ようとすることから わたしのまなざしを移してください。あなたの道に従って 命を得ることができますように。

119:88 慈しみ深く、わたしに命を得させてください。わたしはあなたの口から出た定めを守ります。

119:93 わたしはあなたの命令をとこしえに忘れません それによって命を得させてくださったのですから。

119:107 わたしは甚だしく卑しめられています。主よ、御言葉のとおり 命を得させてください。

119:116 あなたの仰せによりすがらせ 命を得させてください。わたしの望みを裏切らないでください。

119:144 あなたの定めは とこしえに正しいのですから わたしに理解させ、命を得させてください。

119:149 主よ、慈しみ深くわたしの声を聞き あなたの裁きによって命を得させてください。

119:156 主よ、あなたの憐れみは豊かです。あなたの裁きによって命を得させてください。

119:159 御覧ください わたしはあなたの命令を愛しています。主よ、慈しみ深く わたしに命を得させてください。

 

命を得させてください。

  一番大切なもの  家、自家用車、家具、別荘?

   それは命ではないでしょうか  命を失ったら元も子もない

   命  肉体の命、寿命   少しでも長く

   病気の時には必死に治療を受ける、薬を飲む

  

 命には、もう一つある。 それは、肉体の命の他に、心の命、魂の命

 心、魂に命が失われたら、希望を持てなくなる。

  心、魂が支えられている、エネルギーがある。

 生きる力、希望

 目の前にどのようなことが起きても、どのような中に投げ込まれても

  支えられ、守られ、強められ、生き続ける命

  霊的な命

   この世が与ええない命、自分でも作り出せない命

   その命は、主なる神がお持ちである。

  その命を注ぎ与えてください。 この私に。

 

 主イエス様によって備えられた命

  罪の赦し、神の子どもとしての身分、資格  永遠の命を

 

「主が望まれる人とは」

 ・打ち砕かれた心

 ・貧しい人々

   心の貧しい人々(新改訳)  しえたげられた者(口語訳)

 ・主を畏れる人

 ・主の慈しみを待ち望む人

  

  

2月28() 聖日礼拝 説教メモ

  「目を覚まして祈りなさい」   ルカ福音書21:25-36 

 

★見える

  風景を見る。世界を見る  そこにある風景、世界

 ★見えない場合

   暗闇、夜中、真っ暗 物が見えない 目を下げたまま 地面ばかりを見る

   心が大変なことでいっぱい

    心が心配事、その他でいっぱい

   思い込み ないと思い込む

 

 ★見える場合

   夜明け  周りが明るくなった

   目を上げる  下ばかり見ていた視線を上に向ける

   思い込みを捨てる  心に余裕がある

  

★自分自身を見る

   自分自身を理解する

    他の人は良く見える  他の人の特徴、良い点、悪い点

    案外と自分が見えない

     自分の特徴、自分の癖、自分の欠点  自分の弱さ

 

★世界を見る

   世界の情勢、世界の流れ、世界の課題、問題

    目を高く上げないと見えない。

    自分のことばかり、考えていたら見えない。

  

★時を見る

   今はどのような時か  今は、何をすべきか、今、自分はどうすべきか

   どう歩むべきか

 

★ルカ福音書21:25-38 「目を覚まして祈りなさい」

 

★今の時

 終末の出来事に満ちている

  この世の終わりではない  終末の時代における出来事 

  その出来事の後に起きること

   それが、主イエスの再臨   主イエスによる直接の支配

 

★主イエスの再臨

◎25-28節

21:25 「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。

21:26 人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。

21:27 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。

21:28 このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」

 

  人の子 主イエス

   主イエス 初臨 地上での生涯 公生涯の歩み、十字架と復活

   再臨の約束 

   主イエスの再臨  勝利の主として、すべてを支配される主として

 

  直接目に見える形で来られる

   この世界は、その時にすべて主イエスの支配のもとに置かれる。 

   大いなる力と栄光を帯びて来られる。

 

★時を見分ける

◎29-33節

21:29 それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。

21:30 葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。

21:31 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。

21:32 はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。

21:33 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

 

 季節を見分ける  いちじくの葉が勢いを増す  夏が近い徴

 

 春の訪れ

   雨が多くなる 気温が上がる 日が伸びる  アネモネ、沈丁花、梅  

 

終末の出来事に満ちている

 ①偽キリストの出現(8節)自らを再臨のキリストだと言う。

 ②戦争、暴動、敵対(9-10節)  

 ③大きな地震(11節) この50年間においても大きな地震が起きてい 

る。

 ④飢餓(11節) 8億を超える人たちが十分な食料を得ることができな  

い。

 ⑤疾病(11節) パンデミックの疾病も歴史の中では起きている。

 ⑥恐ろしい現象、しるし(11節)、  ⑦不法(マタイ24:12)

 ⑧愛が冷える(マタイ24:12)、⑨全世界への福音宣教(マタイ24:   

14)

  ⑩キリスト者への迫害(12節)

 

 天地は滅びる、いろいろな大変なこと

 しかし、主のご支配は変わることがない。続いて主のご支配

●33節

 21:33 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

  変わることのない主のご支配

 

★目を覚まして祈りなさい

◎34-36節

21:34 「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。

21:35 その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。

21:36 しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

  時を知る

  目を覚ますべき時  目を覚まさねば

   特に、心に責めを感じることについては、その問題を解決する

 心を重くすることから、心を軽くする 心の目を曇らせることから、遠ざかる

   

〇ガラテヤ5:16-23

  肉の業

  1)姦淫、わいせつ、好色、

  2)偶像礼拝、魔術、

  3)敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、

  4)泥酔、酒宴、その他

  それらのものは、心を支配する  自分の心が、それらのものでいっぱいになる。 主から遠くに心を持って行かれる。

 

 目を覚ます時が来ている

 それらのものにうつつを抜かすことをやめる時が来ている。

 

  放縦、深酒  生活の煩い  日常生活の中で、様々な心遣い

   あれもこれも。・・きりのない事柄については、いつかきりを付ける必要がある。 いつかいつかではなく、祈りをもって

 

★目を覚まして祈りなさい。

  心を主にしっかり向ける 祈りをもって

   御言葉を聞きつつ  礼拝を捧げつつ

 

○マタイ25:1-13  

25:1 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。

25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

25:3 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。

25:4 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。

25:5 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。

25:6 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。

25:7 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。

25:8 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』

25:9 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』

25:10 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。

25:11 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。

25:12 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。

25:13 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

 

  再臨の主をお迎えする。

   花婿を迎える10人のおとめたち   ともしびは持っていた

    愚かなおとめ 油を用意していなかった。

   賢いおとめ  油を用意していた。

 

 油とは、非常時の助け

  非常時 自分ではどうすることもできない

  聖霊なる神  寄り頼む信仰

 

 

 3月7日() 聖日礼拝 説教メモ

           「過越の食事を願った主」    ルカ福音書21:14-23

 

★最後の夕食

  これが、食事だと言われたら

   お米がもうない 味わって食べる。 おなか一杯食べる

  これが一緒に食べる最後の食事だと言われたら

   遠くに行ってしまう  もう二度と会えない

一緒に良く味わって食べる 相手の顔をよく見ながらいろいろとお話をして

 

★イエス様と12人の弟子たち

  これが最後の食事  イエス様は知っておられた。 弟子たちは知らなかった。  どうして、最後の食事だったか。

  次の日に、イエス様は、十字架につけられて殺されてしまう。

    死んでしまう。  イエス様はご存じであった。

  弟子たちは、想像もしなかった。

 

★最後の晩餐  

  主イエスと12人の弟子たち  忘れることのできない最後の夕食

   過越しの祭りの食事   除酵祭 種入れぬパン、苦菜

 

 今日でもユダヤ教徒はニサンの月(34月)の13日の日没とともに家中のパン種を除いて火で焼き、14日から21日まで種入れぬパンを食す。晩餐には家族が集い、出エジプトとその後の民族の艱難時代を象徴する食物をとって歴史をしのび、賛美の詩篇を唱和して解放と自由の祭りを祝う。

 「ペサハ(過越祭)」

  出エジプトの時の10の出来事

1)川の水を血に変える   2)蛙を這い上がらせる

3)ぶよの災い       4)あぶの大群

5)疫病の災い       6)はれ物の災い

7)雹を降らせる      8)いなごの災い

9)暗闇がエジプトを覆う  10)長子の死

10番目の出来事 過越しの出来事

 

★「過越の食事を願った主」

★最後の晩餐

  過越しの祭りの時に  過越しの食事

 

  主イエスと12人の弟子たち

 この過越しの食事を切に願った主イエス

◎15-16節

22:15 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。

22:16 言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」

  種入れぬパン、苦菜、そして子羊  これらをいただく

子羊の命をいただく  その肉を  そしてその血を

 

★過越しの出来事 

○出エジプト12:1-42

12:1 エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。

12:2 「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。

12:3 イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。

12:4 もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。

12:5 その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。

12:6 それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、

12:7 その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。

12:8 そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。

 

12:12 その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプト の国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。

12:13 あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。

 

12:21 モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。

12:22 そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。

12:23 主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。

 

12:29 真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれたので、

12:30 ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった。

 

 過越しの出来事

  この出来事により、勝利が与えられた。

  出エジプトの勝利  奴隷からの解放

 

 この出来事の前に同じく、決定的なできごとがあった。

○出エジプト2:23-25

2:23 それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。

2:24 神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。

2:25 神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。

   それは、民の叫び  助けてください。憐れんでください。 必死の叫び

  でもこれが決定的な出来事ではなかった

     アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに

 

○創世記17:1-8

17:1 アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。

17:2 わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」

17:3 アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。

17:4 「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。

17:5 あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。

17:6 わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。

17:7 わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。

17:8 わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる。」

 

 神の約束(契約)

  あなたたちの神となる  あなたたちを救う

 

★主イエスの覚悟

  十字架にかかる  自分自身が犠牲になる

  罪の贖いのために

   払いきれない罪の代価をすべて支払うために。

 

○コリント二5:21

5:21 罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。

 

ご自身の命を献げる

 十字架の意味を教える その時には、弟子たちはその意味が分からなった。 でも、後にその意味を知るに至る。

   

●19-20節  

 22:19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒 たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

22:20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

 

★過越の食事を願った主

  ひとえに、弟子たちのため、私たちのためであった

   罪の赦しを与えるため。  神の子としての命を与えるため

   永遠の命を与えるため。  御国の命を与えるため。

  

  この世における様々な悩み、苦しみ

   その中にあって、主と共に守り、助けをいただき生きるために

   希望をもって歩み続けるために。

 

   

3月14日() 聖日礼拝 説教メモ

          「わたしの願いではなく、御心を」 ルカ福音書22:39-46

 

★私の願い

  わたしの願いをかなえたい。通したい。  あくまでもわたしの願いを

  それがかなうと満足、それがかなわないと面白くない、不満足、不機嫌

  子どもだけでなく、大人の私たちも

 

★他の人の願い

  他の人が願っていること、切に願っていること

  他の人の思いをどれだけ心にとめているか

   ほとんど、とめていない。上の空、全くとめていない。

   その人の内にある悩み、苦しみ  どれだけ心にとめているか

    もしとめていれば、何らかのアクション、接触

 

★願いが叶わない時

  願いがずっとかなわない。 思い通りにいかない

   悩む、苦しむ、不安になる。

   現在のこと  現在抱えている問題、課題 難しい課題、重い課題    

 人にはなかなか言えない、相談できない

   将来のこと  どうなるのか、

 

★主を見上げましょう。

  主に祈りましょう。   御言葉を握りしめましょう。

  

★「わたしの願いではなく、御心を」

  ゲッセマネの園での祈り  弟子たちと最後の夕食を終えて、その夜

  主イエスは、祈りのために、ゲッセマネの園へ

   普段お祈りの場所、静かな場所

   

  その夜の祈り  その祈りの後には、捕らえられ、逮捕

  そして、一晩中、朝方まで 裁判   そして有罪判決

  そしてゴルゴダの丘へ   十字架刑

  

  弟子たちは、最後の晩餐の夜に何が起きるのかわかっていなかった。

  主イエスはご存じであった。

   イスカリオテのユダの裏切り

  ユダヤ人の宗教指導者たち、長老、律法学者たち

   捕らえに来る。

   捕らえたなら、必ず、強引にでも裁判、十字架に持ち込む。

 

★ゲッセマネの園での祈り

◎ルカ福音書22:39-46

22:39 イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。

22:40 いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。

22:41 そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。

22:42 「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔

22:43 すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。

22:44 イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕

22:45 イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。

22:46 イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」

 

★他の平行記事

○マタイ福音書26:36-46

 

○マルコ福音書14:32-42

 

3人の弟子たち

 ペトロ、ヤコブ、ヨハネ

  共に祈ってほしい

 主イエスお一人ではなく、3人の弟子たちを連れて、ゲッセマネの園へ

 自分の悩み、苦しみを少しでも受け止めてほしい。 祈りを合わせてほしい。

 ここで祈っていてほしい。 心を合わせて祈ってほしい。

●40節

22:40 いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。

 

 弟子たちは、眠りほうけていた。 主イエスの悩み、苦しみを少しも理解していなかった。

  眠りこけていた。 疲れていた。自分のことで一杯いっぱい。

 

●46節   

22:46 イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」

 

  祈りより、眠り

  主イエスの悩み、苦しみを全く理解していなかった。

  この後の起こることを理解していなかった。

  次の日には、主イエスは十字架につけられてしまう。

   十字架上での死、別れが迫っている。

 

★弟子たちの姿

 それは、私たちの姿でもある  主の要請、願いをどれだけ受け止めているか

  他の人の悩み、苦しみを少しでも心にとめているか。

 

★主イエスの悩み、苦しみ

  捕らえられ、裁判にかけられる。 侮辱される。

  罵倒され。唾を吐きかけられる。 鞭打たれる。

  十字架を背負って、ゴルゴダの丘へ そこで、十字架刑に処せられる。

 

 この地上での最後の歩み

  それは、屈辱であり、苦しみである。 耐えられないほどの痛み。苦しみ

  それを受けなければならない。

  そこから逃れる道はないのか。 できることならば、これを受けないで、そこを通らないで。 そのことで悩み、苦しまれた。

  できることならば、そこを通らなくて済むように。 そこを通ることの恐れ、悩み、苦しみ。

 

○マタイ26:39,42 

26:39 少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いど

おりではなく、御心のままに。」

26:42 更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。

  

主イエスの呻き

  この道を進む。

  十字架への道 それは、屈辱であり、苦しみであり、耐えられないほどの痛み、苦しみ 気が遠くなるほどの苦しみ そして、最後は命の終わり

   愛する弟子たちとの別れ この地上での歩みが終わる。

   消えて行かねばならない。

 

★ゲッセマネ

  油絞りの意味 オリーブの実からオリーブオイルを

 搾油をする方法は、昔ながらの方法で行われる場合もあれば、近代的な設備の場合もあり、いろいろのようです。昔ながらの方法では、大きな円盤上の石が、タテに回転してオリーブの実を粉砕する仕組みのものを目にしました。回転する石はかなり大きく、直径が2m近くあった印象です。石臼によって粉砕する方法と言われます。

  オリーブの実をペースト状に砕く工程です。

オリーブの実の中には種があります。多くは種ごと粉砕されます。

ペースト状になったオリーブ、次は、「練り込み」という作業が行われます。

  伝統的な方法もいくつかありますが、前述した、大きな石(石臼)が回転して粉砕する方法では、オリーブの実は空気にさらされた状態で粉砕・練り込みがされ、温度の管理はされていません。

  練ったペーストから油分を取り出す

 昔ながらの伝統的な方法では、『圧搾法』と呼ばれる方法があります。「フィスコリ」とよばれる円盤状のマットにペーストをのせてから、それを何重にも重ねて、上から圧をかけて抽出する方法です。

  オリーブオイルの誕生 私たちの食卓へ

 

★主イエスの祈り

●42-44節

22:42 「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔

22:43 すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。

22:44 イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕

 

○マタイ26:39、42,44節

26:39 少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いど

おりではなく、御心のままに。」

26:42 更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」

26:44 そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。

 

○マルコ14:36

14:36 こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。

 

★わたしの願いではなく、御心を

  主イエスは、最終的に十字架の道を選び取ってくださった。

  父なる神の御心

   私たちに罪の赦しを与える

   神との関係の回復

   そのために罪のなき神の独り子なる主のイエスの命が必要であった。

   主イエスは、その道を進むことを選んでくださった。

  

 3月21日() 聖日礼拝 説教メモ

   「十字架につけよと叫んだ人々」 ルカによる福音書23章13-25節

 

 

★使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊(せいれい)によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生れ、

ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、

三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座  

したまえり、かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審(さば)き  

たまわん。

我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、

聖徒の交わり、罪の赦し(ゆるし)、身体(からだ)のよみがえり、

永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。  アーメン。

 

ポンテオ・ピラト 

ローマ帝国が、紀元2636年まで、パレスチナに駐在させていた5代目の行政長官で、総督とも呼ばれた。

パレスチナ(ユダヤ、サマリヤ、イドマヤ)の総督は、皇帝直属の立場に置かれ、すべての法的権限を行使することができた。

 

◎ルカ福音書23:13-25

23:13 ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、

23:14 言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。

23:15 ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。

23:16 だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」

23:17 底本に節が欠落 異本訳)祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。

23:18 しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。

23:19 このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。

23:20 ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。

23:21 しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。

23:22 ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」

23:23 ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。

23:24 そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。

23:25 そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。

 

★平行記事

 ○マタイ7:15-26

 ○マルコ15:6-15

 ○ヨハネ18:39-19:16

 

★主イエスの裁判

  総督ピラトのもとで    そこに集まった者たち

 

①兵士たち、ピラトの手下

○ヨハネ19:1-3

19:1 そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。

19:2 兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、

19:3 そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。

 主イエスをとらえ、大祭司カヤファのもと、総督ピラトのもとへ

 荒々しい扱い 鞭打ち 平手打ち

 

②祭司長、長老、律法学者

○マタイ27:20

27:20 しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。

○マルコ15:10-11

15:10 祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。

15:11 祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。

  ゲッセマネの園へ 主イエスを捕らえる イスカリオテのユダの手引きで

 なんとしても、主イエスを消し去りたい。

 自分たちの立場が危うい  自分たちの権威が失墜

 邪魔者は消せ  邪魔なもの、都合の悪い者  ねたみ

 

③ポンテオ・ピラト

ピラト自身

 この主イエスには、罪がない。十字架刑にする必要は少しもない。

●14節 

23:14 言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪は この男には何も見つからなかった。

●16-22節

23:16 だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」

23:17 底本に節が欠落 異本訳)祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。

23:18 しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。

23:19 このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。

23:20 ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。

23:21 しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。

23:22 ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」

23:23 ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。

23:24 そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。

23:25 そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。

 

○マタイ27:24-26

27:24 ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」

27:25 民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」

27:26 そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。

 

○ヨハネ19:12-16

19:12 そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」

19:13 ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。

19:14 それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、

19:15 彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。

19:16 そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。

   自分の立場を守るために  自分の益、立場、

  真実を曲げる   罪のない方を罪に定めた。   引き渡した。

 

④群衆、人々

●17-21節

23:17 底本に節が欠落 異本訳)祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。

23:18 しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。

23:19 このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。

23:20 ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。

23:21 しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。

 

○マタイ27:20-23

27:20 しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。

27:21 そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。

27:22 ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。

27:23 ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。

   十字架につけよ バラバを赦せ 十字架につけよ

 週の最初の日 棕櫚の葉を振りつつ、ホサナと叫んだ人たちもいたことでしょう。 自分たちの思い描いた方ではない。  自分たちの期待とは違う。

 祭司長、長老たちによる説得  動かされた。

  群衆の叫び

  「十字架につけよ」

  そんな奴はいらない、始末せよ。殺してしまえと

  

★十字架につけよと叫んだ人々

  ①兵士たち、ピラトの手下

  ②祭司長、長老、律法学者

  ③ポンテオ・ピラト

  ④群衆、人々

 

○イザヤ書53:1-4

53:1 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。

53:2 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。

53:3 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。

53:4 彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。

  その人々 それは、私たち自身の姿

 

○イザヤ書53:5-8

53:5 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

53:6 わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。

53:7 苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように 毛を切る者の前に物を言わない羊のように 彼は口を開かなかった。

53:8 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを。

  主イエスは十字架に追いやられた。 それを甘んじて受けてくださった。

  私たちに神との平和を与えるために、癒しの恵みを与えるために。

   

3月28日() 棕櫚の聖日礼拝 説教メモ

      「十字架上の主イエス」     ルカ福音書23:26-43

 

 

 ★棕櫚の聖日

  主イエスのエルサレム入場 ロバに乗って  捕らえられ、処刑される可能性は大きい中で。   人々の歓声

 

 ★木曜日には、捕らえられ、裁判に

  人々 十字架につけよと叫ぶ

 

 ★金曜日

  処刑の日  ゴルゴダに向かう主イエス

  その前には、鞭打ちの刑   全身、傷だらけ

  この日に、主イエスは十字架刑に処せられた。

  命を奪い取られた。 悲しみの日 弟子たちにとっては、大きな悲しみ

   愛する主を失う。何もできなかった。助けることも。むしろ逃げていた。

 

★キレネ人シモン 

◎26節

23:26 人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。

○マルコ福音書15:21 

15:21 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。

  なんと不運な、なんと運の悪い、最悪だ

  なぜ、こんなことを自分は受けなければならないのか シモンは思った。

   一番運が悪い、こんな目に遭って

   十字架を担わされる 命じられる 逃げ出すこともできない。

    恥ずかしい、みじめ、こんなひどいこと

  ローマの信徒への手紙 最後の挨拶の中に、ルフォスという名が出てくる  ひょっとしたら、シモンは、主イエスの十字架刑、復活の後に

   主イエスを信じる者になった可能性もある。

   その子どものルフォスも主イエスを信じる者になったのかもしれない。

  こんな不運な。こんなみじめな その出来事を通して

 

★悲しむ人たち

   嘆き悲しむ婦人たち

   主イエスの女性の弟子たち 主に最後まで従った。

   男性の弟子たちは逃げてしまったが、婦人たちはそっと後に従った。

◎27節 (27-31節)   

23:27 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。

 

 救い主が取り去れれる。

  大きな悲しみ 自分たちにとって、そしてその子どもたちにとって

   キリスト教会、クリスチャンへの迫害

   その悲しみはやがて、喜びに変えられる。 しかし、その前には悲しみが

 

★十字架刑に 

  三本の十字架  3名の者 真ん中に主イエス 両脇に重大な罪を犯した者

  手と足に大きな釘が打ち込まれる  気絶するばかりの痛み

 

●32-33節  

23:32 ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。

23:33 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。

   罪人の一人に数えられた。

 

★ひどい仕打ちと主イエスの祈り

◎34節 (34-38節)   

23:34 そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。

 

 ひどい仕打ち

  嘲り、侮辱、物笑いにされる、さらし者  自分を救ってみろ やってみろ

  民衆、兵士   鞭打ちもされた。

  私たち

  本当に許せない、なんとひどいことを。絶対に忘れない

  一生恨んでやる。 呪いをかけてやる。  絶対に許さない。

  私たちは、あなたはいかがでしょうか?

 

  主イエスは、どうであったか。  十字架から降りて来られなかった。

   呪いをかけなかった。 父なる神に厳罰を願うことはできた。

   しかし、そうはされなかった。

   「彼らをお赦しください。」ととりなし祈られた。

   赦しをいただいている。 それなのに、許せない。

   赦しをいただいていることを忘れないようにしましょう。

 

★ 両脇の犯罪人

   最初二人とも、絶望の中   そして、主イエスをののしっていた。

   一人の人は、最後までののしり続けた。

   もう一人の人は、心に変化   ののしられても、ののしり返さず。

  苦しみを耐えておられる。十字架の苦しみを深く受け止めておられる。

   そして、父なる神への祈り とりなしの祈り

 

◎39-43 節

23:39 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」

23:40 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。

23:41 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」

23:42 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。

23:43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

 

もう一人の男

 心に変化  自分は、やって来たひどいことの罰を受けている。

  十字架につけられた。もう逃げだすことはできない。

 もう少ししたら、後の終わり。

 

 このお方 イエスという方  ただの方ではない。

  父なる神から遣わされた救い主ではないだろうか。

  彼は、自分自身の罪を認める。  自分は、まさに罪人

  このイエスというお方は違う。罪がないのに、十字架刑につけられている。 この私を御国で思い出してください。

  あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

   あなたは、御国に入ることができる。

    このわたしとの出会いを受けとめ、自分自身の罪を認めた。

    そして、わたしにより頼んだ。

   罪の赦しをあなたに。

 

★十字架上の主イエス  

  苦しみを受けられた。 耐えられた。

  人々の侮辱を受けられた。 やり返されなかった。 とりなし祈られた。

  父なる身の寄りすがり、霊なる神も共に

  一人の罪人を赦された。

  そして十字架の上で、救い主としての務めを全うされた。

  感謝します。

 

 4月4日() イースター礼拝 説教メモ

      「復活された主イエス」    ルカ福音書24:1-12

 

 

★励ましと支え

  励ましを受けることは感謝、支えられることは嬉しいこと

  心に励ましを受ける   心が元気になる

  心が弱るときがある 病気の時、難しい問題を抱えるとき 心がしぼむ  

その心が膨らむ 再び元気に

  励ましと支え

   周りの人、家族、親しい友達

   自分自身で心を励ますことも 鼓舞する

   今までの歩み その実績、思い出

    特に、自分を愛してくれた人による励まし、共に歩んだ思い出

    そのことを思い出し、励まされることがある。

    一方、それは過去のこと 過ぎ去ったこと 寂しくなることがある。

 

  死んだ人に語りかける人もいないわけではない。

  私たちは、今も生きておられる方に語りかける。 呼び求める。祈る

  それを受けてくださるのが生ける主、復活の主イエス

   聖霊なる神を通して、祈りを受けとめてくださる。

   復活の主の大きな恵みにより励まされる、力を受ける

    心が膨らむ、元気が与えられる、希望が与えられる。

 

★復活された主イエス

 十字架の処刑 金曜日の日

  主イエスは、受難週の金曜日にゴルゴダの丘で十字架刑  むごい処刑

   午前9時に十字架につけられ、午後3時に息を引き取られた。

    成し遂げられたと語られ息を引き取られた。

    救いの業が成し遂げられた

  主イエスの十字架の死

  それはむなしい死ではなかった。

  私たち人間の罪をすべて背負い、担われ、その罰を受けてくださった。

   私たち一人一人の救いのために

    罪を赦すために そのことで、神との断絶が取り除かれた。

   主イエスを自分の救い主と信じる者は、皆例外なく、罪の赦しをいただくことができる。  神の子どもとしての資格、永遠の命をいただくことができる。

  弟子たちの悲しみ 愛する主を失った。  喪失感の極み

 

 3日目の日曜日の早朝

  女性の弟子たちは、せめて、ご遺体に香料を塗って差し上げようと出かけて行った。

  当時は、死んだ人に対しては、その遺体を布に包み、洞窟の墓に安置する。  出口は厳重に蓋をする。

 

その朝の出来事

  入口の大きな石は取り除かれていた。

   遺体はない。 途方に暮れる女性の弟子たち

 

◎4-8節  

 24:4 そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。

 24:5 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。

 24:6 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。

 24:7 人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」

 24:8 そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。

  二人のみ使い

  人の子 主イエスのこと  その予告の通りに復活された。

 

〇ルカ18:31-34

 18:31 イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。

 18:32 人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。

 18:33 彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」

 18:34 十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。

 

 十字架の死と復活

  十字架上での死  そして、三日目に復活する。

  死を打ち破ると。 陰府より戻ってくると

  陰府 死者の世界 もう二度と抜け出すことのできない国

  死んだ者はすべてそこに  もう二度と生きることができない。 

この地上にも戻ってくることはできない。

  死の世界 

  その陰府を打ち破られた。

 

◎5-6節

 24:5 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。

 24:6 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。

   生きておられるお方

  復活なさったお方 主イエス

  

〇コリント一15:12-26

 15:20 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

 15:26 最後の敵として、死が滅ぼされます。

   復活の主

  初穂 最初の者  それに続く恵みを指し示す  

  その恵みを受ける。

  

○コリント一15:3-11

 15:3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、

 15:4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、

 15:5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。

 15:6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人か は既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。

 15:7 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、

 15:8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。

 15:9 わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。

 15:10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。

 15:11 とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。

   迫害者サウロは作り変えられた。

   復活の主が後にパウロとなるサウロに臨まれた。

   主イエスを信じる者を迫害する者から、主イエスを信じる者に

    そして、主の愛、救いの恵みを伝える者に変えられた。

   その生涯を振り返るとき、 神の恵み、神の愛

    神の恵みによって、私は支えられ、なすべきことをなしてくることができたと。

  

〇コリント一15:51-56

 15:54 この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。

 15:55 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」

 15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

 15:57 わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。

 

 ★死

  最も大きな敵、最も強い敵  怪物   すべてを飲み込む

  その最大の敵、怪物を打ち倒された主イエス

 

  死

   すべてを飲み込む 陰府の世界へ

   陰府 死者の世界    誰も抜け出すことはできない

   その陰府を打ち破られた。  死を打ち破られた。 

 

★人生における困難

  様々な困難  大きな困難  戸惑い、あきらめ、不安

  復活の主と共に  希望の光   出口が備えられる

 

 復活の主は今も生きておられる。

 あなたを愛していてくださっている。

 復活の主は、キリストの霊でもある聖霊にあって私たちの人生を祝福してくださる。 共に歩む恵みを与えんと招いておられる。   ハレルヤ! 

 

 

 4月18日() 聖日礼拝 説教メモ

      「平和があるように」     ルカ福音書24章36-49節

  

一番輝いているもの

  それは何でしょうか?

   太陽という人もいるでしょう。 おいしいご馳走を食べている時の顔

   難しい試験に無事合格した時の顔 ・・

  赤ちゃんがお母さんの母乳を飲んでいる時の顔も

そこには、安らぎがある。 赤ちゃんの機嫌が良い時の笑顔

   それは、見る者にもほっこりさせる。 笑顔にする。

 

大人である私たちも輝きを持ちたい。

  子ども時代はできたけども、大人になった今は無理?

  いろいろなことを抱え込んで、そう笑顔ではいられない。

  現役を退いて、以前のようにはできない。

  体も衰えてきて、そのことが気がかり  現在と将来のことが心配 

 

  そうとも言えますが、決してそうではありません。

  主にあっては。輝きを持つことができるのです。

   主より、満たしをいただきそうありたい。

   魂に満たし  聖霊なる神による満たし

 

聖書の御言葉

  一番素敵な御言葉の一つ

  それは、テサロニケ一5章16-18節ではないでしょうか

○テサロニケ一5:16-18

5:16 いつも喜んでいなさい。

5:17 絶えず祈りなさい。

5:18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

 

 喜び、祈り、感謝  それを満たしていただきましょう。

  これが満ちている時、輝くことができる。

  自分が頑張ってではなく、主がその喜び、祈り、感謝を満たしてくださる。 その時に輝くことができる。それは素晴らしいことです。

 

「平和があるように」

主イエスが十字架につけられた金曜日から三日たった日曜日の出来事

  エマオに向かう途中で、主イエスが二人の弟子に現れてくださった。

  その時にも、落ち込んでいた二人の弟子を励ましてくださった。

   元気を与えてくださった。

   元気を失った弟子たち 失意落胆 すべてが終わった もはや希望はない 

   主イエスは素晴らしい方だったが、過去の方になってしまった。

   そうではなかった。 現在の方、今も生きておられるお方

  その他の弟子たちのもとにも、復活の主イエスはおいでくださった。

  その出来事を伝える個所

 

●ルカ福音書24:36-43  

24:36 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

24:37 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。

24:38 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。

24:39 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」

24:40 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。

24:41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。

24:42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、

24:43 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

 

弟子たちの恐れ

 自分たちは、主イエスを裏切った、見捨てた。

 自分たちを愛してくださった主イエス その主イエスが捕らえられた時、見捨てて逃げ去った。  裁判の時のも、近づかなかった。

   唯一近づいたペトロは、三度知らないと、関係ありませんと言った。

 十字架の場面でも、多くの弟子たちは、近づかなかった。

  自分の身に危険が及ばないように。

 自分たちは、主イエスを見捨てたのだ。 恩をあだで返したのだ。

   いや、仕方なかったのだと言い聞かせても、心のしこりが

  あの時、どうしたああしなかったのだろうか

  どうして、ああしてあげなかったのだろうか、

  なぜ、あんなひどいことをしてしまったのだろうか。

   あんなひどい言葉を出してしまったのだろうか、ひどい態度に出てしまったのだろうか  

  まじめな人であれば、あるほど、自分を責める。責めてしまう。

 

 自分がしたあの事、自分たちがしてしまったあのひどい出来事

 誰が見ていたのではないか

 そのことが、いつか明るみにされるのではないだろうか?

 そのことの責任が追及されるのではないだろうか

 あのことで、倍返しが来るのではないだろうか? 

 自分に対しての逆風の倍返し、仕返し。呪いの倍返し 恐れる、不安になる。

  平安を失う。 心が落ち着かない。 いつもびくびく

 思い出すたびにびくびく、自分の心が痛む。

 

主イエスの弟子たちはそうであった。

 主イエスの恩をあだで返した  裏切った。見捨てた。

 その結果、主イエスは、十字架刑にかけられた。

神はすべてをご存じだ。

 この落とし前はどのように返ってくるのだろう。 戦々恐々、不安、恐れ

 しかも、主イエスは過去の方では、弟子の二人に現れた。

 

○ヨハネ20:19

20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

 

 家の戸に鍵をかけて息をひそめていた。

  見つからないようにと。 もし見つかっても入ってこれないようにと

 弟子たちは、主イエスを捕らえ、十字架にかけたユダヤ教指導者たち、ローマ軍の兵隊たちを恐れておいた

 

それと共に、すべてをご存じの神を恐れていた。

 輝くどころではない。 輝きを失っていた。

 

その時の出来事

復活の主が来られた。入って来られた。彼らの真ん中に立たれた。

 どんな言葉を浴びせられるだろうか。 どんな非難の言葉がかけられるだろうか どんな呪いの言葉が。 そして、断罪され、裁かれるだろうか

 

主イエスの言葉。そ◎れは

 ◎36節

24:36 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

 

〇ヨハネ20:19

20:19イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

口語訳

20:19 イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。

○新改訳

20:19 イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。 

 神からの赦しの言葉、宣言

 恐れる必要はない。もう自分を、自分たちを責める必要はない。

 神の赦し 裁きではなく、赦し のろいではなく、祝福

 弟子たちは、どんなにほっとしたことでしょうか。

 

肉体を持って復活された主イエス

 その時、弟子たちの前で、魚をも食べられた。

 

輝きを失っていた弟子たちは、その時輝きを取り戻した。

笑顔を失っていた弟子たちは、笑顔を取り戻した。

 

不安は、取り除かれた。恐れの心は、取り除かれた。 なんという幸い。

 

私たちはいかがでしょうか? あなたはいかがでしょうか?

 心に責めを感じること 心に、恐れ、不安はないでしょうか?

 何かがひっかかって、 あの事がひっかかって

 

主に申し上げましょう。祈りましょう。

主よ、このことで、私の心は苦しんでいます。責められています。

 いつ、あの事が裁かれるか、心配でいっぱいです。

 平安がありません。安らぎがありません。

 

主よ、この私に、赦しを与えてください。

 平安を与えてください。 安らぎを与えてください。と

  主は、必ず与えてくださる。 その大いなる恵みをいただきましょう。

 

主イエスの語られたこと

  救い主なるお方の歩み

  それは、苦しみを受けられ、復活されるということ。

 

●ルカ福音書24:44-49

24:44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」

24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、

24:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。

24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、

24:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。

24:49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

〇46節

24:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。

  十字架上での苦しみ、それを経ての死

  その死からの復活 三日目の復活。

   死に対する勝利。 十字架の死による罪の赦し  救いの完成

 

罪の赦しを得させる悔い改め

  悔い改めとは、あんなことをしてしまった。

   あんなことを言ってしまったと悔やむことではない。

 

 自分の心が、主に向いていなかった。主から離れていた

  そのように歩んでいたことを認め、そのことを悔い改める。

  そして、主に対してそっぽを向いていた。反対向きに抜いていたことを

   悔い改めて、主の方に向き直ること。

 

 主イエスの十字架と復活は、自分のためであったことを認め、

  主イエスを私救い主と認め、迎え入れること

そのことで、罪の赦しが与えられる。

 

キリストの証人

 主からの赦しをいただき、歩む。

 主より、平和、平安、安らぎをいただき歩む。 その時、輝くことができる

自分の頑張りにより輝きではない。

主より与えられる喜び、祈り、感謝による輝き

 主より与えられる恵みの満たしにより輝きです。

 

 

 4月25日() 聖日礼拝 説教メモ

       「知恵の初め」             箴言1:1-7 

  

★主を畏れることは知恵の初め。(7節)

【口語訳】 主を恐れることは知識のはじめである。

【新改訳改訂3】 【主】を恐れることは知識の初めである。

 

★知恵、知識

 それが欲しい、それを持っていれば、いろいろなことがうまく、何でもできる  知恵を求める、知識を求める。 それを頭に詰め込む。

  知恵ある人、知識ある人  他の人よりも多くの知識、知恵

   コンピューター AI(人口知能)

   知恵、知識は持てば持つほど良いか?

   あまりに多くのことを考えすぎて、頭が痛くなることがある。

   その知恵、知識を誇る。  その人を謙遜にするなら、幸い。 

      多くの場合、その人を時に傲慢にする。

    知恵、知識によって、他の人から抜きんでる。人々の称賛を受ける。

    その知恵、知識によっていろいろなものを他の人より、優れて多くのものを手に入れる。

  知恵、知識の活用

   それが正しく用いられれば、幸い。

    間違って用いることがある。 悪用することがある。

 

★知恵、知識をどう用いるか

 コントロールすることは簡単ではない。

  その知恵、知識が自分を間違った方向に向かわせることがある。

  他の人を苦しめることがある。

 

★主を畏れること

  主を恐れることの必要

 

◎箴言1:1-7  

1:1 イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。

1:2 これは知恵と諭しをわきまえ 分別ある言葉を理解するため

1:3 諭しを受け入れて 正義と裁きと公平に目覚めるため。

1:4 未熟な者に熟慮を教え 若者に知識と慎重さを与えるため。

1:5 これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加え 聡明な人も指導力を増すで あろう。

1:6 また、格言、寓話 賢人らの言葉と謎を理解するため。

1:7 主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。

   知恵、知識、諭し という言葉

 ・未熟な者、若者

 ・賢人、聡明な者 

   未熟な者、若者のままでないように。

   賢人、聡明な者になりたい。

   

★誘惑

  人生の途中で誘惑がやって来る。

  惑わし、誘惑は魅力的、惹きつけるものがある。 自分の欲をくすぐる。

   それによって、自分の思い通りになる。欲望が満たされる。

    いっぺんに良いものをたくさん手に入れることができる。

    簡単に、   〃

 

○箴言1:10-19 

 人のものを奪い取る。

  うまい話、それがやって来る。 心を動かされる。 それに乗ってしまう。

   その道を進んではならない。その道を離れよ。

    他の人からの忠告 自分を愛し心配してくれる人

   そのうまい話をしてくる者

    目先のことばかりを話す。こんなうまい話はないと。

    そのうまい話に乗ってしまう。

   他の悪い人からだけでなく、自分自身が自分に語りかける。

    そして、その方向にかじを切る。

   その結末  自分の墓を掘る。失うのは自分の命

    自分の一生を棒に振ってしまう。

  冷静に考えれば、わかる。 その時には、冷静さを失う。

  この道が最高、最善だと考えてしまう。

   実際には、最低、最悪 それが見えなくなる。

   人のもの

   その相手の大事にしているもの

    それは命である。それは、その人の持ち物である。人格。その人自身

   それを簡単に踏みにじる。台無しにする。

    自分の欲望のために、欲望を満たすために。

   それがどんなに間違っていることか、どんなに悪いことかを自覚しない。

 

 そのようなことをする人のそれまでの歩みに関係がある。

  自分中心、自分さえよければよい。 自分の願うものを必ず手に入れる。  

   相手のことは知らない。 自分の考え、願いが一番大切。

  そのように考え、育ってきた。 他の人にひどいこと平気で行う。

 

 ★自分の大切さ

   自分が大切された。愛された。 その経験はとても大切。

   自分は大切な者

 

 ★他の人の大切さ

   自分は大切な者、他の人も大切な者

   他の人の命、持ち物、人格

 

 ★その大切さを支えるもの

   その個人、その人自身  その人には、その家族がいる、・・

   そこに、神さまの存在

   天の神さまによって、この世に命を与えられた。

    父母を通して生れ出てきた。

   この私の命、人生に目をとめておられるお方がおられる。

    愛を注いでいてくださるお方がおられる。

    私のために、命をかけてくださった方がおられる。

     神は、この私のために主イエスをこの世にお遣わしくださった。

     主イエスは、この私のために、十字架で命を投げ出してくださった。

   主イエスは、復活して、戻ってきてくださった。

 

 ★その方を心にとめる 

   その方がおられる。 自分は顧みられている。 愛されている。

  自分がダメな時にこそ、引き寄せてくださるお方、 憐れんでくださるお方     

  その方を心にとめる。

 

 ★主を畏れるとは

   すべてを支配しておられるお方。 すべてをご存じのお方。

   すべてを公正に裁かれるお方。 その方は、また、この自分に目をとめていてくださるお方  その方は自分に愛を注いでいてくださる。

   その方の愛に感謝する。

   自分がどう歩むかを思案する。

    主が望まれることは何だろうかと考える。

   考えるだけでなく、祈る。

   祈ると共に、主の語りかけを聴く。 御言葉を受け取る。

     イラー 恐れ畏怖恐れかしこみ尊敬畏敬敬虔

  

〇出エジプト20:1-17

  モーセの十戒

 ・第1‐4戒   神との関係における戒め  神に対して

  ・第5‐10戒  人との関係における戒め  人に対して

 

それが単なる戒めとならないように。それが良い方向を示すものになるように。

 それがブレーキになるように。

 

 そのことを助け導くお方は聖霊なる神である。

 

主を畏れるとは、

 主を心にとめ、主を信じること そして、主と共に歩むこと。  

 主との交わりの中に生きること。聖霊なる神のご支配をいただき生きること。

  

 そのことは本当の意味で生きた道に向かわせる。

  知識の初めとなる。

  レシス、レシツ 初め最初最高首長選り抜きの部分精華

   初め 最高のものとなる。

 

 人生を良く生きる。

  平安の中に生きる。  感謝、希望の中に生きる。

  天の御国を心にとめつつ生きる。

   自分は愛されている。  他の人も愛されている。

  その価値を認め、それを大切にして生きる。  

 

 

 5月2日() 聖日礼拝 説教メモ

         「神に従う人の幸い」            箴言10:21-32 

  

★本日の箴言

 幸いなことがちりばめられている。その幸いの一つ一つを見ていきましょう。

 

10:21 神に従う人の唇は多くの人を養う。無知な者は意志が弱くて死ぬ。

  唇で、他の人を養う。多くの人の

   讃美  喜びの話   主を証しすること 主のすばらしさ

 

◎22節

10:22 人間を豊かにするのは主の祝福である。人間が苦労しても何も加えることはできない。

    豊かにされる 人生において大切なもの、なくてならないもの

 

◎23節

10:23 愚か者は悪だくみを楽しみ 英知ある人は知恵を楽しむ。

  知恵を楽しむ 良い知恵を楽しむ  悪だくみに動かされず

 ◎24節 

10:24 神に逆らう者は危惧する事に襲われる。神に従う人の願いはかなえられる。

  願い  このことをと願う この一つのことを

  あれもこれも、自分勝手な多くの願いではなく

25節

10:25 神に逆らう者はつむじ風の過ぎるように消える。神に従う人はとこしえの礎。

  とこしえに堅く立てられる。(口語訳)

  確かな礎をいただき  その礎を土台として

 

◎27節

10:27 主を畏れれば長寿を得る。主に逆らう者の人生は短い。

  長寿  ただ長く生きるのでなく、健康で長寿 健康寿命

  使命のある限り、生かされて

   

◎28節

10:28 神に従う人は待ち望んで喜びを得る。神に逆らう者は期待しても裏切られる。

  喜びを得る。 神に対して待ち望みつつ

○イザヤ書40:28-31

40:28 あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく その英知は究めがたい。

40:29 疲れた者に力を与え 勢いを失っている者に大きな力を与えられる。

40:30 若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが

40:31 主に望みをおく人は新たな力を得 鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

 

◎29節

10:29 主の道は、無垢な人の力 悪を行う者にとっては滅亡。

  主の道は、潔白な人にはとりでであり(新改訳)

   力   砦

 

◎30節

10:30 神に従う人はとこしえに揺らぐことなく 神に逆らう者は地に住まいを得ない。

揺らぐ人生  大きな地震   とてつもなく大きな出来事

  それにもかかわらず、揺らがない。

 

◎31節

10:31 神に従う人の口は知恵を生み 暴言をはく舌は断たれる。

  知恵を生む

 

◎32節

10:32 神に従う人の唇は好意に親しみ 神に逆らう者の口は暴言に親しむ。

  好意をいだかせる   他の人に

 

★主に従う人とは

  

★モーセの十戒に照らして 出エジプト記

20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

  私は、真の神を置いてほかに神としません。

   真の神でないものを神とした罪を認め、悔い改めます。

20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。

20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。

  私は、いかなる像も造りません。

   それらに向かってひれ伏したり仕えたりしません。

    造った罪、ひれ伏し仕えた罪を認め、悔い改めます。

20:7 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。

  私は、主の名をみだりに唱えません。

   みだりに唱えた罪を認め、悔い改めます。

20:8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。

  私は安息日を心に留め、聖別します。

   聖別しない、しなかった罪を認め、悔い改めます。

20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

  私は、父母を敬います。

   敬わない、敬わなかった罪を認め、悔い改めます。

20:13 殺してはならない。

  私は、殺しません。

   殺人の罪を認め、悔い改めます。

   実際の殺人だけでなく、人を徹底的に追いやる。

  壮絶ないじめ、無視、特定の人を追い詰める。 それらに手を染めたことを

20:14 姦淫してはならない。

  私は姦淫しません。

   姦淫の罪を認め、悔い改めます。

    実際の姦淫だけでなく、そのいかがわしい思い、それらの悪しきことを肯定したことを 

20:15 盗んではならない。

  私は盗みません。

   盗みの罪を認め、悔い改めます。 人の大切なものを奪ったことを

20:16 隣人に関して偽証してはならない。

  私は偽証しません。

   偽証の罪を認め、悔い改めます。 ごまかしをしたことを  

20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」

  私は、隣人の家を欲しません。

   隣人の家を欲する罪を認め、悔い改めます。  むさぼったことを

 

 十戒に照らすときに、それに違反していること  神に対して、人に対して

  逆らい、苦しめること 心を痛めることを それを認め、悔い改める。

 

 戒めを守れない。戒めを疎かにする自分、それを仕方ないこととしてしまう。

  戒めを否定する  自分で勝手に都合の良い決まりを作る。

それを認め、悔い改める。

 

 神に従うとは、

  戒めを心にとめて生きることです。 でもそれは、半分以下のこと 

  神が、そんな自分のために、その罪を贖うために救い主をお遣わしくださった。

   主イエスの十字架   その犠牲と神の愛

  その神のプレゼントを受け取る   神の思いを受け取る

ヨハネによる福音書3章16節 

3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

  神に従う人は、その神の愛によって生きる  新しい命をいただく。

  そして、その神に祈ることを許される、信頼して祈ることができる。

  神の御心を心にとめつつ、祈ることが許されている。

 

★神に従う人の幸い  

 ・良いものを主に願い求め、いただき感謝する。

  ・御心にかなわないとき、主のみ前に悔い改める。

   軌道修正する。

   主と共に歩む   主の助けをいただきつつ。

 

 

5月9日() 母の日聖日礼拝 説教メモ

       「主にゆだねれば」           箴言16:1-9 

  

★母の日

 今日は母の日  講壇のところには、カーネーションが生けられています。

 

 母への感謝

  今、生きている母に 健在の母に 感謝を表す 

  昨年に続いて、コロナでなかなか会えない人も 遠く離れていて、コロナで長く帰省もできず、母にも直接会えず、特別な思いで過ごしている人も多くいることでしょう。

  今は亡き母を思い出し、母への感謝

   私自身も、母を昨年10月に天に送り、今までとは違った母の日 母から受けた多くのものを思い出す。 皆さんは、いかがでしょうか?

 

★安心感、安らぎ

  私たちの人生において欠かせないもの

   いろいろと挙げることができることでしょう。

   これも必要、あれも必要、 これも欲しい、あれも欲しい

  なくてならないものは多くはない。その中の一つは、安心感、安らぎではな 

いでしょうか?

 

 母の日の今日

  母を思い出すと、懐かしい。

  特に小さな子ども時代、母がいてくれ、おいしいご飯を毎日作ってくれた。

  変わらない母のまなざし

   あの頃は、安心感があった、安らぎがあった。 母への感謝

  

 安心感、安らぎ その中で憩いの時を過ごす。

  安心感、安らぎ、憩いの時を持ちつつ、歩んでいきたい。

   主なる神と共に歩む中で、それをいただき歩んでいきましょう。

 

★本日の中心聖句

●3節   

 16:3 あなたの業を主にゆだねれば 計らうことは固く立つ。

    「主にゆだねれば」という説教題をつけました。

   

★中心聖句を扱う前に他の個所

 16:1 人間は心構えをする。主が舌に答えるべきことを与えてくださる。

 16:2 人間の道は自分の目に清く見えるが 主はその精神を調べられる。

 16:9 人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。

 

○口語訳

 16:1 心にはかることは人に属し、舌の答は主から出る。

16:2 人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、しかし主は人の魂をはかられ

16:9 人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。

 

○新改訳

16:1 人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。

16:2 人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。

 16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。

 

 心構え、はかること、計画

  語るべきこと、一番言いたいこと あれも語らねば、これも うまく語れない。 一番大切なことを主が教え語らせてくださる。 焦らず、主を仰ぐ中で

  

 進むべき道、はかりごと、計画

  外側の見えるところを求める。それの心を奪われる

  自分の願うこと、自分の思いを前面に出して、進んでいく。

  なぜ、それを求めるのか、なぜ、そこに進もうとするのか

  自分が願うから、自分が欲しいから、手に入れたいから もうそのことで頭がいっぱい。

  その動機、それは正しいの、それは良いことなのか 自分が願うから。

  神は、その心、動機を見られる 本当のそれで良いのか。  

   自分勝手な、身勝手なものではないのか、自己中心

   他の人のことを考えているのか、相手のことを考えているのか

   主が心を探られる。

 

  その中身の点検、吟味  主に祈りつつ、ゴーサインをいただいて、進む。

   ゴーサインが出ないときには、進みださない。

 

◎6節

【新共同訳】

 Pro 16:6 慈しみとまことは罪を贖う。主を畏れれば悪を避けることができる。

【口語訳】

 Pro 16:6 いつくしみとまことによって、とがはあがなわれる、主を恐れることによって、人は悪を免れる。

 【新改訳改訂3】

 Pro16:6 恵みとまことによって、咎は贖われる。【主】を恐れることによって、人は悪を離れる。

 

 ヘセッド     良いこと誠実いつくしみ

エメツ     真理真実確かさ安定信頼性信頼できること

カファール なだめるあがなう覆う 

アイン     罪、 咎

 

 贖う

  カファールという原語 (ガアール、パダーではなく)

誰かが、自分に変わって、その代価を払ってくれる。

   そのことで、返すことのできない借金がすべてなくなる。

    束縛の身が自由になる。解き放たれる。

   人それぞれが持つ罪という借金

    その罪という借金が、人を不自由にし、人を束縛する。

    人を神から引き離し続ける。 最後には、滅びへと引っ張っていく。

 

  罪の贖い それは、人の努力、頑張りではとてもできない。その借金はとても返し切れない。

  神のご支配、ご介入

  その神の愛  慈しみ ヘセッド  まこと エメツ

 

 母の愛を思い出す。 

  無償の愛 返してもらうためではない。返してもらうなどは少しも考えない。 ただ、子どものために その子どもを愛するゆえに

  母の愛は、天の神さまの愛に通ずるところがある。

 

●3節

 16:3 あなたの業を主にゆだねれば 計らうことは固く立つ。

  あなたの業を主にゆだねれば

  なすべきこと、しようとすること

 自分のことだから、誰にも邪魔されずに 自分の計画通り、自分の思うままに

  大きな決断、大きなことがら  不安が生じる、

   なかなか思うとおりに行かない。 この計画は、途中で断念かな?

  しようとすることが大きければ大きいほど、押しつぶされそうになる。

  

 母の日礼拝

  今日の個所、どう結びつくのか? 悩んだ。

  一つ、心に強く思いついた聖書の個所をお伝えします。

  それは、どこかというとルツ記です。

 

○ルツ記1:7-19

 ルツは、モアブの娘

  ナオミの家族がイスラエルからモアブに移住。

  二人の息子たちはそこで育ち、モアブの娘たちと結婚した。

ところが、病のために、ナオミの夫が亡くなり、二人の息子たちも亡くなった。

  悲しみに暮れるナオミ  自分の故郷に帰る

 二人の嫁に対して、生まれ育ったこのモアブの地に残るようにと強く勧めた。

  一人の嫁オルパは、その通りにした。

  もう一人の嫁ルツは、義理の母であるナオミについて行きますと答えた。

  

 ナオミの信じる天の神さまを自分も信じます。

  今このような大きな苦しみを経験した。 夫を亡くしたルツ

 ルツは、天の神さまにこの後の人生を導いてほしいと願った。

  主に自分の人生を任せた。 ゆだねた。

 

 その後のことは、聖書が告げる通り。

  姑の国に行き、そこで生きることになった。

   その所で、ボアズと運命的な出会いをいただく。

   そしてボアズと結婚する。一人の男の子を授かる。その男の名はオベド

   そのオベドからエッサイが、 そのエッサイからのダビデが生まれた。

  天の神さまに、自分の人生を委ねたルツは、後に、そのことが幸いな出来事をいただくことになったことを後で知った。

 

主にゆだねれば

  主にゆだねよ しようとすること、これから取り組もうとすること。

  自分の力に余る。自分の力ではとても難しいのではないか、大きな不安

  主にお祈りし、主に助けと導きを求める。

  主が最善をなしてくださるようにと願い求める。

●3節

 16:3 あなたの業を主にゆだねれば 計らうことは固く立つ。

○口語訳

 16:3 あなたのなすべき事を主にゆだねよ、そうすれば、あなたの計るところは必ず成る。

○新改訳

 16:3 あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

 

 主が受け取ってくださる。

  主がご支配くださる。導いてくださる。

  平安、安らぎ、憩いをいただきつつ 一歩一歩と前に向かって進んでいく

   主が最善をなしてくださる。 ハレルヤ! 

 

 

5月23日() ペンテコステ礼拝 説教メモ

       「主に信頼する者」         箴言29:18-27

 

 

◎23節  

「驕る者は低くされ 心の低い人は誉れを受けるようになる。」

口語訳

人の高ぶりはその人を低くし、心にへりくだる者は誉を得る。」

新改訳

人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉れをつかむ。」

 

 ★今は危機の時

  昨年来の新型コロナ、心配の種

  新型コロナ感染は大きな心配の種 世界中の人を飲み込む これは大変だ。

    高齢者、持病を持つ人

    壮年の人も、若い人も気を付けなければならない。

   すべてがうまくいく、大丈夫だと思っていたところに、コロナ

    そうでもないかな。そうではない。

   すべては思いのままになると思っていた。  そうはいかない。

  

  鼻がへし折られる

   世界の危機。 新型コロナ パンデミック

   思い通りにはいかない。 どうしたらよいのか、心配になる。

   自分自身も確かでない、持ち物でも確かではない。

   その嵐に巻き込まれたら、すべてを失うかもしれない。 どうしよう。

  どこに確かさがあるのだろうか

  確かなお方、変わらず立ち続けられるお方。すべてを支配しておられるお方

   その方に心を向ける。

   私は確かではありません。 この私を守ってください。支えてください。

  あなたのみ懐に飛び込みます。信頼する者、身を寄せる者を主は顧みてくださる。

  誉れ それは、神による守り、平安、勝利

  この危機の出来事の中で、

   自分は何をよりどころにするのか、誰に頼るのか?

   確かなるお方、支配しておられるお方を見上げ、寄り頼みましょう。

   主は、誉を与えてくださるお方です。

   この危機の経験をバネにしましょう。

  これからの世界、同じような危機、もっと大変なことがたとえ起きても、大丈夫なように。

 

●26節

支配者の御機嫌をうかがう者は多い。しかし、人を裁くのは主である。

口語訳  

「治める者の歓心を得ようとする人は多い、しかし人の事を定めるのは主に   

よる。」

新改訳

「支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし人をさばくのは主である。」

 

 ★大きな力を持つ者

  権力を持つ者、支配者、政治家、実力者、財力のある者

  その力で、支配しようとする。その力に支配される。 その力に飲み込まれる。 言う通りにしなければ、その傘下に身を置かねば 飲み込まれてしまう。

  恐れをいだく。その人たちの言うままに  その人達の支配 あきらめ

  権力ある者、財力ある者、力ある者

  その権力、財力、力で支配する。強引な支配、有無を言わせず支配する。  

 白を黒、黒を白とする。もう対抗できない、言いなりになる。それを認める。

  

  真に支配されるお方

   すべてを裁かれるお方がおられる。

  周りのものを強引に支配する、周りのものをねじ伏せ、力づくで支配する。

   どんな力ある者でも、どのような超大国であったとしても。

    間違ったものは間違っている。おかしいものはおかしい。

    黒は黒、白は白

   この世で、周りのものを、周りの国をすべて思い通りに支配したとしても、それが間違ったものであれば、それは裁かれる。 

  裁くお方がおられる。 それは主なる神である。

  その方に目を向け、その方のご支配の中で生きる

   決して悪に負けない。

   間違ったことは間違ったこと。してはいけないことはしてはいけない。

 

  強引な支配、力づくの支配は、必ずうち破られる。 それらに屈しない。

  その間違ったことに対しては、決して良しと認めない。

  主にあって、生きる、歩む。  

 

◎25節 

人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。

  口語訳

人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」

  新改訳

人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」

 

 ★恐怖、恐れ

  恐れをいだくことは、決して悪いことではない。

  怖いと思う。恐れが心に入ってくる。

  あることきっかけに、ある怖い体験をきっかけに、そのことで心に恐れ。

  

  人からの恐喝、脅し

   心に恐れを覚える。 目が覚めている時だけでなく、眠っているときにも

    恐れ。怖い夢を見る。 心がびくびく

   恐れに支配される。 心に平安を失う。

  人の目が気になる、人の評価が気になる。びくびくどうしたらよいのでしょう。

   心を主に向ける。 主に信頼する。

  高いところに置かれる。

   シァーガブ そそり立つ,高くする

    高いところに置かれる 安らかである。 守られる

 

 ★主イエスの弟子たち

   恐れに支配された。 ユダヤ人たちを畏れた。

    自分たちは少数派、立場の弱い者たち

    心に後ろめたさ 主イエスを裏切った、助けずに逃げた。

    「平和があるように」「平安があるように」「安かれ」

   その言葉をかけられた。 復活の主は、その言葉をかけてくださった。

   主に依り頼んで良いのだとわかり、大きな平安 心安らいで歩むことができた。 主に依り頼みましょう。

    恐れの心を主に申し上げましょう。 主は受けとめてくださいます。

    恐れからの解放、平安、喜び、感謝

   主の弟子であること、主のものであることの感謝

 

 そのことを心にとめつつも、前に進むにはどうしたらよいのだろうか?

   何かが足りない。

   

その弟子たちに、主イエスは語られた。

○ルカ福音書24章47-49節

24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、

24:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。

24:49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

 

○使徒言行録1章8節 

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

 

 聖霊が降る 注ぎ与えられる 

  弟子たちは、それを待ち望んだ。 心を合わせて祈った。祈りつつ待った。

 ペンテコステと呼ばれる日に、弟子たちの上に聖霊が降った。

   

○使徒言行録2:1-4

2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、

2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中  

に響いた。

2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。

2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、が語らせるままに、ほかの国々の言葉  

で話しだした。

 その様子が記されている。

 

 主イエスの証人となる。 平安、喜び、感謝

  それを証しする力が与えられる。

 主の福音を証しする。 喜びを持って、平安を持って

 

 ある異端主教 キリスト教の異端の団体(ものみの塔、エホバの証人)

 その中で苦しんだ人の話が

   NHKで取り上げられた。「逆転人生」

   外から見るととても熱心

    実際には、とても息苦しい。熱心に伝道活動に見える。

    そうしないと、神から見捨てられる。

    そう教え込まれ、そうなっては大変だと思い、やっている。

    少しでも、その教えに疑問をいだくことを禁じられる。

    マインドコントロールされて、ロボットのように動く。

    これをしてはいけない、あれをしてはいけない。

    これをしなければいけない。

    がんじがらめ。 黒か白しかない。神か悪魔しかない まさに悲劇、

    強制的にやらされる。

    見た目には熱心。その熱心さは、マインドコントロールされて、恐怖の裏返し それはむなしい。 その人の心はボロボロ、その人生もボロボロ、その家庭もボロボロ

 その団体の教えに背いたことをしたら、仲間外れ、追放、破門

   親子であっても、その縁が切られる。 恐ろしい実態

   そのことで、死ぬ寸前まで行った。

    

 その間違いに気づき、新たに歩み出した方、そこから抜け出すことができた方のことが取り上げられていた。 

   

 主の弟子たち

  復活の主に出会い、平安と喜びと感謝

  その弟子たちが、主を証しする。

   主こそ、命の主である。この方の内に、真の幸いがある。

   救いがある、永遠の命がある

  そのことを証しし、宣べ伝えていくために、必要な力 

   それを与えてくださったのは、聖霊なる神

 

  その素晴らしい恵みを与える聖霊なる神が主イエスの弟子たちに降った。

   その最初の出来事、それがペンテコステの出来事。

   そのことで教会が誕生した、スタートした。

  そのことは初めだった。

   そのことが始まった。

   主イエスを信じる者に、聖霊なる神が与えられる。

  心のうちにお住まいくださる。

 ペンテコステの日のペトロのメッセージ。

  それは、ヨエル書の引用からのメッセージだった。

 

○使徒言行2:15-18 

2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。

2:16 そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。

2:17 『神は言われる。終わりの時に、 わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると

あなたたちの息子と娘は預言し、 若者は幻を見、老人は夢を見る。

2:18 わたしの僕やはしためにも、 そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

 

 息子、娘は預言する

  神の御言葉をいただく、その御言葉に生かされる。

 若者は幻を見る。  

  幻覚ではない、ビジョン。 将来に向けての素晴らしいビジョン

  こうあったら素晴らしい、これを成し遂げていく 

    

○18節

「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。」

【口語訳】

預言がなければ民はわがままにふるまうしかし律法を守る者はさいわいである。」

【新改訳改訂3】

幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。」

 

 幻 カゾーン(ハゾーン) ,預言 幻とも預言とも訳すことができる。 

 堕落する パラー なおざりにする,放任する

  堕落する、わがままにふるまう。ほしいままにふるまう。

   ばらばらになる。どこに行ってしまうかわからない。 流されるまま。 不確か。 流されていき、途方もないところに流される。

  元に戻れない。 みじめ、破滅

  それに歯止めをかける。

  間違ったことに、進み、そこから抜け出せない。

  びくびくして生きる。おどおどしつつ生きる。このことが発覚したなら大変だ。

  こんなものだと開き直って生きる、歩む

  でも、心の一番深いところでは、まずい。 本来の生き方をしなければ、

 

  心から喜ぶことのできる生き方、歩みを  幸いなものを作り上げる歩み

 

 そのために必要な預言(御言葉)、幻(幸いのヴィジョン)

  主の恵みをいただき、前に進む。

 聖霊降臨の出来事、ペンテコステの出来事は、そのことが始まった出来事、

  そのスタートの出来事      

  

★主に信頼する者

◎25節 

「人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。

  口語訳

人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。

  新改訳

人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」

 

 主に信頼する者は、高いところに置かれる。

  安らかである。守れる。

  生ける真の主を信じ、歩む者、その幸い

  

そのことを助け導いてくださるお方

  聖霊なる神

  その聖霊が与えられたことを感謝するのが、ペンテコステのお祝い。

  

  迷いやすい、迷い込む、にっちもさっちもいかなくなる。

  流され。どうしようもなくなるのが私たち。

  そのような私たちを助けてくださる。 引きあげてくださる。

  正しい道に導いてくださる。 共にあって、呻きとりなしてくださるお方。

  

  もう一度やり直せる。立て直せる。 生きる道はある。

  より良いものを作り直す道はある。

 そして、そこに引き上げてくださる主がおられる。

  なんと幸いなことでしょう。

 

 主はあなたのことを覚えていてくださる。 助けてくださる。

  

 

5月30日() 日曜礼拝 説教メモ

      「生涯における二つの願い」         箴言30:1-10 

 

 

★高い所に置かれる幸い

 〇箴言29章25節

「主を信頼する者は高い所に置かれる。」(新共同訳)

 「主に信頼する者は安らかである。」口語訳

 「しかし主に信頼する者は守られる。」新改訳

 

  主に信頼する者は、高いところに置かれる。 安らかである。守れる。

   生ける真の主を信じ、歩む者、その幸い 

  山登り   山頂から見る景色は最高

   主と共に歩むことに幸い

 

★アグルという人物

  粗野で、分別もなかった

 

●箴言30:1-10

30:1 ヤケの子アグルの言葉。託宣。この人は言う、神よ、わたしは疲れた。神よ、わたしは疲れ果てた。

30:2 まことに、わたしはだれよりも粗野で 人間としての分別もない。

30:3 知恵を教えられたこともなく 聖なる方を知ることもできない。

30:4 天に昇り、また降った者は誰か。その手の内に風を集め その衣に水を包むものは誰か。地の果てを定めたものは誰か。その名は何というのか。その子の名は何というのか。あなたは知っているのか。

30:5 神の言われることはすべて清い。身を寄せればそれは盾となる。

30:6 御言葉に付け加えようとするな。責められて 偽る者と断罪されることのないよ   

うに。

 

 そのアグルが、主を知った。

  主と共に歩む幸いを得た。 主とは、この世界の造り主なるお方、

   この世界を創造してくださった方、良いものを備えてくださるお方。

   御言葉をもって語りかけてくださる方

   その方は、私たちを、この私を顧みてくださるお方

  高い所に引き上げられた。 幸い、平安、希望

   主と共に現在、そして未来に向かうことができる その幸いを得た。

  神の御言葉を慕い、崇める

 

★願い求め

  願い求めることは、私たち人間の欲求  願い求める それは意欲でもある。 何も願い求めなくなったら大変。 それは意欲もなくなったということ。

 

  現代に生きる私たち

   いろいろなものを願い求める。多くのことを願い求める。

   あれが欲しい、これが欲しい、それも欲しいとたくさんのことを願い求める 求めすぎて疲れてしまう。 こんがらがってしまう。

   一つ手に入っても、一時的に喜び、また次にと 次々に きりがない

   

  多くではなく。一つのことを願い求める人は幸いな人かもしれない。

   あまりに大きなことではなく、小さなことを

   あまりに遠くのことではなく、近くのことを

 

★生涯で二つのことを 

  2つのことを願い求めて良いと言われたら、何を願い求めるでしょうか?

   考えてみると面白い。

    一生生活に困らないほどのたくさんのお金

    立派な家、庭付き、プール付き、 世界旅行、 毎日、ごちそう

一生健康であること、  ・・

 

★箴言30章から

●7-9節  

30:7 二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。

30:8 むなしいもの、偽りの言葉を わたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず わたしのために定められたパンで わたしを養ってください。

30:9 飽き足りれば、裏切り 主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き わたしの神の御名を汚しかねません。

 

 2つの願い

  ①むなしいもの、偽りの言葉を わたしから遠ざけてください。

  ②貧しくもせず、金持ちにもせず わたしのために定められたパンで わたしを養ってください。

 

①むなしいもの、偽りの言葉を わたしから遠ざけてください。

  うそ、偽りをわたしから遠ざけ、(口語訳)

  不信実と偽りとを私から遠ざけてください。(新改訳)

 

  むなしいもの

   夢の中で大喜び 宝くじの1等が当たった。大喜び

    3億円、一生分の食事券、世界旅行  夢から覚めたらむなしい。

  偽り

   偽物  偽札、偽ブランド品 

    振り込め詐欺(オレオレ詐欺) 偽の同僚、弁護士、銀行員・・

  むなしいもの、偽り それに飲み込まれる、それに引っかかる

   蜃気楼 あそこまで行けば湖がある。 行けども行けどもない。蜃気楼

   これさえ手に入れれば、人生は安泰。 これがあれば、幸福。

   富、お金  少しでも多くのものを あまりに追い求め、お金のとりこになる 人よりもお金 時に不正に走ってしまう。

   名声、名誉

   人からの評価 自分のことで頭がいっぱい 人を蹴落としてでも

   力  

   人を動かす、人を支配する 人を支配したい、人の上に立ちたい。

  むなしいもの、偽りの言葉

   むなしいもの やがては消えていくもの、過ぎ去っていくもの

   偽りの言葉 これがあれば、人生は安泰。最高ですよ 誘惑の言葉

 

  それに飲み込まれる私たち、自分自身

   それがすべてになってしまう。

    お金がすべて 名声、名誉がすべて 力がすべて

   その歩みの中で、大事なものを見失う。

    人間関係。人とのつながり、信頼関係、  家族、  自分の人生

 

  人をごまかすこと、詐欺

     ギャンブルやアルコール、薬物  それらは、一時的なものを与える。 ああ最高だ、そのうちにそれに支配される。 それがなければ生きていけないそれに。頼らなければどうにもならない。 支配されてしまう。

 

 自分自身がそれに飲み込まれないように  その支配下に置かれないように。

   大切なものを見失わないように。

   自分の人生。 愛する存在 それは家族であり、友である。  

 

②貧しくもせず、金持ちにもせず わたしのために定められたパンで わたしを養ってください。

  貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。   (口語訳)

  貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。   (新改訳)

 

その理由は?

 ●9節

30:9 飽き足りれば、裏切り 主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き わたしの神の御名を汚しかねません。

 

  貧しくもなく

   貧しすぎる お金がない、お金がない。 何も買えない

   おなかがペコペコ 食べ物が欲しい

   お金、お金、 食べ物、食べ物

    そのことで頭がいっぱい、つい盗んでしまう。

    不正をしてでも、お金を手に入れる

   それは、いずればれてしまう。明らかになる。 捕まる

   神の聖名を汚してしまう。 そうならないようにしてください。

 

  飽き足りる

   これこそ、最高。 すべてのものが満ちている

    お金はたくさん。願うものがすべてかなう、すべて手元にある。

    自分の持ち物、自分の手にしているもの

   誰に頼る必要もない。 自分の力がすべて

   自分が好きなようにできる、願うことは何でもできる。

   神なぞ、知らない。頼る必要もない。

   すべてを支配し、すべての良いものを備えてくださっている方を忘れてしまう。 自分が神のようになってしまう。

 

○コヘレト1:17-18,2:1-17

1:16 わたしは心にこう言ってみた。「見よ、かつてエルサレムに君臨した者のだれにもまさって、わたしは知恵を深め、大いなるものとなった」と。わたしの心は知恵と知識を深く見極めたが、

1:17 熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり愚かであるにすぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。

1:18 知恵が深まれば悩みも深まり 知識が増せば痛みも増す。

2:1 わたしはこうつぶやいた。「快楽を追ってみよう、愉悦に浸ってみよう。」見よ、そ  

れすらも空しかった。

2:4 大規模にことを起こし 多くの屋敷を構え、畑にぶどうを植えさせた。

2:5 庭園や果樹園を数々造らせ さまざまの果樹を植えさせた。

2:6 池を幾つも掘らせ、木の茂る林に水を引かせた。

2:7 買い入れた男女の奴隷に加えて わたしの家で生まれる奴隷もあり かつてエルサレムに住んだ者のだれよりも多く 牛や羊と共に財産として所有した。

2:8 金銀を蓄え 国々の王侯が秘蔵する宝を手に入れた。男女の歌い手をそろえ 人の子らの喜びとする多くの側女を置いた。

2:11 しかし、わたしは顧みた この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。見よ、どれも空しく 風を追うようなことであった。太陽の下に、益となるものは何もない。

2:16 賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか。

2:17 わたしは生きることをいとう。太陽の下に起こることは、何もかもわたしを苦しめる。どれもみな空しく、風を追うようなことだ。

 

 ソロモン王

  知恵、知識、 財産、金銀、 快楽 それらの最高のものを手に入れた それに浸った。

  しかし、最後にやって来るものがあった それは、人生の終わり、死であった。 すべては過ぎ去っていくものであることを知った。

 

○マルコ4:1-20

4:7 ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。

4:18 また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、

4:19 この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。

 

  作物を育てる  一番の敵は害虫と雑草

  神の種の成長を邪魔するもの それは茨、覆う雑草

  世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望 

   あれもこれも心配。どうなるのか

   あれも欲しい、これも欲しい、あれもこれも手に入れたい。

   さまざまな欲望  欲望の海、欲望に支配されてしまう。

  

なくてならぬものを

○マタイ6:9-13 11節

6:11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

  日用の糧を

  日ごとの糧を  今日必要なものも

  今日を生きる、明日を生きる、人生を進むのに必要なものを

   それは何でしょうか? 平安と希望ではないでしょうか?

   どんなときにも、平安

    大丈夫、主が共にいてくださる。

   どんな状況でも、希望がある、希望も持つことができる。

    主が共にいてくださるから。主が導いてくださるから。

    主が助けを与えてくださるから。

 

「生涯における2つの願い」 

 2つの願い

  ①むなしいもの、偽りの言葉を わたしから遠ざけてください。

  ②貧しくもせず、金持ちにもせず わたしのために定められたパンで わたしを養ってください。 

 

 

6月6日() 日曜礼拝 説教メモ

      「新しく生まれなければ」  ヨハネによる福音書3:1-15

  

★喜びと感謝そして平安と希望

  私たちの人生において持ちたいもの

   立派な家、素敵な車、家財道具、・・ 地位、身分、名誉・・・

   いろいろなことが頭に浮かぶ

  それらが揃っていても、もし平安がなければむなしい。感謝がなければ残念

   いつもなぜか不安、イライラしているなら、残念

  それらのものがたとえなくても、乏しくても 心の内に、喜び、感謝があるなら幸い、平安と希望があるならば幸い。

  

★ニコデモという人

  彼は、パリサイ派に属していた。

 当時のユダヤ社会では、ユダヤ教が最高の教えであり、それに精通していた。

   伝統の宗教の流れの中で、最高峰を歩んでいた。

   宗教の教え、規則の教えを厳密に守っていた。

    多くの人々から尊敬を受けていた。

   議員であった。 サンヒドリンの議員 日本でいうならば、大臣のような職にあった。 誰からも一目置かれ、名誉を得ていた。

  彼は生まれた時から、努力し、立派な人になり、歩んでいた。

  自分は、特別な者だ。ここまで築き上げてきた。このままいけば良いのだ。

  しかし、主イエスのうわさを聞き、主による奇跡を聞いたり、見たりしたのではない   

か。 大きな衝撃を受けた。

   そこには、大きな喜びが起こり、感謝が満ちていた。

   今まで、自分が経験したものと全く違う喜び、感謝。

★主イエスのなさったこと、なさること  

  人にはできない奇跡、しかも、行き詰まりの状況、行き詰まりの人に対して

   大きな助け、励まし、 喜び、感謝

  

★カナでの婚礼の奇跡

●ヨハネ2:1-11

   一番大切のお祝いの席で、ぶどう酒がなくなる。

   一大事、そこに主イエスによって、水がぶどう酒に

   最高のものが用意された、 大きな喜び、感謝

 

★生まれつき目のみえない人を癒す。

●ヨハネ9:1-12

 哀れな人。それを背負っていくしかない、その限界の中で生きていくしかないと周り  

の人は考えていた。 しかし、主イエスは、そうは考えず、癒された。

  その人の人生は大きく変わった、喜びと希望に満たされた。

 

 天の神さまがそこに働いておられる。

  このイエスという方は、天の神さまから遣わされた方ではないか

   そうでなければ、そのような奇跡を行うことはできないはずだ。

   しかも、そこに大きな喜び、感謝が沸き起こる。

   希望が差し込む。その希望に生きる人たちが起こされる。

 

 自分の内にどれだけの感謝、喜び、平安、希望があるだろうか?

  自分が努力して勝ち取ったものはある。 周りからも一目置かれ、評価され、それで 歩んでいる。 それらの自分が持っていると思っているものはどれだけ確かだろうか

  自分の内に、喜び、感謝、平安、希望がどれだけあるだろうか。 

  いつか行き詰る時が来たなら、どうした良いのだろうか。

  自分が積み上げてきたものはいくらかある。

   でもそれらは、すべて崩れてしまうかもしれない、いやいつか崩れてしまうだろう

   その時、どうしたら良いのだろうか?

  

★ニコデモと主イエスの出会い

  ニコデモは、夜主イエスのもとに出かけて行った。

  自分には、何かが欠けている。

   それは何でしょうか? それは、感謝、喜び、平安、希望

  それはどうしたら満たすことができるのでしょう?

  どうしたら、持つことができるのでしょう、持ち続けることができのしょう。

 

★主イエスの言葉

●3節

 3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」

【口語訳】

イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。

【新改訳改訂3】

イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

  

  新たに、新しく

   もう一度生まれ直すことはできません。

●4節 

 3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」

  

  人生をやり直すことはできません。

  人間には無理、自分の力では無理  しかし、神には可能

 

新たに生まれなければ神の国を見ることができない。

  アノーセン         上から   上から生まれる

  神のご支配、神の助けの中で 新たに生まれることはできる。

 神の御心

  私たちが上からの愛、恵み、ご支配、助けによって、新たにされる。

  

 上から良いものが、最高のものが与えられる

   上からのもの 日の光、雨の水、 そして命

 

●5節  

3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。

 水 洗い清める

  神の御心 内に大きな恵みを与える。

 

 それは、

①第1に神の子どもとされること。

   神との断絶が取り除かれる。

   断絶の原因、 それは罪 人の内にある罪 神を神としない

    自分を神とする、神でないものを神とする  神の御言葉を聞こうとしない。

     命の言葉を受け入れない。 命でない言葉を聞こうとする。

   その罪の問題を解決する   

    その解決には罪の代価が支払われなければならない。

    その罪の代価を主イエスが、支払ってくださった。あの十字架の上で。

   

○ヨハネ1:12

1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

 ○新改訳

1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

神の子としての資格、特権

  

 ②第2に、聖霊をいただく。

   聖霊なる神が内に住んでくださる。

   生まれながらの人間が持っていない命を与える霊である聖霊。

   その聖霊のご支配のもとで、神の言葉を受け入れる。聞く。

   聖霊によって歩む。 神と共に歩む。

 

神の国を見る、神の国に入る。  

  神の御力に支えられて歩む 神と共に歩む

  内に良いものをいただく。 喜び、感謝、平安、希望

   自分の頑張りではなく、それを超えたところから

   神のご愛と恵みによって注ぎ与えられる。

  

  揺さぶられることはあっても倒れない。

   主ご自身が土台を備えてくださったから。

  その土台とは、

   1)神の子どもとしての資格(特権)

   2)神の聖霊

   

  主と共に歩む恵み

   人生の前半においても 人生の半ばにおいても 人生の後半においても

    たとえ行き詰まりと思えることに直面しても

   人生を閉じるときがたとえ近づいても

   主が共にいて、喜び、感謝、平安、希望を与えてくださる。

 

★ニコデモは後に主イエスを信じる者になった。

  主イエスの十字架の場面、その直後に

●ヨハネ19:38-42

19:38 その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。

19:39 そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。

19:40 彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。

19:41 イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。

19:42 その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。

   ニコデモは、新しく生まれた

   神の子としての資格をいただき

   神の霊を受けた

  喜び、感謝、平安、希望をいただくものとされた。

   私たちの内にも、その大いなる恵みが与えられる。

  その恵みをいただいた。 

 

   

6月20日() 日曜礼拝 説教メモ

      「命のパンを食べる者」     ヨハネ福音書6:48-51

  

★空腹が癒されて

  空腹が長く続けば、フラフラになる

   そこに、食べものがあれば、空腹が満たされ、元気が沸いてくる。

   生きていく上で、食べ物は大切  ごはん、パン

  昔、イスラエルの民がエジプトを出て、カナンの地に向かう途中、荒野を通った。 40年の期間  マナというパンが与えられた。 上からのパン

   神が養ってくださった。

 

★必要は神から与えられている

 太陽がなくなれば、地球はたちまち暗くなり、温度もマイナス50度、100   

度の世界になることでしょう。 神によって置かれた太陽の恩恵を受けている。

 天からの雨が降らなければ、飲み水はなくなり、作物は枯れてしまい、食べ物  

もなくなってしまう。

生きるために必要なものは、上から、神から与えられている。

 

★私たち人間は、身体と共に精神が与えられ、なお大切なものがある。

  身体の必要と共に、精神の必要

   身体の必要なもの それは、食べ物であり、飲み水である。

 活動と休息、睡眠

   精神に必要なもの それは、安らぎ、楽しみ、・・

  神は、私たちに身体に恵みを与え、精神に恵みを与えてくださるお方。

   ただし、身体の必要、精神の必要 それがすべてではない。

  私たち人間は、神によって造られた存在。

   神につながって生きることが大事。

   造り主なる神に立ち返って生きることが必要。

    

★神がなしてくださったこと

  この世界を創造して与えてくださった。

   この世界に私たちは命を与えられて生きることを許された。

  身体と精神が備え与えられた。

 そして、神につながって生きるために、神は最も大事なことをなしてくださっ  

た。 すなわち、神の独り子イエスをこの世にお遣わしくださった。

   主イエスを命のパンとしてお遣わしくださった。

    

○33節

6:33 神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。

 

●48-51節 

6:48 わたしは命のパンである。

6:49 あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。

6:50 しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。

6:51 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

 

 神が与えてお遣わしくださった主イエスは、命のパンである。

  世に命を与える  天から降って来てくださった。

  

 パンの使命

  飾られることではない。 ずっとそこにあり続けることではない。

  食べられること 食べられてなくなること、消えてしまうこと

  食べた人の空腹を満たし、元気を与えること

  

○35節

6:35 イエスは言われた。わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決 して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。

   飢えることなく、渇くことがない

 

   心が満たされる。心の中心である魂が満たされる。

   神のみが満たすことのできる

   命の主と共に生きる 神の国を見る、神の国に入る

    神のご支配を経験する。神のご支配を知る。

 

○3章3節  

3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 

 

○3章5節

3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。

 

  上から生まれる恵み

  聖霊によって与えられる恵み

  そのことで、神の国と見ることができるようになった、入る道が開かれた。

  

★神の国を生きる門が開かれた

  主イエスが十字架で死んでくださった。

   私の罪の代価を支払ってくださった。罪の罰を受けてくださった。

    贖いの恵み

   罪の赦し  神の子どもとしての資格(特権)が与えられた。

 神の子どもとして誕生した。 クリスチャンとなった。キリスト者となった。

 霊の誕生 新しい命、神の子としての命を与えられた 新生体験。新生の恵み

  その命が育っていく。  その命をもって生きていく。

 

  神のご支配  神の聖霊が与えられる。  神が共に生きてくださる。

  そのことを、受けとめ、感謝して生きる。

 

●51節

6:51 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。

 

○54節

6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。

  

○58節  

6:58 これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。

  

永遠に生きる。永遠の命を得る。

 神を知り、御子イエスを知り、聖霊なる神を知る

  その交わりの中を生きる。 その交わりを喜び生きる。

  まさにそれが永遠に生きることであり、永遠の命を得ることである。

  

★神の国を生きる者とされ、永遠の命を得たことを喜び、生きる 

  東京ディズニーランド

   一日フリーパス券をいただいたとする。

   入場した 一日、たっぷり楽しむ。 満足する

   もし、入場門を通って、その入ったところのベンチに座ったまま一日を過ごしたとしたら、残念。   入ったのに、30分くらいで出てしまったら、残念。 入ったのに、そこでのものを楽しまずに、スマホでゲームばかりをしていたら、もったいない。

 

  神の国に入って、入口のところでたむろしていたとしたら、もったいない。

  神の国を生きる。  神と共に生きる。

   主イエスと共に生きる聖霊なる神と共に生きる。

   その恵みをしっかり受け取り、歩むそれぞれでありたい。

 

★生きることの中で

  対照的な生き方

 ★マイナスに傾いて生きる

  ・苦しさがすべて、 いろいろなことがあり、苦しい        

  ・暗く生きる、希望が持てない。心が暗く

  ・感謝なく生きる、 感謝が沸いてこない        

  ・喜びなく生きる、 喜びが沸いてこない        

  ・希望なく生きる、 希望が湧いてこない        

    ・振り回されて生きる、いろいろなことに振り回される

    人に、過去に  あの人のせいで、あの出来事のせいで      

  ・活力なく生きる、活力なく、惰性で

  ・目的なく生きる、目的が見つからない        

  ・妬みつつ生きる、妬みに捕まる       

    ・恨みつつ生きる、恨みを持つ        

    ・後悔のみ、後悔が心を支配する           

  

 マイナスに傾くことをやめ、脱して、プラスに傾いて生きる

  *苦しさの中にも、喜び、希望 

  *明るく生きる 希望を持ちつつ生きる。

  *感謝して生きる    感謝を見出して

  *喜びをもって生きる  喜びをいただいて

  *希望をもって生きる  希望をいただいて

  *振り回されずに生きる   

  *活力をもって生きる    

  *目的をもって生きる  目的を見出して

  *妬みを捨てて生きる  妬みは捨てた 

  *恨みを捨てて生きる  恨みは捨てる 

  *後悔の中にも、感謝して生きる

    後悔はないことはない、でも、感謝を見出してr 

 

  願わくば、マイナスに傾いてではなく、プラスに傾いて生きたい。

  主の助けをいただいて、マイナスからプラスに

  

★キリスト者としてどう生きるか?

 ★キリスト者だが、光を失って生きることがある。

  ・神を端っこにおいて生きる    

  ・不信仰に生きる  信仰を働かせずに      

  ・神を礼拝せずに生きる  

  ・この世の子として生きる 

  ・この世の価値観で生きる    

  ・自分の腹を神としている  

  ・御言葉を聴かずに生きる     

  ・聖霊を無視して生きる  

  ・神を信頼せずに生きる  

 

 ★キリスト者として、光をいただき生きる

  *神を真ん中において生きる     神を中心にして生きる。

    *信仰に生きる  神を仰ぎ、神により頼み生きる

      *神を礼拝しつつ生きる  神を礼拝する、週ごとに礼拝する

    *神の子として生きる

        神の子とされていることを感謝しつつ

      *神の価値観で生きる 

            神の願われること、神が願っておられることを心にとめつつ

   *神を神として生きる      三位一体の神、まことの神のみを神として

     *御言葉を聴いて生きる   神の語りかけを聴く

     *聖霊を覚え、崇め生きる     聖霊なる神を崇め、従い歩む

  *神を信頼して生きる     どんなときにも、神に信頼して

 

命のパンを食べる者

●51節

6:51 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。

  このパンを食べるならば  この命のパンを食べる

  この主イエスを崇め、共に歩む  聖霊なる神を崇め、共に歩む。

  命のパンを食べ続ける。  聖霊なる神の助けをいただきつつ。

 

 

6月27日()  ホ群弾圧受難記念礼拝  説教メモ

      「自分の道を走り通す」    使徒言行録20:17-24 

  

★自分の道

  これこそ、自分の歩むべき道、それを受けとめて歩む者は幸いだと思います。 これこそ、自分の歩むべき道 なかなかはっきりしないということもある。 自分で選んで突き進み、確信することもあれば、 気が付いたら、この道が自分の進む道と分かったということもある。

  自分では予想もつかない展開の中で、その道を歩むようになり、これが自分の道だと思えるようになった。

  私たちそれぞれは、いろいろなことを経て、その道を自分の道と受け止めて歩む

 道は、まっすぐだけでなく、途中で大きく曲がることもある。

その道とは別の道を歩み出すこともある。 進路が途中で変更することもある。

 

★本日は、ホ群弾圧受難記念礼拝

 1942年に始まった、国家による宗教弾圧 ホーリネス系の教会に対しての弾圧 今から79年前の出来事

 その弾圧は敗戦の年1945年まで続いた 3年間の厳しい期間

  

 1942年626日早朝、ホーリネス系の教職者96名が逮捕された。これが、第一次検挙である。19434月に第二次検挙が行われて、第一次と第二次を合計すると、日本基督教団に併合されていた第6部(旧日本聖教会)60人、第9部(旧きよめ教会)から62人、妥協して教団に加わらず宗教結社であった東洋宣教会きよめ教会12人、合計134人が逮捕された。

1943年4月、文部省は宗教団体法に基づき、第六部の聖教会と第九部のきよめ教会に対して、教会設立認可の取り消し処分と教師を辞任させるように、日本基督教団の富田満統理に通知した。これを受けて、日本基督教団は、獄中にある教師と家族に、教会設立認可の取り消しと、教師の自発的な辞職を求める通知を行った。そして、日本基督教団内のホーリネス系の教会は強制的に解散させられた。

  裁判が行われ、134人の検挙者の内の、75人が起訴された。車田秋次、米田豊らが実刑判決を受けた。全員が上告して、戦後免訴扱いになった。

しかし、最終的に、菅野 鋭、 斉藤保太郎、 辻 啓蔵、小出朋治(獄中での死亡順、4名)、竹入 高、池田長十郎、佐野明治(出獄後死亡、3名)らが獄死した。

1943年(昭和18年)48日に至り、日本キリスト教団第6部系の全教会に対して「宗教結社禁止令」が通達された。

 解散理由としては、

 (1)神宮に対する不敬

   唯一の創造神に対する信仰が神宮に対する不敬

 (2)天皇に対する不敬

   すべての人がキリストに対する信仰によって救われるとすることは天皇をも罪人とすることで、天皇に対する不敬

 (3)国体変革を企図せる罪

   キリストが主の主、王の王として再臨されることを宣伝することは、国体変革を企図せる罪すなわち治安維持法違反になる

  

◆ホーリネス誌(2012年)6月号 弾圧70周年

   ・米子聖教会 山中日出刀師

     ・門司宗利教会(門司聖教会)  長畑辰二郎師

   ・戸畑向町教会(戸畑聖教会)  加藤俊守師

   ・八幡東部伝道所(八幡聖教会) 桑原福三師

     ・熊本城東教会 森田豊熊師

・宮崎清水町教会 吉間礒吉師

   ・都農仲町伝道所 黒木光雄兄(信徒代表)

   ・高鍋南伝道所

 

なぜホーリス系教会が弾圧されたのか

  宗教弾圧のあった1942年の前の年1941年

  日本の教会は、特にプロスタント教会は、国家によって強引に一つにまとめられた。 日本基督教団に寄せ集められた。 それに従わなければ、教会は宗教活動が一切できない その翌年にホーリネス系の教会を狙い撃ちした。

 その要因

 ①ホーリネス系の教会は、当時、とても伝道熱心

  教会に集う人も多く、勢いがあった

 それを弾圧によって抑え込めば、他の教会もおとなしくするだろうと考えたか

 ②再臨信仰 主イエスは、歴史の中で、もう一度来られる

  栄光の主として すべてを裁き、すべてと支配する主として来られる

  このことは、聖書に記されている大切な約束、預言

  再臨信仰を旗印としていた

 

 これが、国家から狙い撃意された最大の理由

 当時、日本国家は戦争一色 国家神道をかかげ、その頭に天皇をかかげて、戦争の遂行 戦時体制 日本がアジア全域を支配する

  ほとんどの日本人は、この戦争が正しい戦争であると教え込まれていた

  洗脳されていた。また、この戦争を正面から反対する人たちはほとんどいなかった 正面から反対するのは、共産主義の方や特別な人しかいなかった

  そうすることは、捕えられ、拷問、死を意味していた

  ほとんどの人は、反対できなかった ホーリネス系教会でも例外では決してなかった。

 

 再臨信仰は危険な考え方だ 国家にとっては、都合が悪い  国家の言うことがすべて、正しい それは、だれも批判できない、してはならない  国家を裁く者がいるなど断じて許されない 再臨のキリストが、日本国家を裁くなどとは

 

使徒パウロ

 使徒パウロ 彼のかつての名前はサウロ 熱心なユダヤ教徒 パリサイ派

  熱心に律法を守っていた、自分たちこそ正しい、神は自分たちを特別に選んでくださった。 その幸いな道に導いてくださった。

彼は、もう一つ熱心にしていたことがあった。

 それは、クリスチャンへの迫害、教会への迫害であった。

  見つけ次第、とらえ、獄の中に投げ入れていた。 迫害者サウロであった。

  その彼が経験した大きな出来事 ダマスコ途上での回心の出来事

 

 〇徒言行録9:1-31

9:1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、

9:2 ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。

9:3 ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。

9:4 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた

9:5 主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

9:6 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」

9:7 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。

9:8 サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。

9:9 サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。

9:17 そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」

9:18 すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、

9:19 食事をして元気を取り戻した。

 

 目の見えなくなったサウロ

  その目を復活の主がアナニアを遣わし、癒してくださった。

  イエスは、生きておられる 復活の主として  この私に声をかけてくださった。

 サウロは、主イエスを信じる者となった。 ユダヤ教徒ではなく、キリスト者になった。 しかも、福音を宣べ伝える伝道者となった。

  そして、今度は自分が命を狙われるものとなった。 迫害を受ける身となった。 名前は、サウロからパウロに変わった。

 パウロは、新しく与えられた道を、自分の道として歩み出した。

  そして、その道を歩み続けた。

  第1伝道旅行、第2伝道旅行、第3伝道旅行 と3回の伝道旅行をなした。

 

 第3回伝道旅行の最後のところで、ミレトスで、エフェソの教会の長老たちに来てもらい、彼らに告げる箇所

 

●使徒言行録20:17-24

20:17 パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。

20:18 長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。

20:19 すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。

20:20 役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。

20:21 神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。

20:22 そして今、わたしは、に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。

20:23 ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。

20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。

 

 パウロは、迫害、試練に遭いつつも、主に仕えてきた。

  エルサレムに戻ります。

  そこには、自分の命を狙うユダ人が多くいる。

   投獄と苦難が待ち受けている。 でも行きます。

   自分の道 自分の決められた道を走り通すためです。

   私にはなすべき任務があります。

    神の恵みの福音を力強く証しするという任務です。

   実際に、エルサレムでパウロはとらえられた。

   そして、ローマ皇帝に上訴し、ローマに護送される。

   ローマで、軟禁状態の中にも、2年間、福音を宣べ伝えた。

  パウロは、ネロ皇帝の迫害の中で、その生涯を終えたと伝えられている。

 

★厳しい中に

  昨年来の新型コロナ感染

  予想だにしなかった試練、大変さの中に投げ込まれた。何とか、乗り越えるしかない。 その大変さの中にも、踏ん張って労されておられる方々がいる。

   医療関係の仕事、介護関係の仕事。 

   厳しい経営の中にも、何とか乗り越えようと。

 

  79年前の宗教弾圧

   ホーリネス系教会だけが狙い撃ちされた。

   牧師は捕らえられ、教会には、教会牧師館には、牧師はいない。

    その教会員、その家族 どんなに大変だったことか

    教会での礼拝、祈祷会、家庭集会、一切持てない。

     教会解散命令

  その中で、主を仰ぎ、主に従い続けた人たちがいた。

   教会を守り続けた人たちがいた。

   

  戦後、その弾圧も終わり、新しい歩み出しができた。

   信仰を持ち続け、教会を守り続けた人たちがいたおかげで、

    主に従い続けた人たちがいたおかげで、再開の道ができた。

 

★自分の道を走り通す

●24節

20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。

 主が共にあって支えてくださる。 

  守り導いてくださる。

 

 

7月4日() 聖日礼拝  説教メモ

      「キリストに結ばれて」          コリント一1:1-9 

 

★土台

  建物において、一番大事なもの それは何だと思いますか?

   その建物の大きさ? 高さ? 見栄えの良さ? 部屋の数の多さ? 

   それらも魅力ではある。

   しかし、一番大切なものではない 一番大切なものは土台

   その建物を支えている土台、基礎そして、建物を支える構造

   これがしっかりしていなければ、建物は傾いてしまうことがあり、壊れてしまうことがある。

  土台、基礎がしっかりしており、建物を支える構造がしっかりしていれば、安心。

 人生の歩みにおいても、しっかりとした土台、基礎、そして構造は大切。

  自分を支えるもの、自分がより頼むもの それが確かであれば、その人生も確かなものに

 

★この書簡、手紙

  使徒パウロよりコリントの教会の信徒の人たちへの手紙

  これから、この手紙の内容を礼拝で学んでいきます。

 

★使徒パウロ

  使徒というのは、主イエスに直接会い、その方のもとで特別に愛され、共に歩み、大切な神の教えをいただいた者

   彼は、12弟子ではない。  

  主イエスがこの地上を歩まれた時、共に歩んだわけではない。

  主イエスを信じる弟子たち、キリスト者たちを嫌い、迫害していた者である  その彼が、自分のことを,  

●1節

1:1 神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、

   使徒となったパウロを自己紹介

 

●使徒言行録9:1-19

  自分自身の回心

   迫害者であった自分が、主イエスを信じる者、主イエスを宣べ伝える者に

   普通ならばありえないこと しかし、そうなった。

   ダマスコ途上での出来事

    復活の主イエスから声をかけられた。

   あまりに強い光で目が見えなくなった。

    何が起きたのか 復活の主イエスなぞ、偽りだ その方から声がかけられた。 自分がやってきたこと、それはあまりにひどいこと

    このまま、ずっと、一生目が見えないまま もありうる

    神の裁きとして、・・   でも、そうではなかった。

   主イエスは、主の弟子であるアナニアをサウロのもとに送られた、

  主の御心を知った。  目が見えるようになること

   主を宣べ伝えるようになること  主の愛の中に招かれている。

  主の者となって、歩むこと、生きること。

 

 パウロは知った。

  神の大きな愛、憐みが自分に注がれている。

  そして、その愛によって、自分は裁きの的となるのではなく、救いの的となった。 神の愛は、自分に集中的に注がれた。

  

 神の御心は、自分が滅びることではなく、救われること。 

  神の子どもとされ、神の愛の中に生きること。

 

神の御心によって召されて

  神の御心によって、呼ばれたのだ、招かれたのだ。 そして、その愛の中で生きる者とされた。 それが、パウロの生きる上での土台となった。

  神に愛され、神に招かれて、救いに与った。

   そして、歩むべき道を示され、今歩んでいる。今まで歩んできた。

 

恵みと平和

  使徒パウロの挨拶

  恵みと平和がありますように

●3節 

1:3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

  父なる神と主イエス・キリストから、最高のものがありますように。

  

 ★恵みがありますように。

   神の特別の愛、 憐みの愛、 恩寵、 神の顧み

   受ける資格のない者に注がれる愛

   あの放蕩息子のたとえ。  放蕩の限りを尽くした弟息子

    父をさんざん悲しめた。父の愛を踏みにじった。

   すべてを失って、もうどうしようもない。どうにもこうにもならない。  帰るところはどこにもない。 父の家に戻ろうか でも、子どもとしての資格はもはやない。雇人の一人に

   父は、喜んで迎えてくれた。 子どもとして、迎え入れてくれた。

   その父とは、天の神さまのこと

   受ける資格の兄者に神は、大きな愛を注いでくださる

    存分の愛を注いでくださっている。

    その愛によって、生きていくことができる。

   恵みがありますように。  神の愛が豊かに注がれています。

    その愛を十分に受けてください。

 

 ★平和がありますように

   平安がありますように。

   心の平安。魂の平安、安らぎ

   自分が生かされている。生きることの喜び、感謝

   その根本、土台

    それは、神とつながって生きている、神の子どもとされている。

    

★赤星修一兄の証し  

「イエス·キリストが与えて下さる幸福」     70周年記念誌  

 キリスト教とは全く無緑であった私に、ご自身を現して下さったのです。 イエスにお会い出来たのは、私の人生の中で最も喜ばしい出来事です。もし、この方を知ることがなかったら、私の生涯はどんなに暗く、心の痛みと悩みに満ちたものであったことでしょう。

イエスの贖いの故に、私のすべての罪が赦され、神の前に清く正しい者とされているという安心感から心がいつも平和です。

 

 神によって罪赦された幸い。

 

●詩編32:1-2

32:1 【ダビデの詩。マスキール。】いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。

32:2 いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。

 

 

 神との断絶の状態

  暗い部屋 そこに電気がともる 嬉しいこと

  どこかが切れていた。壊れていた、それが直り、電気が届き、スイッチを入れると光がともる 部屋が明るくなる。

  神様と断絶している状態から、つながった状態に

 神さまとつながって生きる。 神さまにお祈りできる。

自分は、神の子どもとされている。

  その平和、平安がありますように。

   神に罪赦された者として生きていかれますように。

  神の子どもとしての資格(身分)をいただいて、歩んで行かれますように。

  

★神の真実

●9節

1:9 神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。

   真実  変わらない心。その方

  良い心で、そのことを貫き通す。  いつまでも変わらない姿、態度

   そのような姿、態度 それはその心がなければ難しい。

   人の真実は、不純さが混じることがあり、それは変わってしまうことがある。 人にそれを求めすぎると失望させられる。

  神は、失望させない。変わらない愛、 変わりなく注ぎ続ける愛

   注いでも注いでも受け取られない。 諦める。もう知らないとなる。

  神は、最後に、独り子イエスをお遣わしになった。

   あくまでも、私たちを救うために。

   そこまでやったから、もう、それでよしとされなかった。

   キリスト・イエスをこの世に与えてくださった。

  キリストとの交わりの中に招き入れてくださった。

   救いへの招き  共に歩もう。

   神の招き さあ共に歩もうと

  

●5節

1:5 あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。

口語訳】

1:5 あなたがたはキリストにあって、すべてのことに、すなわち、すべての言葉にもすべての知識にも恵まれ、

新改訳改訂3】

1:5 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。

 

  キリストにあって

   彼の中に、 彼に、 彼によって

  キリストに結ばれて  キリストがすべてを結び合わせていてくださっている。  父なる神と

  

キリストにあって  すべてが始まる  

○コリント二5:17

5:17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

【口語訳】

5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

【新改訳改訂3】

5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

キリストにあって、キリストに結ばれて

 新しく造られる

 古いものは過ぎ去った。新しいものが

  主によって、新しい世界

   命につながる世界、実を結ぶ世界

 

○ヨハネ福音書15:1,5

◆イエスはまことのぶどうの木

15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、 

わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

 

 言葉、知識において 恵まれ

●6-8節

1:6 こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、

1:7 その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。

1:8 主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。

 

 証し 主を指し示す

 主のご支配を待ち望みつつ

 人生の最後まで 支えてくださる。

  

 

7月18日() 聖日礼拝  説教メモ

      「心と思いを一つにして」   コリント一1章21-26節 

 

★喜び、感謝

  願ったことがかなったとき、大きな喜び、感謝がある。

   こうなりたい、これを手に入れたい。

   願ったものを手に入れた、願ったことがかなった。

 

  一人の喜びでなく、皆で喜ぶ場合

   家族の中の一人が病気になった、入院した。 心配

   良くなった。入院したけど、無事に良くなって退院できた。 喜び、感謝

   家族の心がつながっている。心が結ばれている。

    困難な時、それを皆で乗り越えようと

    また、一つのことを共に喜ぶ

     共に過ごせること、健康が守られていること

     共に、元気で過ごせること  共に、食事ができること

  

   喜び、感謝

    心がつながっている、共に心を合わせて歩めていること

    共に協力して励まし合い、進めるとき、まさに、喜び、感謝

    安らぎ

 

★喜び、感謝の反対のこと

  安らぎがない。 平安がない。 いつも心がいら立っている。

  その大きな原因が仲たがい、争い

   人と人の間で 民族と民族、国と国

  

仲たがい、争いの問題

 コリントの教会に起きていた課題、問題

●11―12節

1:11 わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。

1:12 あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。

 

 仲たがい(10節) 仲間割れ(新改訳)、 分争(口語訳)

仲たがい、争い それによって、喜び、感謝が吹き飛んでしまう。

  

 分裂、分派 

  コリントの教会に集う者たちのうちに、分裂、分派

  パウロにつく、アポロにつく、ケファにつく、キリストにつく

  自分たちはパウログループ、 アポログループ、 ケファグループ、 キリストグループ

 教会の中で、優れた指導者  アポロ、ケファ、パウロ

 そしてある者たちは、キリストを持ちだして、キリストだと

自分たちの頭こそ、一番だ 自分たちこそ、一番優れている、一番数が多い、優秀だ、・・

   

●14-16節 

1:14 クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。

1:15 だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。

1:16 もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。

  パウロは、数人のみに洗礼を授けた。

  誰が偉いとかはない、パウログループもないはずだ

  

●17節 

1:17 なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。

 

  パウロ自身

  宣教者、伝道者 福音を宣べ伝え、主イエスの救いに与るように

  洗礼を授ける それは救いに与った者が、その救いを喜び、感謝して歩んでいけるように  洗礼を授けることを誇るためではない。

  キリストの十字架を伝えるのに、言葉に知恵によらずに

  言葉の知恵

   人間の言葉の知恵  神の言葉ではなく、人間の言葉

    そこでの人間とは  知識がある、経験がある、力がある

     互いに誇りあう、競い合う

   どちらが偉いか、どちらが知恵があるか、どちらが力があるか

   どちらが人数が多いか、・・

 

マタイ福音書20:35-45 

10:35 ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」

10:36 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、

10:37 二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」

10:38 イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」

10:39 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。

10:40 しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」

10:41 ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。

10:42 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。

10:43 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、

10:44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。

10:45 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

  

○ルカ福音書22:24-27 

22:24 また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。

22:25 そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。

22:26 しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。

22:27 食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。

 

十二弟子の中で、くすぶっていたものは、それは誰が一番偉いか

  偉いものになりたい

  イエス様は別格として、自分たちの中で誰が偉いか、立派か

 主イエスは、弟子たちに仕えることの大切さを語られた。 

 

主イエスのお手本

  僕となり、弟子たちの足を洗われた

○ヨハネ福音書13:1-5 

13:1 さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。

13:2 夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。

13:3 イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、

13:4 食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。

13:5 それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。

 

 知恵の言葉では限界、行き詰まり

  人が前面に、個人の立派さ、知識、経験、力が前面に出るなら

   そこに誇り合い、競い合い。 人を見下す。

   自分が立派、自分たちが立派、優れている

  分裂、分派、仲間割れ、分争、争いが起きてくる。

 

●10節

1:10 さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。

 

 心を一つにし、思いを一つにし。堅く結びあいなさい。

【口語訳】

1:10 さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。みな語ることを一つにして、お互の間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい。

 【新改訳改訂3】

1:10 さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。

 

  キリストを見つけ  キリストの心を心として

  

○マタイ20:43-45

10:43 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、

10:44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。

10:45 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。

 

○ヨハネ福音書13:14

13:14 ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。

 

心と思いを一つにして

同じ心、思いをもって

 

 キリストを見上げ、キリストの心を受けとめつつ

  

  

7月25日() 聖日礼拝  説教メモ

      「十字架の言葉は神の力」   コリント一1章18-25節

 ◎

◎コリント一1:18-25

1:18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。

1:19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」

1:20 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。

1:21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

1:22 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、

1:23 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、

1:24 ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。

1:25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

 

★宝 

  大切なもの 宝物  自分にとって大切なもの、   

車、家、宝石・・   家族、友達、・・

   名誉、地位、・・   自分の人生、・・

  その一つ一つが生かされるためには、自分自身が確かであること

守られていること、支えられていること、平安と喜びがあること、そして希望があることではないか

 

★自分が獲得したもの

  頑張り、努力で、いろいろなものを獲得する  お金、持ち物、ポスト、地位  しかし、それらはやがて過ぎ去っていく、失われていく。

  

★自分に与えられたもの

  自分の命、家族  それらは与えられたもの それは一番幸いなもの

  でも、それさえも乏しくなることがある。いつか失われていく

  その与えられた尊いものを守ってくださるお方、支えてくださるお方

  その方は、天の神さま その方に支えられ、生かされるならば、幸いです。

 

★本日の中心聖句は18節です。

●18節

1:18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。

  神の力 神の力によって、守られ、支えられ、導かれる

  そこには、生きる喜び、感謝がある。 平安がある。希望がある。  

   

 このことを、人生の歩みの中心に据えている人。それを土台として生きている者は幸いです。 

 十字架の言葉とは 十字架の主イエス

 この世に降ってくださり、最後には十字架につけられたイエス・キリスト

  この本当の意味を理解していない者にとっては、愚かなもの

   心にとめるに値しない、信じるに値しない

   それは愚かなもの どうでもよいもの

  その本当の意味を理解した者にとっては、尊いもの、そこに命がある

   神のご支配がある。 そのご支配のもとに生かされる。 まさに、神の力である。

 

 ★知恵 

  人間の知恵と神の知恵がある。

 ★人の知恵について

  人間の知恵 人間の理解

  知恵をたくさん持てば、良いものをたくさん手に入れることができる。

   自分の知恵こそ、考えこそ 一番

   自分がより良いものになりたい、より良いものを手に入れたい。

   自分の知恵こそ、経験こそ、大事だ

●22節

 1:22 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、

 

  ギリシャ人は知恵を探す

●使徒17:16-21

   哲学者としての知恵

   真理とは、人生で大切なものとは、すべての中心は何か

   あれこれ思いめぐらす

  新しい考え方、物事をそうとらえるか、次々に新しいものを探し求める

   際限がない。きりがない 

   

 ユダヤ人はしるしを求める

   神からのしるし、特別な出来事。奇跡を求める

   奇跡を見たら信じよう  結果を求める

   これを通して、こんな良いものが手に入った。

    どんなもの これこれのもの 自分もそれを手に入れたい

    これこれの神々 山の神、海の神、安産の神、学問の神

    これこれを信じたら、これを受けることができる

     よし次はこれ、次はあれと

  私自身の一つの経験

   奇跡を見たら信じても良い

    求道者の時 そうでなければ信じない

    その間違いを気が付かされた

     一人の信仰の指導者、リーダーを通して 片岡伸光主事(KGK)

●ヨハネ1:18  

1:18 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

  神を求める中で 間違った求め方  自分の考えに合ったら、信じても良い

   信じてやっても良い 

    

  人間の知恵

   珍しいものを神に 白い蛇 それを神とする 

   大きなもの 巨大の岩、巨大な木、大きな山、太陽を 神とする

   偉大なもの 歴史上の人物を神をする

   益をもたらすもの、願いをかなえてくれるものを神に

   それらは、すべて人間的な考え  結局は、人間の欲、人間的な考え、とらえ方

●21節    

 1:21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。 

  自分の知恵によっては神を知ることはできない。

  自分のやり方で、神を自分の中で作りあげる 自分の都合の良いものを神とする それは間違っている、まことの神に出会うことはできない。

  

神の知恵

  神ご自身が、私たちのもとに来てくださった。

  神の御子イエスが、人となってこの世においでくださった。

  神が人となっておいでくださった。

 

  人間の知恵では、神を知ることはできない。

  神の知恵によって、人は神を知ることができる。

 

  私たち人間は、そのままでは滅びゆくもの

  神の命に与れないまま、滅んでいくもの 神との断絶 その根本原因に人間の罪がある。 神と関係なく、神の命から切り離されたまま、罪を抱え歩んでいく。

 その私たちに命を与えるために 神との交わりを回復させるために、神は一番大切なものを手放された。 独り子イエスをこの世に下された。

●ヨハネ福音書3:16

 3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 

  そのおろかに見える方法を用いられた。

  人々の人間的なとらえ方

   神が人となって来てくださった。 最後は十字架にかかられた。 

それはみじめ、信じるに値しないと

 しかし、そのおろかに思える出来事を神はなしてくださった。

 

●ローマ6:23

6:23 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。

  

  御子イエスが、私たちの、あなたの払いきれない罪の代価を支払ってくださった。 私たちを、あなたに永遠の命を与えるために。自らの命を捧げてくださった。  神の大きな犠牲、神の愛

  

●23節

 1:23 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。

●24節

1:24 ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。

   神の力、神の知恵であるキリスト  その方を宣べ伝えると その方を指し示すと

 

十字架の言葉は神の力

  十字架の言葉とは、神の御子である主イエスが十字架についてくださったということ その方が私たちの救い主となってくださったということ

  その方こそ、私たちを救うお方

   私たちが滅びに落ちないようにしてくださる。

   その方が、私たちと神を結び合わせてくださる方である。

 その方によって、私たちは神の命につながって生きていくことができる。

  その方こそ、私たちを生かしてくださるお方

   

・自分が獲得したもの

   お金、持ち物、ポスト、地位 それらはやがて過ぎ去っていく、失われていく。 しかし、それを自分だけのために用いないで、他の方と分かち合う。

   

・自分に与えられたもの

   自分の命、家族  それらは与えられたもの それは一番幸いなもの

   それさえも乏しくなることがある。いつか失われていく

   その与えられた尊いものを、キリストにあって、神につながり、

その方によって守っていただく、支えていただく

  その方によって、生かされ歩む。  十字架の主を崇めつつ、ハレルヤ!

 

  

8月1日() 聖日礼拝  説教メモ

       「義と聖と贖い」       コリント一1章26-31節

 

★以前は

  かつてはどうであったか  以前を振り返る 

   赤ちゃんの時、幼児の時、子どもの時 若い時、 壮年の時

  それぞれ、思い起こす。 

 確かに、以前は華々しかった、しかし、今はということもないわけではない。

 かつては、何もなかった。何も持っていなかった。 今は、こうして持っている、与えられている。 かつては、何も知らなかった。今は、こうして、これこれのことを知る者となった。 かつては、希望を持っていなかった。 今は、希望を持つ者となった。

 

●26節  

1:26 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。  

 希望を持てずにさまよっていた。将来に向けての不安、恐れをいだいていた。

  何のために生きているのかわからなかった。 その時の思いのままに生きていた。

 

○以前は、自分の過ちと罪のために死んでいたのです。

  以前は、肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。 むなしく歩んでいた。 神と断絶して、歩んでいた。

  かつては、どうなるかわからない、どこに向かっているのかもわからない。

   一時的な満足はあっても、むなしく、さまよっていた。

   滅びに向かっていた。

  その自分が、主イエスにある救いを知り、その中に招かれ、救いへと導かれ、救われた。

  

★神の選び

  その才能を見出されて、スカウトされる。

   女子ソフトの後藤希友(みう) 最年少ピッチャー 20歳

  神の選び

   才能豊かな者、優れたものを選ばれるのではない。

   立派な人を選ばれるのでもない。

 

●27-28節  

1:27 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。

1:28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。

 

  神の選びは不思議

  世の無学な者、世の無力な者を選ばれる。

  世の無に等しい者、身分の卑しい者を選ばれる。

  

○ルカ福音書19:1-10  

19:5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」

19:6 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。

19:9 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。

19:10 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

   お金持ちであったが、真の友達のいなかったザーカイ

  これで良いのだろうか、なんだか寂しい、 なんだかむなしい

  心の中で悲しんでいたザーカイ 町の人たちから嫌われていた。

  そのザーカイに声をかけてくださった。 失われたものを探して救うため。

 

  愛されていること、愛が注がれていることを知った。

   みじめの自分。取るに足りない自分

   あえて選び、御手を差し伸べてくださった。

  

★原田 謙牧師

  1981~1989年度 9年間

  上総大原教会、名古屋西教会(18年)、北九州復興教会(9年間)

  更生教会(20年) 50年ほどの牧会伝道

  ホ群委員、ホ群委員長、東京聖書学校教授、副校長、 教団常議員

  76歳の時にくも膜下出血で倒れたれ、高次脳機能障害

  88歳で7月26日(月)に召天

    

★誇る

  自分の才能で、自分の頑張りで、これこれのものを手に入れた。  

   自分はこうなった 誇りとなる 自分を誇ってしまう。

  どうしようもない者、みじめな者、小さなもの。

  その自分を神が選んでくださった。 自分を誇ることはできない。

   ただ、神を指し示すのみ。

 

●29節

1:29 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。

 

★誇る者は神を誇れ

  神に感謝して、神を指し示しつつ、生きる。 主を崇めつつ、歩む

 

●30-31節

1:30 神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。

1:31 「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

 

○エフェソ2:4-5

2:4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、

2:5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――

  神の愛、その愛によって救いへと招かれた。キリストと共に生きる者にしてくださった。

  キリストは、義と聖と贖いとなってくださった。

 

ある牧師は、次のように

 「義」とは、神様の前に立つことができる正しさです。私たちの中にはそれはありません。私たちは、神様の前にとうてい立つこのできない罪人です。主イエス・キリストは、その私たちのところに来て下さり、私たちに代って義となって下さいました。私たちは、キリスト・イエスに結ばれることによって、キリストの義をまとって、神様の前に立つことができるのです。

 「聖」とは、神様に近付くことができる清さです。それもまた私たちの中にはないものです。主イエス・キリストが私たちに代って聖なる方として生きて下さり、信じる者を聖として下さるのです。

 「贖い」とは、罪人が赦され、捕えられている者が解放されるために身代金が支払われることです。私たちは、その贖いなしには神様の民となることができない、救いにあずかることができない罪人です。その私たちのために、主イエス・キリストが、ご自分の命を身代金として与えて、贖いの業を成し遂げて下さいました。

  

  義 罪が赦された、神の前に立つことができる キリストの義をまとい

    もはや裁かれるものではない、滅びる者ではない。

 

  聖 聖なるお方が、私たちを導いてくださる。 ご支配くださる。

    聖霊なる神によって、日々、生涯にわたって聖められる。

 

  贖い 神が罪の代価をすべて払ってくださった。

     十字架のキリストの死をもって、罪の赦しの土台は据えられた。

     この主を土台として、歩む。

 

★義と聖と贖い

  神の知恵であるイエス・キリストを通して、神を知り、その愛に生かされるものとなった。     

 

  キリストこそ、私たちにとって、神の知恵であり、義と聖と贖いとなってくださった。 感謝、ハレルヤ!

 

8月8日() 聖日礼拝  説教メモ

      「神の力によって」   コリントの信徒への手紙一2章1-8節 

 

★あこがれ

  いろいろなものにあこがれる

   幸せにあこがれる 幸せになりたい、幸せな生活

   持ち物にあこがれる  あれを手に入れたい、これを

   力にあこがれる

    力があれば、あのこともこのこともできる

    力によって、手に入れることのできるもの

 

★力を手に入れる

  自然に力を手に入れることは、ほぼ不可能

   たゆまない努力、頑張り その中で、力を手に入れる

    腕力、筋力、 持久力、 会話力、 能力、  仕事力、 

    知識、  読解力、  分析力、  突破力

    知力、  演奏力、  パフオーマンス、 技術力

   そのような力は、努力の賜物

    生まれつき備わった賜物、育った環境によることも

  そのような力 あこがれるものかもしれない。

  それが、最高のものか 必ずしもそうとは言えないことも

   それらを十分持っている。 しかし、孤独ということもある。

   人とのつながりがうまくいかないということもある。

   あまりに、多くの力、能力を持っていても、それらが心をオーバーヒートすることがある。

   それらの力があれば、幸せかというと必ずしもそうは言えない。

   その力が、その人を、他の人を幸せにするか

   その力が偏ったり、自分だけのために用いられて、他の人のものを奪うことになることもある。

   

★力の限界

  自分の持っている力では、及ばない難しい問題

  自分の力の限界、 大きいと思っていたが、そうではなかった。

   あまりに難しい問題、山 

   力を失うこともある。持っていた力がだんだん失われる。 

    年と共に  寂しさを感じる。 失意、落胆する。

   

人の力

限界があり、人との比較

その限界を知らされ、悲しみを覚えることもある

   それをあまりに目指すあまり、大切なことも見失うこともある。

   自分だけの世界、自分たちだけ良ければよい。

   他の人を抑え込み、傷つけ、抹殺することもある。

     

★パウロの陥ったところ、現状

●3節 

2:3 そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。

 衰弱していた 弱り切っていた。 あのパウロが、衰弱しきっていた。

 恐れに取りつかれていた。 恐れに囲まれ、心が恐れでいっぱいになっていた。

 ひどく不安でした。 不安でたまらない。不安でいっぱい。

 心が落ち着かない、弱り果てていた。 夜もよく眠れない

 大きな行き詰まり。 その原因は、いくつか考えられる。  

 健康状態、身体に難しい病を抱えていた。よくならない病気、それを一生抱えていかなければならない。

  その病の中で、様々なことが制限される、人々からさげすまれる。 

   うまくいくと思っていたのに、うまくいかない。 突破できない。

  パウロ自身

   ここでは特に、宣教においての大きな壁  人々の心に届かない。

   パウロ、最高の知識があり、雄弁であったことでしょう。

   議論すれば、だれも太刀打ちできない力を持っていたことでしょう。

 

●1-2節    

2:1 兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。

2:2 なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。

  

この世の知恵、人間の知恵、力により頼む人たちに、対抗して、

 その世の知恵、人間の知恵、力に対して、さらに優れた世の知恵、人間の知恵、力で対抗した。

 たとえ、打ち負かしたとしても、その人の心の奥底には、福音は届かなかった。

  悔い改め、主を信じる者がほとんど起きなかった。

 第2伝道旅行で、コリントにつく前でのアテネでの出来事であったのではないか  使徒言行録17章16-33節

 優れた言葉や知恵を用いないことに

 議論に勝つこと、人々の称賛を受けることがどうでもよい。

 それらは、クズだ。 優れた言葉や知恵を用いない

 

●4-5節 

2:4 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、と力の証明によるものでした。

2:5 それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。

 

宣教

 相手の心に届く その人のうちに届くために。

 霊と力の証明による 聖霊なる神が働いてくださる。 聖霊がその人に触れてくださるように。  そのことを祈り求める。

 神の力が臨んでくださるように。 そのことを願い求める。

人の言葉が届かないと思われる中にも、主が働いてくださる。

 

★Aさん

  伴侶のクリスチャンの姉妹は、70歳を前に、すい臓がんで亡くなられる。

  引っ越した先の福岡市の住まいの近くに教会に足を運ぶように。

  その教会に足を運ぶようになり、達子さんが教会に通っていたことの意味が分かるように。 教会の方々が、礼拝に出席される意味、奉仕する意味が少しずつ分かってきて、 自分と同じような悲しみを経験された方もいて。

 そのような中で、奥さんが召されて、2年目のクリスマスに、自ら進んで、

  洗礼を願い出て、洗礼を受けられた。  

 

 マイナスと思えること

  プラスの思えること、良いことが次々と続く 

   勝利に勝利、それらがあったら、人々は、それは良いことだ。

   それなら、自分も神を信じようか

  ところが、その反対のことが起きたら、続いたら、どうでしょう? 

   信仰に入るブレーキ、つまずき、これはもうだめだ。

 でも、そうではない。

  主が、そこに働いてくださるときに、主の業がなされる。

   悔い改めが起き、信仰告白が起きる。主に立ち返る者が起こされる。

  

 霊と力による

  聖霊なる神が臨んでくださる。 働いてくださる。

  神の力がそこに臨まれる。 神が動いてくださる。

 だから、祈るのです。 主が働いてくださるようにと祈る。祈り求める。

 今、このことの中で、この厳しい中で、これ以上何ができるかという中で、

 祈るのです。 主よ、臨んでください。

 私には、限界です。これ以上できることはありません。

主よ、働いてください。

 

●6-7節

2:6 しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。

2:7 わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。

 

★隠された、神秘としての神の知恵

  神の知恵

  人の力では救いに至ることはできない。

   修養、修行 修養を重ねる。修行を積む

    それらは、尊いものかもしれないが、救いには至らず、

    むしろ、人との比較。これだけしたのだからというおごりが起きる。

     霊の目を曇らせる

   頑張り、努力によっても、人は救いには至らない。

   神と人間との間の断絶  その深い谷を埋めることはできない。

    

   その断絶の原因である罪が自分のうちにあることを認め、

   悔い改めることを通して、十字架の主イエスを仰ぐことを通して

   救いの招きを受け取ることができる。

 

  そのために、主なる神は、主イエスをこの世にお遣わしくださった。

   主イエスは、私たちそれぞれの払いきれない罪の代価を支払って

   くださった。

 

 その主イエスを伝える。 十字架の主イエスを伝える。

 

○コリント二4:7-11

4:7 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。

4:8 わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、

4:9 虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。

4:10 わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。

4:11 わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。

 

 

 使徒パウロ

  四方から苦しめれた 行き詰まりかけた  途方に暮れかけた

   苦しみの中で、投げこまれた。

   その最終的なこと  行き詰らず、  途方にくれず。

  主が臨んでくださった。 支えてくださった。 主は支えてくださる。

  十字架についてくださった主イエスは、復活されたお方

   その方が、その復活の力をパウロのうちに働かせてくださった。

 

 私たちも、その恵みに生きることができる。

  復活の力を、私たちのうちに働かせてくださる。

  その苦しみを経験する中で、絶望を経験する中で、

  今まで、ほとんど、いやほんの少ししか仰がなかった、切には求めなかった  

 神の助け、神の導き

   主のご支配の中で、支えてください。生かしてください。 

   主の弟子として歩ませてくださいという祈り、願い

    その時に臨んでくださる主のご支配、

 

●14節

4:14 主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。

 

神の力によって

  聖霊なる神のご支配  復活の主の力

  救いの土台である主イエスの十字架

  その恵みに支えられて生きる、歩む。

 

  主が助け、守り、勝利をとってくださる。

 

8月15日() 召天者合同記念礼拝  説教メモ

      「死の陰の谷を行くときも」    詩編23編1-6節  

 

詩編23編

  聖書の中で、最も有名な聖書の箇所  多くの方によって愛された箇所

  

◎詩編23:1-6(新共同訳)

23:1 【賛歌。ダビデの詩。】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

23:2 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い

23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。

23:4 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。

23:5 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わわたしの頭に香油を注ぎ 私の盃を溢れさせてくださる。

23:6 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。

 

★私たちは、弱く、迷いやすい

  私たちは強く見えて、決して強くない、弱い 迷わないように見えて、迷いやすい。

 

★羊は、強くなく、迷いやすい

  羊は、丸々と太っているように見え、毛を刈られるとそれほどでもない。

   毛を刈られると痩せている印象

   目があまりよくないようで、迷いやすい。 

   オオカミが来たら、逃げ惑う。

  弱く、迷いやすい存在。 私たちと似ているといえるかもしれません。

  

★羊と羊飼いの関係  

 羊は羊飼いの保護のもと、日々、健やかに、守られて過ごすことができる。

  詩編23編は、羊と羊飼いの麗しい関係を記したもの。

  それは、私たちと天の神様の関係を言い表しています。

 

★幸いなもの

  日々の必要が与えられる

   羊にとっては、おいしい草であり、飲み物

  私たちにとっては、生きていく上で、必要なもの 健康、食べ物、お金、

  守られている

   羊にとっては、様々な危険、崖、大きな穴

   私たちにとっては、様々な災い いろいろな災害、事故

    現在、コロナ禍 感染症、病気 

  安心感 守れているという安心感  憩うことができる 心の平安

 

★主は、良き羊飼い

  主は、私の羊飼い

   この私に目を注ぎ、愛し、導いてくださるお方。

・主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 

・主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。 (口語訳)

・主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 (新改訳)

私の羊飼い 

 

★主イエスは良い羊飼い

 ●ヨハネよる福音書10:11-15

10:11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。

10:12 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――

10:13 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。

10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。

10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。

 

 神は羊飼いなるお方

  私たちを愛し、御独り子イエスをお遣わしくださった。

 イエス・キリストは、私たちのために、その命を十字架で捧げてくださった。

  

★「死の陰の谷を行くときも」

  死の陰の谷 それは、最も暗いところ、最も心細くなるところ

   死に対する恐怖  人生における最大の危機

  

23:4 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。 (新共同訳)

23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。 (口語訳)

23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。 (新改訳)  

  その一番苦しい時に、共にいてくださる主 インマヌエルの主

 

●3節 

23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。

  人生の途上で、魂が弱り果てることがある。

  主のご支配の中で、魂をいやしていただく。引き上げていただく経験をなしつつ 

 

◆砂の上の足跡

 ある晩、男が夢をみていた。

 夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。

そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。

どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。

ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。

人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。

 すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだった。

すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。

「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」

 神は答えられた。

「わが子よ。 私の大切な子供よ。 私はあなたを愛している。 私はあなたを見捨てはしない。あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」

 

復活の命へと

●6節 

23:6 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。

 

  生の歩みを守り、導いてくださる主は、復活の主である。

  天の御国の住まいを備えてくださったお方

  この地上での歩みをご支配、天の御国をご支配しておられる主。

 

  先に召された兄弟姉妹を覚え、主に従っていきましょう。

  先に召された祈られた教会員の家族を覚え、主を信じる者とさせていただき  ましょう。

 

8月22日() 聖日礼拝  説教メモ

    「キリストの心」   コリントの信徒への手紙一2章9-16節 

 

★上からの恵み

  上から良きものが与えられる。天からの恵み

   雨 時に降りすぎて大変なこともあるが、雨水 大地に

    飲み水となる、木々が育ち、作物ができる

    太陽の光 明るい世界、 いろいろなものが見える、様々な色

     光合成、 太陽エネルギー

     

  天からの恵み

   御子イエス、 そして聖霊なる神

   この世界に生きる私たちに、霊の命、永遠の命、そして、天の御国の命を

    様々な知恵がある。 上からのひらめき、天からの知恵

   それらの良きもので、生かされたい。

  

◎コリント一2:9-16 

2:9 しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。

2:10 わたしたちには、神がによってそのことを明らかに示してくださいました。は一切のことを、神の深みさえも究めます。

2:11 人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。

2:12 わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。

2:13 そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。

2:14 自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。

2:15 霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。

2:16 「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか。」しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。

 

★自然の人と霊の人

★自然の人(14節)

  世の霊によって、歩む人  人間的知恵、考え方

  それらは、この世にあってはある程度力を発揮する。

  しかし、神を知ることはできない。 命の主を知ることはできない。

◎14節

2:14 自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。

 

〇1:19-22

1:19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし賢い者の賢さを意味のないものにする。」

1:20 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。

1:21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

1:22 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、

 

 自分の知恵では、神を知ることはできない。

 しるしを求め、知恵を探す 自分の側に神を引き寄せようとする。

  上に立って 自分の知恵で神をとらえるのだ 神を導くのだ

  それは愚かなこと

  神を支配することはできない。

  

★霊の人

◎12節

2:12 わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。

◎15節

2:15 霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。

   霊の人

   主の前に遜る人  主を心から仰ぐ人  信仰にあって生きる人

  その本質は、何か?

   神の霊を受けている人、 神からの霊を受けた人

   自分の罪を認め、自分が罪人であることを認め、主イエスを救い主として受け入れ、信じた人

   罪を赦され、神の子とされた人

 

○ローマ8:14-16

8:14 神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。

8:15 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。

8:16 この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。

 神の子とする霊を受けた者 聖霊を内にいただいた者 

  神の霊に導かれて歩む者は

   人の霊、人の知恵によらずに生きる者

   人の知恵は、神の霊に比べて、はるかに貧しい、乏しい

  神の霊こそが、人に神の命の道を歩ませてくださる。

   神の御心を知ることができるようにしてくださる。

 

◎12-13節

2:12 わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。

2:13 そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。

  霊的なこと

   それは、なにか神々しく見えるものではない。

   神々しさ それは時に人をだます

    それをもって、人を支配することさえ起きる マインドコントロール

     宗教的偽りで人を支配することさえある。 それは間違い

  “霊”聖霊によって、神の知恵をいただく

    神の御心を教えていただく

  

○1:27-28

1:27 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。

1:28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。

 

 世の無力な者、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者

  主が選んでくださった。 神の子としてくださった。

 神を心から敬い、仰ぐ者にしてくださった。

 

神の霊、聖霊

聖霊は、真理の霊である。 真理の霊として、私たちを導いてくださる。

  神の御心を教えてくださる。

 

○ヨハネ15:26-27

15:26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。

15:27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。

  父なる神から送られた真理の霊

 

○ヨハネ16:7-8,13-15

16:7 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。

16:8 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。

16:13 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。

16:14 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。

16:15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

 何が大切なことかを教え導いてくださる。

  人の知恵ではなく、神の知恵へと導いてくださる。

  主イエスの十字架と復活の大いなる恵みを教えてくださる。

 

★キリストの心

◎2:16

【新共同訳】

「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか。」しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。

【口語訳】

「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。

【新改訳改訂3】

いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。

 

 キリストの思い、キリストの心 神の御心

 それをいただいている  その御心を受け止めて歩む。生きる

 神の命に生かされる。 その幸いに生きる。 

 

○イザヤ45:22

45:22 地の果てのすべての人々よ わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。

  主を仰いで、救いを得よ。

 

○イザヤ60:19-20

60:19 太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず 月の輝きがあなたを照らすこともない。主があなたのとこしえの光となり あなたの神があなたの輝きとなられる。

60:20 あなたの太陽は再び沈むことなく あなたの月は欠けることがない。主があなたの永遠の光となり あなたの嘆きの日々は終わる。 

  嘆きの日々を終わらせる。 嘆きではなく、喜び、感謝へ

 

○ホセア5:4-6

5:4 まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。

5:5 しかし、ベテルに助けを求めるな ギルガルに行くな ベエル・シェバに赴くな。ギルガルは必ず捕らえ移され ベテルは無に帰するから。

5:6 主を求めよ、そして生きよ。さもないと主は火のように ヨセフの家に襲いかかり 火が燃え盛っても ベテルのためにその火を消す者はない。 

  主を求めて生きよ  生きよ 主と共に歩む中で、生きよ 生かすと

 

○ヨハネ8:12

◆イエスは世の光 

8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

  暗闇の中を歩く日々は終わる。 命の光を持って、歩め。 生きよ

 

○ヨハネ15:4-8

15:4 たしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。

15:5 たしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

15:6 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。

15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。

15:8 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。

 

 実を結ばないものではなく、実を結ぶものとする  その道を選べ

 

 キリストの心 神の心 

 私たちに対する愛、その愛であなたを生かす。 あなたの人生を導く。

なんという感謝。

 

8月29日() 聖日礼拝  説教メモ

    「成長させてくださる神」  コリントの信徒への手紙一3章1-9節

 

人の集まり

  その集まりは、何らかの目的を持っている。

  いろいろな人が集まる、考え方、ものごとの見方違う。

  そこで、あってほしいもの、それは、一致であり協力である。

  実際には、なかなか難しい。

   一致ではなく不一致 協力ではなく非協力 

   挙句の果てには対立、抗争さえ起きることがある。

   

コリント教会の課題の一つ

  それは、不一致、対立、抗争があった。 分派があった。

 

○11-12節 

1:11 わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。

1:12 あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。

 パウロ派、アポロ派、ケファ派、キリスト派 と分かれていた。

 互いに対立していた。 自分たちこそ優れている、知恵がある、力があると

 悲しいが現実であった。

 

 考えてみると、世界の現実でもある。

 人と人、国と国の対立 互いにグループを作って、他のグループと対立する。

  国際社会においても、国々が一つのグループを 他の国々が別のグループを

  互いに対立する。 相手をけん制する。

  一致ではなく、不一致 協力ではなく、足の引き合い 

 それに対して、使徒パウロの言葉、進言、忠告、アドバイス

 

◎10節

1:10 さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。

  心を一つにし、思いを一つにしない。 固く結び合いなさい。

  もし、そうできたら、素晴らしいこと

  仲たがいではなく、一致と協力 そこには、喜び、感謝、希望が生まれる。

  国際社会においても、コミュニティにおいても 

  日本の国においても、 会社においても 家庭においても

 

実際にある問題に対して

  不一致、非協力、対立 どうしたら良いのか?

    

◎3節

3:3 相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。

  お互いの間にねたみや争いが絶えない

   ねたみや争い 相手をねたむ 相手の持っているものをねたむ。

   相手を憎む、 押しのけようとする 排除しよう、 いじめ

   人間社会における悲しい現実 

    学校で、会社で、コミュニティ、国際社会で

    それにエネルギーを吸い取られる。 相手を押しのけよう、排除しよう

    互いにけん制し合い、協力できない 力を発揮できない

   それは悲しい現実 そこに身を置くことは楽しくない、悲しい

    その対立はますますエスカレートしていくことさえある。 

  ねたみや争い 相手が悪い、こちらは悪くない。 相手をつぶしてしまおう、 互いにつぶし合う。

   

  私たちもそのような渦の中に巻き込まれることがあるかもしれない。

   自分を正当化する、自分は正しい、 自分たちは正しい。

   相手がおかしい、間違っている。

  そのような対立 その中では、喜びがない、平安がない。

 その実態、その真相 それは、あなたたちが肉の人だから。ただの人だから。

 

肉の人は

  霊の人と対立する言葉

    人間的な視点で物事をとらえる  自分の思い、考えが中心 

  やられたら、やり返す 一度受けた痛みは決して忘れない。

  自分が一つ苦しんだとしたなら、それに関係した相手を徹底的に攻撃する

   その人は、こういう人だ、とんでもない人だ、ひどい人だと言い続ける。

   いろいろな人に、多くの人に、そのことを言いふらす。

  自分は正しい、間違っていない。 相手こそ、あの人こそ間違っている。

  それは、だれもなりうる。このことにおいては、自分が正しい、絶対間違っていない。 本当は正しくなかった、間違っていたということは多分にある。

  そのことを認めようとしない。 それを認めたら、自分の立場がなくなる。

  人の意見を聞こうとしない。  

 自分はこう考えているけども、間違っているかもしれない。

  相手を非難し続ける、貶める発言をやめない、相手を許そうとしない。

   それこそが、大きな問題  そのことに気づかない。

   少しは、気づいていながら、今更、その主張を変えたなり、取り下げたなら自分の沽券にかかわる

  自分が神のように人を裁く。

  自分の考え方、見方、主張こそ正しい、間違いはない

   自分は神ではない。間違いがある。

  問題は相手ではなく、自分であるということは多分にある。そのことに気づかない。気づこうとしない。

  神の前に静まる時、祈る時がない。

   たとえあったとしても、自分の主張ばかりを神に申し上げる。

   神の御心を受け取ろうとしない。

   この問題については、神さまと言えども、黙っていてください。

    私は、自分は絶対に正しいのですから。

  この感情が収まらなければ気がすみません。 相手を徹底的に打ち倒さなければ、気がすみません。

    

 肉の人は、相手を許そうとしない  相手を打ち倒すまでは、攻撃をやめない

  いつまでも、いつまでも根に持つ

  その人の内には平安がない。 素敵な笑顔はない。

  神の御声を聴こうとしない。 自分の声ばかりを聴く サタンの声を聴く    

 許す必要はない。相手が悪い、あなたは正しい。相手を攻撃し続けなさいと。

   その時、その人の顔は、憎しみの顔であり、険しい顔。

    心に平安がない、喜びがない 

   対立、抗争、戦い、争い それにエネルギーを吸いとられる。

   結局は、自分に返ってくる 悲しみと破滅が 喜び平安を失う。

   

  肉の人であることは、周りを暗くし、自分を暗くする。 

  サタンの思うままになってしまう。 神さまとの関係もだんだん遠くなる。

   自分の思い、自分の考えが一番、神さまの御心を無視しし続ける。

 

 ねたみや争い

  相手もあくまでも許さない、相手が倒れるまで戦い続ける

  それは、マイナスのエネルギーであり、自分の人生を貧しいものにしてしまう。 時に破滅に落ちってしまう。 相手ではなく、自分自身が

  それさえも分からない。 悲しい現実

 

  自分はアポロにつく、自分はパウロにつく 自分はケファにつく

  アポロも、パウロも、ケファも、それぞれ、大事な働きを担ってきた。

  しかし、神さまを無視して、人間的な思いで、派閥を結成し、

   自分たちの正しさを主張する、勢力を増そうとする。

   その結果は、ねたみや争い

    そこには、あるのは、人間的な満足であり、力の誇示である。

    真の平安、平和はない。

    

◎4-5節

3:4 ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。

3:5 アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。

 

◎6―7節

3:6 わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

3:7 ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。

 

 作物の収穫

  その作物の種ないし苗を植えなければ、どうしようもない。

  まず、種を、苗を植える。 次に必要なことは、水を注ぐということ

   植える者、水を注ぐ者は必要。

   しかし、根本的に必要なものは、天からの雨であり、日の光である

   それがなければ、作物は育たないし、実を結ぶことはできない。

  大切な方は、天の神様ですと。

 

★神のご支配

 神はすべてをご支配してくださっている。

 私たちは、そのご支配の下、様々な恵みを受けて歩んでいる。

  外からの様々な恵み

   命、 健康、 おいしい空気、 おいしい水、 おいしい食べ物

   家族、 友、 意欲を持って取り組むことのできるもの

  その恵みを覚え、神に感謝したい。

   

 私の歩み、私の思いという領域ではどうでしょうか?

  私の歩み、私の人生、 自分がどう歩むか どう進むか 

  自分がどうとらえるか、 どう考えるか

  それらは、自分が生きる上で、当たり前のことであり、大事なこと

  主体的に生きるということにかかわる事柄

   自分が主人公、自分がこう捕らえ、こう考え、こう生きる

 

★肉の人と霊の人の違いはどこにあるか?

  肉の人は、あくまでも、私が主導権を握り、自分の思い通り、感情に従って

   生きる、歩む

   一番大切な最終判断においては、自分がすべてを握る、決める

 

★霊の人は

  霊の人は、主体的に歩みつつも、 

  一番大切な最終判断においては、自分がすべてを握る、決めるのではなく、

  主の御心を第一にする。主はどう思われておられるだろうかと、主に問い続ける

  霊の人は、あくまでも、主の御前にへりくだり、主に祈りつつ歩む。

  み言葉に聞く 聖書のみ言葉を読みつつ、歩む。

  主に近く歩みつつ、主の御心を教えていただく。

  「主よ、導いてください。 あなたの御心の沿って歩むことができるようにしてください。」 主の御心をみ言葉を通して教えていただく。

  主の御前に静まり祈ることをして、教えていただく。  

    

  肉の人であることをやめる、その歩み方を主の前に捨てる。放棄する。

  肉の人は、一時的勝利はあって、永続的な勝利はありません。

   自己満足はあっても、本当の意味での平安がありません。

  「ずっとこのことを主張し、良しとしてきましたが、その主張を主の御前でやめませす。 取り下げます。」

  「主よ、この私を主の御心のうちに歩む者としてください。」

  「この私を打ち砕いてください。」

  「私の固い自我を粉々に打ち砕いてください。」

  「私は、迷いやすく、時に頑固で、一番肝心なことにおいては、自分の考え、主等を変えません。それこそが、私の問題です。 私の問題でした。 主よ、この私を取り扱ってください。」

  自分の考え、自分の主張、自分たちの考え、自分たちの主張ではなく、 

  「主なる神の御心を伺い、従うものとさせてください。」と。

 

◎9節 

3:9 わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。

  自分たちの使命は何か

  自分のやりたいことをやる、したいことをする、自分のメンツを大事にすることでは決してない。

  神のために力を合わせることである。

  神の畑、 その畑で、良い作物が良い収穫を得ること

  神の建物 その建物は、嵐が来ても流されたり、倒れたりすることなく立ち続ける。 その中において、人々を憩わせる。

  神のために力を合わせる。

   その中心に神がおられる。 いつも、見上げる方は、主なる神である。

   その方が、最善を導いてくださる。

  この方、神に聞きつつ、歩む。

   聖霊なるお方に助けていただき、教えていただきつつ、歩む。

 

成長させてくださる神

  主のご支配の下で歩む

  一歩一歩の歩みを助け導いていただく。

  肉の人ではなく、霊の人に変えられつつ、生きる。

  時に間違った判断をしたとしても、間違った歩みをしたとしても、そこから引き揚げていただく幸い 方向転換をさせていただく。

  

◎6-7節

3:6 わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

3:7 ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。

 すべてを最善に導いてくださる主

 主の下で歩む、生きることが大切。

 主と共に、主と間近く歩ませていただく。

  そこに、平安があり、喜びがあり、感謝がある。

  一致があり、協力があり、幸いなものが立て上げられていく。

  ハレルヤ!

 

9月5日() 聖日礼拝  説教メモ

     「イエス・キリストという土台」

   コリントの信徒への手紙一3章10―17節  

 

★土台

  土台は大切。 土台とは基礎部分

 建物の土台、基礎部分 直接見ることができない。しかし、とても大切な部分

  これがしっかりしていないと、大変

   大きな地震、洪水の時に倒れてしまう。流されてしまう。

  

 人生においての土台、基礎部分

  それは、乳幼児期、小中高の時代、そして青年期

  どのように育てられたか、どのように愛情を注がれたか どのように過ごしたか これは、自分ではなかなか選べない部分も多くある。

  過ぎた過去になってしまうことも多い。

   でも、乳幼児期、小中高の時代、青年期は大切。

 

家を建てる

見た目、このように格好よく、部屋の間取り、内装はこうで、ああでと考える。

  建築を依頼する。

   設計士、大工、工務店、建築会社

   見た目のことをお願いしやすい。しかし、それだけでは、危うい。

   基礎部分をしっかり。 それが、しっかりしていないと、立てあがって、家が、マンションが傾いてしまう。

   地震で大きな被害を受ける。  家やマンションが傾いたら、大変

    ドアが閉まらない、床が傾く

    そして、それを途中で直すことは、ほとんど不可能。

    家、マンションを立て直さねばならない。つまり、すべて、一度取り壊さねばならない、

  家、マンションの建て替えは不可能では決してない。相当の費用、

  もう一度建て直すことは、とても難しい。

 

 人生という家が、傾いたなら、なお、難しい。

  基礎を据え直す、乳幼児期、小中高、青年期をもう一度やり直すことはできない。

 

★確かな土台を据える。

  お金を蓄える、学問を積む、人脈を作る

  そこれらのことは、一つの助けにはなるが、土台とはならない。  

  お金を貯え、財産をたくさん築いたとしても

  たくさんの学びをし、知識を身につけたとしても

  人脈をたくさん作ったとしても それで、幸せになるとは限らない。

  それらのものは、いつか失われてしまう。取り去られる。

  お金、財産はある、でも、それが必ずしも幸せではない。

   それがあることで、戦々恐々 いつなくならないかと 財産争いになることもある

  学問は積んだが、人生をいかに歩むかを学ばなかった。

   頭でっかちになってしまうことも

  人脈を作ったが

   第1線を退いたとたん、それらは消えてしまった。

   派閥争い、裏切りにあって、苦しむことも

 

  確かな土台を据える

   そして、その生涯が確かな歩み、平安、希望、感謝な歩み

   聖書は、その土台をイエス・キリストにするようにと勧める。

 

 イエス・キリストを土台とするということの意味は、

  イエス・キリストを信じて、天の神さまにつながって生きるということ

 イエス・キリストを信じることなくしては、神とつながらずに歩むということ

  浮き草のようなもの、どこに流れ行くかわからない

  糸の切れた凧のようなもの、間もなく、落ちてゆく、どこに落ちるかわからない。 どこに流されるかわからないではなく、どこに落ちていくかわからないではなく、 流されず、落ちず、主と共に歩むということ。

  主と共に、確かな人生を歩む。

   罪を赦され、神の子どもとされ、永遠の命をいただいて歩むということ。

 

★岩の上に建てられた家と砂の上に建てられた家のたとえ

  その真価が問われたのは、大雨、洪水の時だった。

○れは大きな幸い。

 

★どのようなものを用いて家を建てるか 

  基礎が据えられた、柱を立てる、鉄骨を組む。

  家を建て上げる。 人生を進めていく。

  その時に、何を素材に家を建てるか

   3匹の子豚

  ブー、フー、ウーの子ども番組 

   小学校に上がる前のころ 今から60年ほど前 一番好きな番組だった。

    ブーは、わらで家を建てる フーは板で家を建てる

    ウーは、レンガで家を建てる

   オオカミがやってくる。ブーの家を吹き飛ばす。フーの家を吹き飛ばす。   

    でも、ウーの家はふき飛ばされない。

  

◎12-15節

3:12 この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、

3:13 おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。

3:14 だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、

3:15 燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。

  

 わらで建てる 簡単 しかし簡単に吹き飛ばされる。火に耐ええない

 草で作る             〃

 木で建てる   わらや草よりもしっかりしているが、火には耐えられない。  

  宝石 高価なものを用いる。 心を込めて家を建て上げる。

     犠牲を払って

  銀 精錬された銀 高価なものであり、火で精錬されてそこにある。

    それを用いて家を建てる

  金 精錬された金 高価なもの 火の精錬を経てそこにある。

    それを用いて家を建てる。

  人生の歩みを家にたとえている。

  主○を心にとめ、歩む。主の御心を尋ねつつ、それに沿って歩む。

 

★タラントンのたとえ話

  タラントン それぞれ。主人より、財産を預けられた。 預けられたもの

○マタイ福音書25:14-30

  5タラントン、2タラントンを預けられた者たち、それぞれ、感謝し、

  それをそのまま、土の中に隠すのではなく、それを用いてさらに5タラントン、 2タラントンを儲けた。 

  主人から褒められた。  忠実なしもべ、よくやったと

  1タラントンを預けられた僕 土の中に隠しておいた

   活用しなかった。 1タラントンのまま

 主人より、主人より叱られ、その1タラントンを取り上げられ追い出された。

   

★人に対しての在り方

  出会う人に対して、どう接するか

  どのような歩みをしたかが問われる。

 

○マタイ25:31-46

 羊と山羊に分けられた。

  飢えている人、のどが渇いている人、旅をしている人、裸の人、病気の人、

  牢に入れられた人

   心を込めて、できることをした 

  羊 用意されている国を受け継ぎなさい。永遠の命に与りなさい。

 反対の行動をした人

  山羊 永遠の罰を受ける。

  

★残る仕事を

  土台の上に建てた家

   それが、残るか、残らないか

   この世に起きる暴風雨、地震、火の迫り

   それに耐えると共に、かの日に、神が火を持って吟味される。

 

〇13-15節

3:13 おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。

3:14 だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、

3:15 燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。

  神による吟味  どのように歩んだか

   その火で燃え尽きてしまうなら、損害を受ける

   燃え尽きることなく、ちゃんと残れば、報いを受ける。

 

  主イエスにある救いは失われることはない。

   その主イエスを信じ受け入れた後の歩みがまた大切です。

   主につながって歩み続けることが大切。

 

★神の神殿

◎16-17節

3:16 あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。

3:17 神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。

 

 主イエスを信じた者には、神の聖霊が与えられる。

  聖霊なる神が内に住んでくださる。

  その体は聖霊の宮である。 神の神殿である。

  神がご支配してくださる。

  主なる神をあがめつつ、生きる。

  神の神殿である体、その与えられているもの、与えられている賜物、与えられている人生  それを神と共に歩む。

  神の御心を聞きつつ、それに少しでも応えて歩む。

 

 その神殿である体を神に喜ばれるように歩む。

   

 どのように歩むことが御心にかなうか 道を選んでゆく。

  主に喜ばれる道を 良しとされる道を

  主に喜ばれない道だということに気が付いたら、引き返す。

   悔い改めを持って、主に立ち返る。

 

イエス・キリストという土台

  この確かな土台 主なる神につながって生きるように。

  イエス・キリストを土台とした後に、確かな歩みを

  主に喜ばれる歩みをなしていく

   わら、草、板ではなく、金、銀、宝石で建て上げていくように。

  かの日に吟味されて、燃えてしまわないように。

   燃えてしまい、なくなってしまうものではなく、残るものを

 

   

9月12日() 聖日礼拝  説教メモ

    「人間を誇らず、神を誇る」 コリント一3章18-22節 

 

★誇るもの

  いろいろと誇るものがある。  それは、ある意味尊いこと

  ・自分の生まれ育った故郷、町

  ・自分が通った小学校

   ・小学校時代、中学、高校時代に出会った恩師

  ・自分の友達  今、頑張っている。活躍している  

  ・自分を育ててくれた親  一所懸命、苦労しつつ

  ・共に歩んでくれた伴侶

  それらのものを心にとめ、人に自慢するというよりも、心の中で感謝する。

  時々、思い出す。 歩みの励みにする。

 

★偏った誇り

  鼻持ちならぬもの

   自分の持っている財産の多さ、 自分の家の豪邸

   自分の今までの業績、  自分の恵まれたもの

    時にそれは、美貌、容貌、体格であったり  学歴

 それらは、そのように与えられ、持っているもの  そのように導かれたこと

   そのための努力、頑張りもあったことでしょう。

   でも、たまたま、そのように歩むことのできる恵まれた環境があった

    そのような遺伝子を受け継いでいた。

    偶然の良い出会いを通して、そのようになったということも

   その結果、今自分が与えられたもの、持っているもの、身に着けている

    そのように歩むことができた。

   それは、他の人に誇るなら、鼻持ちならぬ。

   自分の心の内で、感謝し歩む。

    その感謝を持って、それを他の方にために用いるならば、幸いです。

 

★自分を知恵あるものと考えてはならない。

◎18-20節

3:18 だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。

3:19 この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。「神は、知恵のある者たちを その悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、

3:20 また、 「主は知っておられる、 知恵のある者たちの論議がむなしいことを」とも書いてあります。

  知恵ある者

  自分は知恵がある。 他の人よりも知恵がある。 自分は最も知恵がある。 自分こそは正しい。  自分の判断に、自分たちの判断に間違いはない。

  自分には力がある。 何でもできる。 何をしても良い。

  知恵ある者、力ある者

   そのことがその人を傲慢にさせる。 おごらせる。

   間違ったことをも正しいとして行ってしまう。

  アメリカでの同時多発テロ 2001年

    あれから20年

   対テロ戦争でこれまでに世界で約897000929000人が死亡。このうち民間人は36万人以上を占めた。米軍の死者は約7000人で、米国が投じた戦費などは8兆ドル(約880兆円)に上った。

知恵がある、力があると考える者は、自分勝手にふるまう。

  テロを起こした者たちであり、それに報復する者たちである。

 

 知恵のある者は、 自らを誇る、自らのなすことを正当化する

 他のものを支配しようとする。  自分の思い通りに動かそうとする。

  その結果、様々な悲劇が起きる。

 

  自分は、自分たちは間違っているのではないか と考える必要がある。

  神の前に、遜ることが必要である。  すべてを支配しておられる神の前に

 

★大きな力を持つ者の傲慢

  超大国と呼ばれる、中国しかり、 ロシアしかり

           アメリカしかり EUしかり 日本しかり

    大きな経済力、お金、そして軍事力

  IT  マイクロソフト社、 グーグル社、 

  イスラム原理主義者

 その傲慢さの結果

  様々なひずみ

   環境破壊(海、山、川)、   砂漠化、 大気汚染、  地球温暖化

   戦争、  テロ 、  核兵器

  お互いのけん制、自分の国だけ良ければ良い。・・ 

  経済格差   富める者と貧しい者の格差

  大きな悲しみがこの世界に渦巻いている。

 

★人の知恵は、神に対しても傲慢に

  人はすべてを支配できる。  神をも動かすことができる。

  自分たちの知恵で、神をとらえることができる。

  自分たちの願い、思いを満たすために、神を据えることができる。

   自分の願いをかなえるためには、どのような神でも構わない。

   自分の都合の良いように、神を選ぶ。  取り替える。

  真の神はただお一人

   人の祭り上げた神々を神として据える。 大きな間違い。

 神をうまく支配しているようで、実は、真の神の祝福をいただき損ねている。

   神々、自分の願い、欲望、思いをかなえる

    あるところまでは、うまくいったとしても、限界がある。

 神の祝福をいただき損ねる。 それは、まことの神と共に歩む人生、永遠の命

   人の知恵によって神をとらえることができると

   神に自分の願いを聞いてもらうことができる。動かすことができる。

   それは、間違い。

   自分の熱心さで、まじめさで、神を動かすことができると勘違いする。

 

★人の知恵は、神の知恵にかなわず

  人の知恵は、傲慢に陥る

  神を捉えるに至らず。

   

○1章19-21,27-28節

1:19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」

1:20 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。

1:21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

1:27 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。

1:28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。

  

★人間を誇らず、神を誇る

  神からの御言葉

   人間を誇ってはならない。

    その傲慢さを悔い改めよ

    神の前に静まれ。

◎21-23節

3:21 ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。

3:22 パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、

3:23 あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。

 パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、

  パウロ、アポロ、ケファ 良きリーダー

   しかし、彼らもいつかは主のもとに召されていく。

 神のよって立てられた者たちに過ぎない。 彼らにより頼みすぎてはならない。 この世界も過ぎ去っていく。

力を誇っている者たち、権力者も過ぎ去っていく。 やがて、消えていく存在。

  人生も流れていく。

   長い人生もいつか終わりがやってくる。

  今起きていること

   それがすべてに見えるが、それらも過ぎ去っていく。

   将来起きることも、心配するに及ばない。

  それらを目の前に経験する。

  そのすべてを支配しておられるお方を心にとめなさい。

 

○1章25節  

1:25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

  神の愚かさは人よりも賢い  神の弱さは、人よりも強い。

  神の知恵、ご支配

   その愛

   独り子であるイエス・キリストをこの世に遣わしてくださった。

   私たちと真の神との断絶  命がつながっていない。

    その断絶を埋めるために、主イエスの命を犠牲としてくださった。」

   あの十字架の上で

   神が私たちのもとに下ってきてくださった。

    神とつながり、永遠の命を与え、生かすために。

  神の知恵 それは、イエス・キリスト

○1章30節

1:30 神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。

 キリストは神の知恵

  神の知恵なるキリスト 救い主であるイエス

 

★神を誇れ

  神に栄光を帰す

  神の知恵、神のご支配

〇1章31節

1:31 「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

 主を誇ることの幸い

  

◎23節 

3:23 あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。

  キリストのものとされていることの幸い

  主と共に歩むことの幸い

   このことをいつも中心の軸として歩んでいきましょう。  

 

  神に聴き従いつつ。 ハレルヤ!

  

 

9月19日() 聖日礼拝  説教メモ

     「わたしの助けは来る」      詩編121編1-8節

 

★敬老祝福

  80歳以上の対象の方々 

   尊い人生を歩んで来られた。 敬意を表します。

   なお、お元気で、お過ごしください。

   人生の再後半の歩みが守られ、恵みに満ちたものでありますように!

   

★長く歩んできた人生

  その晩年が恵まれたものとなりますように。

  80を超えての歩み  日々穏やかに、日々に平安、感謝をいただきたい

  三つの心境

   1)人生を振り返って感謝

      今までの歩み、なしてきた仕事、社会への貢献

      ある人は、一人で歩みを通された。ある人は家庭を築かれた

      その歩みを心にとめて感謝

   2)心に痛み

      今までの歩み、不十分でなかっただろうか

      やりたいと思いつつ、やらなかったこと

      人生の歩みにおける悔い、 心の悲しみ

       解決できていない問題がある。

       愛する友との別れ、愛する伴侶との死別

       愛する子どもとの死別・・

   3)不安と恐れ

      これから先大丈夫だろうか?

      身体の衰え、老後の歩み、  病気を抱え

      人生の終着点が近づいてきて、・・  人生をいかにたたむか

 

★励ましと支え

  友からの励まし、家族からの励まし

  かつて共に歩んだ人からの心に届く励まし

   電話、訪問、祈り それは大きな感謝

  具体的な助け、支援

   友から、 家族から、 公的支援(ヘルパーさん、・・)

  それらを受けつつ、歩んでいきたい。

 

どこから

   都に上る歌 エルサレムに上る

   神殿のあるエルサレム、 1年に一度、向かった 聖なる都エルサレム

  その旅、遠くから歩いていく その途中には様々な危険が潜んでいた。

   途中で病気になったなら、どうしよう

   追いはぎ、強盗に襲われたなら

   このエルサレムに上る旅は、人生の旅でもある。

   天の都(天国)に向かっての旅

  

◎1-2節

121:1 【都に上る歌。】目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。

121:2 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。

  その歩みにおける不安、恐れ 

 それは、私たちの人生の歩みにおいてもやって来るもの  

  その不安、恐れが襲ってくる。  難しい問題に直面して、

  挫折して 苦しみの渦に巻き込まれて

 逆境の中で それまでは、何とかやれていた。ところが、困難に直面

  共に歩んでくれた友が、伴侶に先立たれた  なぜ、どうして・・

   自分一人になってしまった。 これからどうしたら良いのか

   自分一人ではとてもとても無理だ、

  悶々と 下を向く  とぼとぼと歩む

  この詩編121編を記した信仰者は、その時どうしたか?

  目を上げた、 足元、石、岩ばかりを見ることから。目を高く上げた

  山々を見た。

  ユダヤの国の山々 ゴツゴツしている。雨がほんの少ししか降らない。 

   日本の山々と違って、岩だらけ

  わたしの助けはどこから来るのか?

  今、自分は助けを失っている。 どうしたら良いかわからなくなっている。

   行き詰っている。 不安、悲しみ、そして恐れ、時に怒り

   

  心を主に向けて仰ぎ見る。

   主の語り掛け、主よりの助け、励ましをいただきたい。

  その時に、心に語り掛けられた言葉

   このゴツゴツした山々、大きな山、立ちはだかる山々  圧倒される

   しかし、これらのものを創造された方がおられる

    支配しておられる方がおられる。

   すべてを造り、すべてをご支配しておられるお方  その方を見上げた。

  自分を見て、目の前の山々を見て、立ちすくんでいた一人の信仰者

 その目を、山々の背後に立つお方、それらを造り、ご支配しておられるお方を

   心にとめた。

  神からの語り掛けを受け止める 「わたしの助けは来る」との語り掛け

 

★まどろまず

  よろめくことがある

   めまいがして、よろめく  重たいものを抱えて、よろめく

  まどろむことがある

   起きていなければならないのに、眠くて仕方ない。

   疲れ切って、まどろむ うつらうつら

 

◎3-4節

121:3 どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし まどろむことなく見守ってくださるように。

121:4 見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。

  主が、助けてくださいますように! どうぞ、支えてください。

   もう限界です。 もうフラフラです。 見守り支えてください。

  主なる神に願い求める。

 主は見守ってくださるお方

  変わらずに見守ってくださるお方   まどろまず、眠らず

   人はまどろみ、眠る

    見守りには限界、見守り続けることはできない。

    人は、いつか、先に旅立つことがある。

     寂しさがあり、悲しみがある。

   神は、まどろまず、眠らず。

    私たちを見守り続けていてくださる。

    このことは、大きな感謝

 

★右にいます方

  自分の力、頑張り、踏ん張り ここまでと思う時が来る。

  自分の力、頑張り、踏ん張り、自分の能力

   特別に自分にはある、 他の人よりも大きい、優れている。

   今まで、こうしてやってきた。これからもやっていくのだ。

  自信、誇りがある。

   そのような勢いがある時にも、主がこの私に良きものを与えてくださっているのだ、 この主の愛と憐れみをいただいているのだ

   そのことに気づいて、主に感謝しつつ、歩むことは大切なこと

  限界の限界まで、私はやれるのです。やります。

   それまでは、私の自由でやらせてください。構わないでください。

   そうではなく、この頑張れている今

    主の愛と憐れみが注がれている、生かされている

    そのことに気づき、心にとめて歩む者でありたい。

  一方、その限界を覚えさせられるときがある。  

  敵はとても強い。  

   自分の力ではとても無理、限界がある

   その敵とは? 人のこともあるでしょう。

    目の前の困難な事柄ということもあるでしょう。

    病という場合もあるでしょう。

    心を悩ませる問題、心を苦しめる問題 

 

◎5節 

121:5 主はあなたを見守る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。

  主は、見守ってくださるお方

  覆う陰 敵から守る 

   母鳥がひな鳥を翼の下に覆って、雨風から守るように

  右にいます方 

   右にいます。 右の手(利き手) この利き手をやられたら大変

   その一番大切な右手がやられないように、右にいて守ってくださる。

  右にいます。

   弁護者なるお方、どんなときにも共に立ってくださる。

   裁判の場で、どんなに攻められても、弁護してくれる弁護士

  弁護してくださるお方

   見捨てないお方  どのような時にも決して見捨てない。

  主イエスを信じる者の内に住んでくださるお方、聖霊なる神。

   救いの保証となってくださっている聖霊

   共にうめきとりなし祈ってくださる聖霊なるお方

   祈れない時にも、内にあって、うめき祈ってくださるお方。

  とりなし祈ってくださる主イエス

  神の右の座にあってとりなし祈ってくださっている。 忘れられていない。

  支えられ、祈られている。 なんという感謝

 

★太陽、月から撃たれず

  太陽の暑さ 昼間の暑さ 熱射病で倒れてしまう。

  夜は、気温がぐんぐん下がり、凍えるほど

  主の守り

 ◎6-8節 

121:6 昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。

121:7 がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。

121:8 あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。

  様々な災い

   新型コロナ パンデミック 今世界を苦しめている

    いつまで続くのか  あと、数年は続く、 いやなくならない、 ウイズコロナとなっていく  インフルエンザのように、毎年やってくる

   病い

    長寿となった一方で、

     80代後半、90歳を越えて。認知になる可能性も大きくなった

    医療が進む中にあっても、難病というものもある。

   災害

    台風、突風、大雨、洪水、竜巻、 大きな地震、津波

   人間の力の限界を覚えさせられる。

   主よ、お守りください。

   そのような時にも、落ち着いて行動できますように。

  危機の中でも、乗り越えることができますようにと主に願いつ津、歩みたい。

 

★わたしの助けは来る

  わたしの助け  わたしには助けが必要です。

  弱さを覚えるようになりました。 限界を知りました。  

  主よ、この私を憐れんでください。

  あなたの支え、励まし、導きが必要です。

◎2節

121:2 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。

    私の助けは来る、天地を創造された主より

  主がすべてをご支配して、最善を導いてくださる。

 主を仰ぎ、主の御言葉をいただきつつ、主に祈りつつ、歩んでいきましょう。

 主は、助けてくださるお方です。 ハレルヤ!

 

 

9月26日() 聖日礼拝  説教メモ

     「高ぶらず、忠実に」   コリントの信徒への手紙一4章1-8節 

 

★与えられているもの 

  自分が持っているもの

 命 唯一のもの 一つだけ かけがえのないもの、親と通して受け継いだもの

 健康 体が丈夫

 持ち物 家、 土地、 家財道具、 車、 ・・

 能力  勉強、 仕事、 物事とてきぱきとこなす

  様々な良いもの 自分で勝ち取ったように見えて、親を通して、環境を通して、与えられたものが多い。   

  そのことにチャレンジする環境があった。 チャンスがあった。 

  その結果、自分が持っているものは多い。 誰かの応援、励まし、助け

  しかし、いつの間にか、自分の力、頑張りがあったからと、考えてしまうことがある。

  自分が持っているもの  親を通し、人を通して与えられた。

   そして何より、神の許しがあり、神の支えがあり、神の憐れみがあって

    今の自分がある。

   神の憐れみがなければ、あの時、すべてが終わっていたかもしれない。

   

◎6-8節

4:6 兄弟たち、あなたがたのためを思い、わたし自身とアポロとに当てはめて、このように述べてきました。それは、あなたがたがわたしたちの例から、「書かれているもの以上に出ない」ことを学ぶためであり、だれも、一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶることがないようにするためです。

4:7 あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。

4:8 あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。

 

高ぶってしまうことがある。

自分がどれだけ偉いか、立派か、優れているか そのような思いにとらわれる。

  コリント教会の中にそのような人が少なからずいた。

   自分がもともとどのような者であったかを忘れてしまう。

    弱く乏しい者だった。 どうしようもない者であった。

    そのことを忘れ、今の自分の持っているものを誇る。

   他の人と比べてしまう。

   自分がどれだけ、優れているか。 時に他の人を見下げてしまう。

  なぜ、高ぶるのですか? 与えられたものなのに いただいたものなのに

  高ぶり 他の人を見下げる、自分たちこそ偉い

   自分たちこそ、一番良いものを受け取る資格がある。

   個人においても、国においても

 自分たちこそ正しい。 他は間違っている。 間違ったものは打ち倒すべきだ

  消し去るべきだ 高ぶりが、様々な悲劇を生む。生んでいる。

  誰かを持ち上げ、その人につく、そのグループに身を置く。

   競い合う、他を押しのける。

   自分たちが良いポジションを手に入れよう。

   このポジション、地位、既得権 これは絶対に手放さない。

   権力の座に就くと、そのようになることが多い。

  高ぶらないように。

   高ぶりが取り除かれるように。 高ぶりが打ち砕かれ

   高ぶらないようにしようと考えても、高ぶりに陥ってしまう。

   自分が持っているもの、今与えられているもの。

   その根本には、神の許しがあり、神の憐れみがあり、神の特別な愛が注がれた故に、今の自分がある。

   かつて小さなものだった。みじめな者だった。乏しい者だった。

    ただ、神の憐れみと愛によって、今を生かされている。

     良きものが与えられた。 そのことに、思いを馳せたい。

   

高ぶらず

  高ぶらないで  

  神の憐れみと愛を忘れないように 主の御前に静まる必要がある。

   静まり、み言葉を聴く、静まり、祈ることを通して

   心を主に向けて歩む。

 

★最終的な判断

 人から責められる。非難される。

 驚く、 最初あまり良い気持ちにならない、いやだなあと思う。

  恐れを抱く。 その相手に対して、自分の敵だと思う

  争う。 負けてはならないと その相手との関係が崩れることが多い。

  その時に、自分に非がなかった反省する機会とすることもできる。

  反対に、人を責める、非難する。

  相手の間違いを指摘する、糾弾する。 全面的に戦う。

  互いの白黒をつけようとする。  裁判闘争、長くきつい作業、

  その関係はズタズタになる。

 

◎3-5節

4:3 わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。

4:4 自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです。

4:5 ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。

 責め続ける関係は、心地良いものではない。 心が休まらない。

人との関係だけでなく、自分で自分を責めることもある。

 自分の過去を振り返り、自分を責める

 自分の足りなさを心にとめすぎ、自分はダメな者だ、自分はダメだ

  人だけでなく、自分を許せない。 完璧主義者。 

 

 使徒パウロ

  自分を裁くことをしない。  他の人も裁かず。 

  自分が人から裁かれても、恐れない。 やましいことはない、真実に歩んできた。 それでも、普通なら、心が落ち着かず、

 自分を裁く者がいかに間違っているか、徹底的に戦う。 心が振り回される。

  そのような中にあっても、平安。落ち着いていた。

  その間違いの指摘、それが正しいなら、それを受け止めればよい。

  それを認め、改めて行けばよい、謝れば良い。

  そうするのにやぶさかではなかった。

 

 人の判断、裁きは間違っていることがある。

  その時代、その時の流れ、多くの人の見方、その人には限界がある。

  その人の世界で、価値基準で、人を裁くことが多い。

  あることをもって、責める、非難する。

  その人の見方、見え方 偏っていることが往々にしてある。

   その人の立場、どうしても自分の対場を良しとする。

  それ以外の要素が絡んでいることも往々にしてある。

   その人が気づいている場合もあれば、気づいていないこともある。

 その人自身のコンプレックス、不平、不満がもとになっていることさえある。

    いろいろなことが絡まって、人は相手を責める。

  パウロ自身も責められた、非難された。

  それで、あたふたしなかった。 それらを一切無視するのでもなかった。

 

 ★人の正義  

  それは、間違っていることがあり。曲がっている、偏っていることが多い。   

   故意に曲げられていることもある。

   どんなに高くその正義を掲げても、全く間違っていることもある。

   その力によって、強引に主張することもあり、仲間を多く集めて、正当化する場合もある。

  

 ★神の正義

  すべてを公正にご覧になれる方は、主なる神のみ

  神こそ、正義なるお方。 その方が、すべてをご存じである。

  人の正義、この世の正義は、最終的に神の前にひっくり返されることある。

 人が、国が、その力で、すべてを支配する。戦いによって相手を、相手の国を

  徹底的に打ち破ったから、その人、その国のなしたことが正しかったのではない。  

  神がすべてを裁かれる。  神の裁きこそ正しい、間違いがない。

  神は、すべてを公正にご覧になり、公正に裁かれる。

   目の前に繰り広げられたことだけでなく、その時の人の動機、思いをもご存じである。  心の中の思い、話さなければ。人にはわからない。

  しかし、神はその人の思い、動機、すべてをご存じである。

  その時、実は、悪い動機があった、偏った自分自身の思いがあった。

  神はすべてをご存じである。

  

 使徒パウロ

  その神のご支配、正義なる神の前に、歩んだ。

  神にすべてをゆだねた。 神がすべてをご存じである。神がすべてを公正に裁かれる。

  人の判断、裁き それを無視するわけではないが、受け止めつつも、それを恐れなかった

  人にこびへつらうのでもなく、力ある者に巻かれることもなく、

  ただ、神の前に、遜り、神に喜ばれるように歩もうとした、歩んだ。

  だから平安だった。 争いの渦の中にい続けなかった。 争いに始終しなかった。

  神の喜ばれるように歩こう。 人の評価ではなく、神の評価

  神に褒めていただきたい。 その思いで歩み通した。

   そこには、神の平安があった。

 

★忠実であること

  使徒パウロが仰いでいたもの

   それは、神ご自身であった。

  神と自分との関係

   神の憐れみを受けた。神の愛を受けた、受けている。

  

◎1-2節

4:1 こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。

4:2 この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。 

 かつては、迫害者サウロであった。 多くのクリスチャンを苦しめた。

 捕らえ、獄の中に投げこんだ。ひどいことをした。そのことで命を落とした者もいた。 神を信じる者を苦しめた。取り返しのつかないことをした者である。

 復活の主が自分自身に現れてくださった。 自分に出会ってくださった。

  一度見えなくなった眼を、もう一度見えるようにしてくださった。

 自分の罪を赦してくださった。 神の愛と赦し

  それだけでなく、神の福音の奥義を教えてくださった。

  どのような者も、主イエス・キリストを通して、罪の赦しを受けることができる。 神の子どもとしてくださる。

  自分の犯した罪のために、もがき続ける必要はない。

   主イエスのもとに、罪の赦しが用意されている。

  その大いなる奥義、福音を知らしていただいた。

  神の秘められた計画、奥義

  ムステリオン

           奥義、 キリストを通して人類を救う神の計画、救いの奥義

 その福音を宣べ伝える者として立てられた。

  そのことの感謝が心の中心にあった。

  その感謝の応答として、忠実であろうとした。

  人に、会社に、権力者に対しての忠実ではない。神に対して忠実であった。

 

★管理人

 管理を託された者 これこれのことをするように

  はい、わかりました。

 管理人 オイコノモス

  管理を託された。 神から委託された。 それがどんなにか光栄なことか

   感謝なことか もったいないと思いつつ、その働きを担った。

  キリストに仕えるもの

  人でなく、キリストに仕える者

 

仕える者

  ヒュペレーテス      下役、助手、しもべ、 下の漕ぎ手、召使い、奉仕者

  下の漕ぎ手

 ガレー船

 おもに地中海において古代から近代初期まで,3000年以上にわたって使われた櫂 (オール) 推進の大型船。すでにエジプト人,クレタ人などが帆付きのガレー船を軍用と商用に使用,前 700年頃フェニキア人が両側上下2段の櫂のついたガレー船を建造,さらに前 500年頃ギリシア人によって3段櫂船が導入された。中世には,ほぼ長さ 45m,幅 6mの船を人力により両舷にある通常 27本ずつの櫂で漕いで推進した。普通1本の櫂に46人の奴隷か,罪人がついた。補助的に23本の帆柱が使われた。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

  2段式の櫂 ひたすら櫂をこぐ 過酷な仕事

   その上の段ではなく、下の段 一番低いとこで、一番きつい仕事

   仕える者、 奉仕者、召使い

  

 使徒パウロ 一番下で仕える者

  でも、それはみじめで仕方ないのではなく、ここで主の御用に当たらせていただくことの感謝をもって

○15章3-10節  

15:3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、

15:4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、

15:5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。

15:6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。

15:7 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、

15:8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。

15:9 わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。

15:10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。

 一番小さい者、神のご愛に与るのにふさわしくない者であった。その資格のない者であった。 しかし、神の恵みがこの自分に

  その心からなる感謝をもって、パウロは歩んだ。

   キリストに出会って後、その生涯を貫いた。

  

高ぶらず、忠実に

  高ぶらず  

   神の憐れみと愛を忘れないように  主の御前に静まり、み言葉を聴く、 

   静まり、祈ることを通して 心を主に向けて歩む。 

   忠実に

   使徒パウロが仰いでいたもの  それは、神ご自身であった。

   神と自分との関係 神の憐れみを受けた。神の愛を受けた、受けている。

    その感謝の応答として。

  

 

10月3日() 特別歓迎礼拝  説教メモ

      「救いへの招き」    イザヤ書45章22:24a

 

生みの親、育ての親

  自分を産んでくれた母親

  私たちすべては、自分の父母を通して、この世に誕生

   父と母との出会い、結婚を通して、この自分がいる

   親によって育てられ、今の自分がある。

  時に、生みの親ではなく、育ての親がいることがある。

   その育ての親のおかげで、大きくなり、今の自分がいる。

  親からの愛情を受け、育った。

   様々なことで、なかなかそうならない環境、事情があった。

   それでも、自分のことを心にかけ、世話してくれた人がいた。

  

親の愛

  どれだけ親の愛を受けたか

   生みの親、育ての親、世話してくれた方の愛情

  自分が小さかった時、乳幼児、幼児の時、小中校の時

   青年の時、大人になってから

   何もわからなった時、素直だった時、素直でなかった時、反抗期だった時

   自分でいろいろできるようになり、親に頼らなくなった時

   親元を離れ、親と連絡を取らなくなった時も

  親は、自分のことを心配する。

   片時も忘れない。 親とは、そのような存在。 有難いもの

  小さい時、身体が弱かった時、

   病気で寝込んだ時、母親の看病

    私自身は、お腹が弱く、しょっちゅうお腹を壊し、元気をなくす。

    扁桃腺を腫らせて、高熱で寝込む・・

   皆さんはいかがでしたか? 思いだすことはありますか?

  親をうるさいと思い、反抗した時

   大きくなり、親に頼らなくなった時、自分で大きくなったくらいに思って

   あれこれ忙しくして、親のことを忘れてしまった時

  親は忘れない。 わが子のことを 小さい時も、大きくなってからも

   自分のもとを巣立っても

 

天の神さまとは

  天の神さまは、どのようなお方でしょうか?

   この世界をお造りくださった。

    私たちが住むこの地球、この星

    海、山、川、空、太陽、星、 命、人間である私たち、様々な生き物、

    植物、作物、 食べ物、水、空気・・

 最高の良いもので満たしてくださった。 それを与え続けてくださっている。

  

  私たちの造り主なるお方です。 私たちの親以上の方です。

   私たちに愛を注ぎ続けておられる。

   親が自分の子どもを忘れないように、天の神さまは決して忘れない。

   

  親は時にうるさがられる。 心配のし過ぎだと  

   子どもが大きくなった後も、巣立った後も

    大丈夫だろうか? 元気でやっているだろうか? 

    まして、子どもが難しい問題を抱えているとき、困難がある時

   心配する。子どものことをしょっちゅう考える。 子どものためにお祈りする。

 

天の神さまは、呼びかけられる

  愛する者を忘れず、心を注ぎ、呼びかけ続ける。

  聖書の中の御言葉 神さまからの手紙  

 大事なことを教えてくれる そして、何より語り掛け、呼びかけてくださる。

  

  現在は、インターネットの時代

   様々な情報を瞬時に手に入れることができる。 便利な時代

   インターネットだけでなく、電話で、また直接近づいて来て、騙すことも

   現在は、便利な時代ですが、本当に気を付けなければならない時代。

 

  呼びかけ、語り掛け

   天の神さまからの呼びかけは違う。語り掛けは違う。

  聖書が指し示す神さま

   それは、この世界、宇宙、地球をお造りくださった創造主なるお方

   人が想像して作り上げた神々とは違う。

  「わたしは神、ほかにはいない。」(22節b)

   

  天の神さまは呼び掛けてくださっている。

  私たち一人一人を心にとめて、愛をもって呼び掛けていてくださっている。

 

 その代表的な呼びかけが、本日の聖書箇所 特に22節

 「地の果てのすべての人々よ わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。」

 地の果てのすべての人よ

  全世界の造り主なりお方 ある特定の国だけに通用する神さまではない。

   日本の神さまとか、中国の神さまとか、アメリカの神さまとかではない。   

   全世界の神さま

  すべての人よ  すべての人に呼び掛けられている。

   特別な人だけに呼び掛けられているのではない。

その中に、私たちが含まれている。あなたが、そして、この私も含まれている。

  心からなる呼びかけ、愛をもっての呼びかけ

   あなたに呼び掛けている。 私は、忘れられていないのだ。

    自分は、愛をもって呼び掛けられるようなものではない。

     見捨てられた存在。 人を裏切り、散々のことをしてきた。

    もう心にとめてもらえる資格はない。 呼び掛けてもらう資格はない。

   どうにでもなってしまえ、流れるままに流されていくのだ。

   そのように思っている人に対しても、神は、呼び掛けてくださっている。

  天の神さまは、呼びかけ続けておられる。

   地の果てのすべての人よと

    果ての果てに身を置く者に対しての呼びかけ

  真実の心、偽りのない心、真実の愛の心をもって呼び掛けられていることは、どんなにか幸いなことか

 

天の神さまからの呼びかけ その内容は?

  「わたしを仰いで、救いを得よ。」

    口語訳では、「わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。」

  新改訳では、「わたしを仰ぎ見て救われよ。」

 

 仰げ、仰ぎのぞめ、仰ぎ見よ とはどういうことでしょうか?

  カーテンを閉め切った部屋  

   特に遮光カーテンを閉め切ると 外からの光はほとんど入って来ない。

   雨戸を閉め切ると部屋の中は真っ暗

  雨戸をあけ、カーテンを開けると、太陽の光が差し込み、暗かった部屋は明るくなる。 閉め切った雨戸をあける、閉め切っていたカーテンを開ける。

   すると暗かった部屋は明るくなる。

   さらに窓を開ければ、新鮮な空気が部屋に入ってくる。

  カーテンを閉め切ることから、そのカーテンを開けるように、神さまに心を向けることです。

  太陽に背を向け続けるなら、その光を見ることはできませんし、その温かさ、熱を受け、身体を温めることはできません。

  でも、太陽の方に向きを変えるなら、その光を見、その熱、温かさを享受できる。 身体が温まる。

 

 神さまからの呼びかけがここにある。

  「救いを得よ」 「救われよ」との呼びかけ

 

 この呼びかけを聞こえないことがある。

  呼びかけは、まさに聖書のここにあるのですが、

  その呼びかけを聴くのを妨げる要因がある。

   1)日々忙しい、日常のことで心がいっぱい。

     毎日、毎日、あれもこれもと忙しい

   2)様々な声が聞こえすぎて、肝心の神さまからの声がかき消されている。

     様々な情報。自分のやりたいこと、楽しみ

     あれもしたい、これもしたい。 この楽しみ、あの楽しみ

     手に入れたいもの

  3)自分は大丈夫、自分の力で

     自分はしっかりしている。

     自分には能力がある。自分には多くの持ち物がある、財産がある

     健康がある、・・

   

  でも、・・

  1)日々忙しすぎて、自分自身を失っている  

     本来の自分の輝きを失っている  あれもこれもと疲れが限界に

  2)いろいろな情報に翻弄されている自分自身

     振り回されている自分

     周りの人と比べ、周りの人と同じように、それ以上に

      心は落ち着かず

      楽しみも過ぎ去っていった。 追い求め続けたが、かなわない。

    3)自分は大丈夫だろうか

     かつて自信のあったものがそうでもなくなった。

     年が進み、記憶も衰えてきた。

     元気が取りえだったのに、体力の衰え、病気に 

      

★神の語り掛け 

   わたしを仰いで、救いを得よ。

   救いを得よ 救われよ

 

★天の神さまが指し示される救いとは?

  一言でいえば、天の神さまと共に歩む人生ということです。

  世界を造られ、すべてを支配しておられる天の神さま その方と共に歩む。

   この世のすべて、そして来る世である天の御国を支配しておられる方

    その方の御手の中で憩いつつ、歩むこと

 

  いえいえ、とても無理です。

   私は、そのような資格はありません。

   さんざん好き放題のことをして歩み、私の闇は深いのです。

   私は罪多いものです。罪深いものです。 多くの人を苦しめてきました。

    自分のために、人を裏切り、陥れた者です。

  私は、天の神さまに受け入れていただく資格はありません。

   どうしようもないものです。

 

 しかし、皆さん、聖書は、なんと語っているでしょうか?

  自分は立派だ、 自分は正しい者だと自負し、主張する者ではなく、

  その反対に、自分はみじめな者です。自分は罪ある者です。  

  罪深い者ですと思っている者 このような私です。 憐れんでください。 助けてくださいと神に願う者に救いは用意されているのです。

 

★キリスト教の中心は、何でしょう?

  それは、神の愛であり、あの十字架のキリストです。

   神は、私たちを愛してやまない方です。 

    私たちを顧みてくださる方です。 心にとめ、見捨てない方です。

   私たちの救いのために独り子であるイエス・キリストをこの世にお遣わしくださいました。

  御子イエスは、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかってくださいました。 あなたの罪の代価はすべて支払われた。

   あの十字架の主イエスの苦しみと身代わりの死をもって。

 

私自身の救いの証し

   大分県で生まれ、育った。 両親と姉と私の4人家族

   小さい時から体が弱かった。 

   中学3年生の時に、右眼の眼底出血 自宅での安静、休学

    恐れと不安、 どうなるのだろうか  1年後には、右眼の失明

   思いがけない出来事  左眼は大丈夫だろうか?

  1年浪人して大学に

 親元を離れての生活、自由な生活、コンパ、ダンパ、その他、あれこれ楽しみ

   でも、心をなぜか不安を時に覚える。

   確かなものを掴まねば。

    毎日、一日を振り返り、細かいチェック 人生を支える言葉を探し求めていた。

  大学の同級生に一人のクリスチャンともう一人一学年上にもクリスチャンがいた。 彼ら二人が、祈って学内で聖書研究会を立ち上げていた。  

  その聖書研究会にも、顔を出すようになった。

  その後、いろいろなことがあり、大学2年の11月に二人の通う教会に出席するようになった。

   同世代の若者もたくさんいた。 

   毎週、礼拝にも参加するようになり、34か月を経て

   KGK(キリスト者学生会)の天草での春期キャンプに参加した。

   そこで片岡伸光という主事に出会い、いろいろと話す機会があった。

    自分が罪深い者であることを心にしっかりと心に示された。

    かつて死を恐れていた。 人は死んだらどうなるのだろうか

    神がおられるなら奇跡を見せろと傲慢な心を抱いていた。

    自分の心の中には、人には言えないような淫らな思いを抱いてきた。

    そのようなことで振り回されて歩んできた自分。

   キリストの十字架の意味が分かった。

   自分自身とキリストな関係が分かった。

   そのキリストを救い主として、信じ受け入れた。

 

  大学3年生の5月にペンテコステと呼ばれる日に、洗礼を受け、クリスチャンとなった。

   あれからもう44年経ちました。

   神の憐れみをいただき、御救いをいただき、今あること、感謝です。

 

救いへの招き

  「地の果てのすべての人々よ わたしを仰いで、救いを得よ。」

   すべての人に呼び掛けられている招きの言葉

   神からの呼びかけ、招き

   私たちに呼び掛けられている。  私に、そしてあなたに。

 

  

10月31日() 聖日礼拝  説教メモ

   「最後に引き出される者と」 コリントの信徒への手紙一4章9-13節 

  

★一番幸せは? 自分の願い通り、思い通りの歩み 普通は、そう考える。

★一番不幸せは? 自分の願い通りに行かない、思いとは違う結果  普通はそう考える。

★その幸せを求め、不幸せを避けようと考える。

  人生の歩みは、複雑、様々なことが起きる。

  コントロールできるものは多いかもしれない。でも、コントロールできないものもある。 それで、私たちは悩む、苦しむ。  なぜ、どうして。こんな目に合う。なんということだ、なんという不幸だと思う。

 

 

★使徒パウロが経験したこと

  様々な大変さの中を歩んだ。

●コリント一4:9-13 

4:9 考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。

4:10 わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。

4:11 今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、

4:12 苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、

4:13 ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。

 

・飢え、 渇き、 着る物がなく、 虐待され、 身を寄せる所もなく、

・苦労して自分の手で稼いでいます。 

・侮辱されては祝福し、

・迫害されては耐え忍び、

・ののしられては優しい言葉を返しています。

・世の屑、すべてのものの滓とされています。

 そんなのは嫌だ。 一番避けたい。 それだけは勘弁してほしい。

 

 主イエスを信じてクリスチャンになったパウロ 宣教者となったパウロ

  その歩みの中で、様々な苦しみを受けた。

  ユダヤ教徒であったパウロ その時はサウロという名前

   クリスチャンを迫害して苦しめていたパウロ

   今度は、自らがユダヤ人から迫害を受ける身となった。

   宣教する中で、様々な妨害を受けた、迫害を受けた、

  みじめだ、大変だと思ったでしょうか?

  パウロも人間ですから、そう思うこともあったことでしょう。

  でも、それで落ち込んだのではない。 失意落胆したのではない。

 

 それを受け止めた。

 一人で受け止めた? この大変さをなんとしても乗り越えねばと?

 主と共に受け留めた。

  主に祈りつつ、主より慰めをいただき、励まされて歩んだ。

  主に大変さを訴え 主に支えていただきつつ。

 そこから逃げ出すことはなかった。

 その大変さを心にとめつつも、主によって生かされていることを感謝しつつ。

 

★一番嫌だ 

・飢え、 渇き、 着る物がなく

  空いてたまらない。 食べ物がない、 着るものがない

・虐待され、 身を寄せる所もなく、

  斥けられる   休む場所もない

・苦労して自分の手で稼ぐ。 

  必要が次々に与えられるのではない。 苦労しつつ

・侮辱される

  侮辱される 一番嫌だと思う。

・迫害される ・ののしられる。 

  苦しめられる。  ののしりを受ける

・世の屑、すべてのものの滓とされる。

   クズだ、カスだと言われる クズ扱い、カス扱いを受ける

   一番みじめ

 

★使徒パウロは、これらの事柄を受けてきた。

  それらのことを受けつつ、歩んだ。

  そのパウロを通して、宣教の業がなされた。

   第1伝道旅行、 第2伝道旅行、 第3伝道旅行

  

★私たちが受けている恵み

  おいしいご飯、食事  それを用意してくれる人 

   特に子ども時代

    親がそのために働き、食事を作り食べさせてくれた。

    愛情を注いでくれた。

   子どもを育て、家族を養うために一所懸命働いてくれた。

    出稼ぎ、副業いろいろな人の労苦があって、様々な良いものを手にすることができる。

 

★その陰で労苦する人 

  いやいや、それは嫌だ。労苦をするのでなく、良い部分だけを手にしたいと思う。 でも、実際には、そのような陰で労苦してくださる方々がいてくださるお陰で、良いものをいただくことができる。

  

★一人の姉妹

  既に天に帰って行かれた方。

  毎月決まった額を東京聖書学校のために捧げてくださった。その方は、それを何年も続けられた。 聖書学校を応援してくださった。

  将来の伝道者養成のために、祈り、それを実際面においても、なしてくださった。 誰かから言われたのでもない

  主に祈る中で示されて、実践してくださった。 自分ができること 喜んで

   主に示されて、そうさせていただきます。

  自分の生活費は自分のお金 自分のためにすべて使っても良いのに。

 

★苦難のしもべ

  苦難のしもべを示す聖書の箇所の代表

 

●イザヤ書53:1-10

53:1 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。

53:2 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。

 

53:3 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。

 

53:4 彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。

53:5 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

53:6 わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。

53:7 苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように 毛を切る者の前に物を言わない羊のように 彼は口を開かなかった。

53:8 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを。

53:9 彼は不法を働かず その口に偽りもなかったのに その墓は神に逆らう者と共にされ 富める者と共に葬られた。

53:10 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ 彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは 彼の手によって成し遂げられる。

 

・見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。

・軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。

・彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。

  軽蔑され、見捨てられた  痛みを負い、病を知っていた  無視される

    捕らえられ、不当な裁判を受ける。 罪のない方が、有罪と宣告される

鞭打たれ、辱めを受ける

  唾を吐きかけられ、罵りを受ける、嘲りを受ける

  このことを受けられたのは、だれか?  それは、主イエスご自身である。

   誰がそんなことを引き受けることができるか?

    自分のためではなく、他の人のために受けるだろうか?

   それを承知で、来てくださった方がおられる。

   それを引き受けておいでくださった。そしてその道を進み、引き受けてくださった。 十字架の道

53:7    

 53:7 苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように 毛を切る者の前に物を言わない羊のように 彼は口を開かなかった。

それは誰のため、だれの罪、咎のため

   私たちの罪、咎のため

○53:5

 53:5 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

  その受けた懲らしめによって平和が  その受けた傷によって、癒しが

   罪の赦し、神の子としての資格、特権が  神との平和

   魂の暗やみを打ち破っていただいた。

    

★最後に引き出される者と  

  最後に引き出され 見せ物

◎9節  

4:9 考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。

●口語訳 

4:9 わたしはこう考える。神はわたしたち使徒を死刑囚のように、最後に出場する者として引き出し、こうしてわたしたちは、全世界に、天使にも人々にも見せ物にされたのだ。

●新改訳  

4:9 私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。

 

 最後に引き出される者

  見物人がたくさん集まる 見せ物となる。

  死刑囚のように引き出される 最後に引き出される

  次々と引き出される者たち  そのしんがり その一番最後に

  見物人たちが集まって、その最後の者を見届けようとする。

   見物人にとっては、迫害のクライマックス

   当の本人、これで、この命は終わるだろう。この信仰を貫く。 この信仰を捨てず。 最後の最後まで、主に信頼し、すべてをおゆだねして歩む。

   見物人の多くは、自分たちがそれを見れば良い。 見物

 

  見物人でない人もいる 心配して、そっと、やって来た人たちもいる。

   家族がいる、 信仰の友がいる

   全く、偶然にその場にやって来た人もいる。

   家族、信仰の友の祈り

    守られるように、支えらえるように   その最後を見届ける。

    その大変さの中においても、主に従い通したその人

 全く偶然にそこにいた者、いやその時には見物人としてそこに来た者もいる。

   

  いつか、自らの身が、同じような立場になった時、

  大変さの中に置かれた時、 もう自分では、自分を支えることはできない。

    お手上げ、 絶体絶命の時

   その最後に引き出された人のことを思い出す。

    見せ物のようになった それでも、その困難の中で、主に寄り頼み

    平安をいただいて、すべてをゆだねて歩んだ。

   自分に、今必要なもの、その平安、そのゆだねること。

   後に続く者に光を指し示す。

 

 最後に引き出される者

  最後の最後、そんなに立派には歩めないかもしれない。

  生かされている時に、主に祈りつつ、主に従う歩みをしつつ、

   平安、希望、感謝  それをいただきつつ。

  その歩みをなしていきましょう。 主は共にいて支えてくださるお方です。

 

 

 

11月7日() 聖日礼拝  説教メモ

    「キリスト・イエスに結ばれた生活」 

   コリントの信徒への手紙一4章14-21節 

★使徒パウロの思い

①その1

 地中海沿岸の伝道旅行をすることができた。

  しかもその回数は3回も  主イエスの福音を携えての旅行

   迫害も数多くあった。大変さはあった。

 しかし、その中で、福音を受け取り、主イエスを信じる者も起こされた。

   実りが与えられた。

◎14-15節  

4:14 こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。

4:15 キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。

  主イエスにあっての霊の子ども それぞれが神の子どもとして歩んでいる。  それは、大きな感謝だった。

 

②その2

 今、パウロという名を与えられている。 かつての名はサウロ

   迫害者サウロ

    ユダヤ教徒ととして、徹底的にクリスチャンを迫害していた。

    多くのクリスチャンを捕らえ、獄の中に投げこんだ。そのことで命を失ったものもいた。  迫害することを使命としてそうした。

    しかし、それは間違いであったことに気が付いた。

    否定していた主イエスが自分に出会ってくださった。

     ダマスコ途上での出来事

   自分は犯した間違いのゆえに、裁かれ滅ぼされるべきものだった。

    しかし、そうならなかった。

    主なる神は、自分の犯した間違いを、裁かず、赦してくださった。

   彼は、主イエスを救い主と受け入れ信じた。

   滅ぶべき者が今生かされている。

○コリント一15:8-10  

15:8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。

15:9 わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。

15:10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。

  神の恵みによって、今日の自分があると。

 

★自分に倣う者になりなさい。

◎16節 

4:16 そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。

 自分に倣う者になりなさいとは、普通はなかなか言えない言葉。

 もし言えるとしたら、2つの可能性

 1)うぬぼれ

   自分は素晴らしい、自分は大したものだ。 自分は成功した。 自分は最高の者だ。このような者になりなさい。 それはうぬぼれであり、自分の一部しか見えていない。 パウロはそのような者ではなかった。

  2)感謝

   こんな幸いはない。 神の愛に生かされ、多くの恵みをいただいている。 そのことを感謝し、それに応答して歩んでいた。 真実に応答していた。

   神よりの恵みをいただき、それをしっかり受け止め、その感謝の念を

生活において表わした。その恵みに応えて、主が喜んでくださるように歩もう。

  真実に応答して歩もう。主をいつも心にとめ、歩む。 裏表なく歩む。

   裏表があれば、私に倣う者になりなさいとは決して言えない。

   裏表がなかった。人に見える部分でも、見えない部分でも、変りがない。

    パウロは、その歩みをしていた。

 

★キリスト・イエスに結ばれた生き方

  使徒パウロの生き方

  主イエスに結ばれて歩んだパウロ  主イエスを救い主と信じ歩んだ

   主イエスの福音を伝える者として歩んだ。

 

◎17節

4:17 テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。

  パウロが歩んだ主イエスに結ばれた生き方とは?

 

①主の愛に包まれて

   主の愛に包まれ、支えられて歩む。

○エフェソ2:1-5 

2:1 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。

2:2 この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。

2:3 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。

2:4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、

2:5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです

 以前は、自分の過ちと罪のために死んでいた。以前は、肉の欲望の赴くままに  神の怒りを受けるべきものだった。

 しかし、今は違う。神がこの自分を憐れんでくださった、特別に豊かに憐れんでくださった。

  怒りを受けなくて済む者にしてくださった。 神の怒りはもはやない。

  主は、私の罪のために死んでいた。

  むなしく生きていた、さまよっていた。滅びに向かって進んでいた。

  その自分がもはやそうではない。

   キリスト共に生かされる。 恵みによって救われた。

   主の愛に包まれて生きる者にされた。 その喜び、感謝

 

②喜び、祈り、感謝

○与えられているものを心にとめて 与えられた命、人生、使命

  主に向かって祈る 主イエスの名をもってお祈りする。

  パウロ自身、様々な困難を経験した。

   その大変さを主に申し上げ、慰められ、励まされ、強められ

 感謝する。 主よ、感謝します。 これも感謝します。あれも感謝します。    

 不平不満よりも、感謝

 

③すべては最善に導かれることを心にとめ

○ローマ8:28  

8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

  万事が益となるように導かれる。

  なぜ、こんなことが  挫折

   ・大学受験の失敗    ・失恋

   そのことの意味がすぐには分からないこともある。

  ずっとわからないこともある。 一生わからないこともあるかもしれない。 主がすべてをご支配しておられる。 主にゆだね、

  パウロ自身も、すべてを支配しておられる主にゆだねつつ、

   その時には、わからないことも主にゆだね、主はご存じだと

 

④恐れのない歩み

○ヨハネ一4:16-19  

4:16 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。

4:17 こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。

4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。

4:19 わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。

 何が幸せか?

  あれがある、これがある、 あれを持っている、これを持っている

   それも幸せの一つでしょう。

   いろいろなものを手に入れ持っているとしても、心に恐れがあれば、幸せとは言えないのではないか。

  恐れはやって来る。 いろいろなことが起き、恐れの心を持つ。

  恐れは、離れようとしない。 くっついてくる、付きまとう。 居候する。 恐れの心をずっと引きずることがある。

  その恐れ、自分ではなかなか対処できない。 恐れは去っていかない。

  主がその恐れを追いやってくださる。消し去ってくださる。

  主がすべてをご支配しておられる。

  その主におゆだねして歩む。 私には無理です。でも主なら大丈夫です。

  主よ、お任せします。

 

⑤キリスト・イエスの僕、兵士

  主イエスの僕、兵士として歩んだ。

僕、兵士 主イエスが主人、特別なる上司  その主人、上司に徹底的に従う。

○テモテ二2:3-4 

2:3 キリスト・イエスの立派な兵士として、わたしと共に苦しみを忍びなさい。

2:4 兵役に服している者は生計を立てるための仕事に煩わされず、自分を召 集した者の気に入ろうとします。

○テモテ二4:5-8 

4:5 しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。

4:6 わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。

4:7 わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。

4:8 今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

 主人である主イエスは何をお望みであるか  それをいつも心にとめて歩んだ。 それは一番難しいこと なぜなら、自分の願いを中心にして私たちは歩むから。

 使徒パウロは、いつも主を見上げた。

  主より託された使命を心にとめた。 それは、福音宣教の働き

  時に様々な困難があった。  その中にあっても、福音宣教は自分の使命だ。    この戦い、この使命を全うするのだ。

 

 *山村英幸師

 *森田義明師

   *中込己一郎師

 

★キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方

  使徒パウロ自身は、その歩みを貫いた。 その足跡を残してくれた。

  私たちそれぞれ、主イエスに結ばれた生き方  

 主の救いに与ったことを感謝して、その恵みに感謝して歩んでいきましょう。

  

 

11月14() 聖日礼拝  説教メモ

     「主は心によって見る」     サムエル記上16章1-13節 

 

★本日は、幼児祝福式 

  一人一人の名前を上げてお祈りしました。  健やかに成長しますように!

   子どもは可能性に満ちている。

    大人が見失ったものを持っている 純真さ、素直さ、・・

 

★本日の聖書

  少年ダビデが選ばれた。

   8人兄弟の末っ子のダビデが まだ青年だった。

  なぜ、ダビデが選ばれたのか、不思議  その意味、理由は?

 

●サムエル記16:1-13 

16:1 主はサムエルに言われた。「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。」

16:2 サムエルは言った。「どうしてわたしが行けましょうか。サウルが聞けばわたしを殺すでしょう。」主は言われた。「若い雌牛を引いて行き、『主にいけにえをささげるために来ました』と言い、

16:3 いけにえをささげるときになったら、エッサイを招きなさい。なすべきことは、そのときわたしが告げる。あなたは、わたしがそれと告げる者に油を注ぎなさい。」

16:4 サムエルは主が命じられたとおりにした。彼がベツレヘムに着くと、町の長老は不安げに出迎えて、尋ねた。「おいでくださったのは、平和なことのためでしょうか。」

16:5 「平和なことです。主にいけにえをささげに来ました。身を清めて、いけにえの会食に一緒に来てください。」サムエルはエッサイとその息子たちに身を清めさせ、いけにえの会食に彼らを招いた。

16:6 彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った。

16:7 しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」

16:8 エッサイはアビナダブを呼び、サムエルの前を通らせた。サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」

16:9 エッサイは次に、シャンマを通らせた。サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」

16:10 エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った。「主はこれらの者をお選びにならない。」

16:11 サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」

16:12 エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」

16:13 サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。

 

★エッサイの家にて

  サウル王が退くことに  次の王を立てなければならない。  

その任職の時、預言者サムエルが油を注ぐ   王を選ばれるのは、神さま

  サムエルは、神さまから言われ、エッサイの家に行く。

  そこで、エッサイの子どもたちと出会う。

   7人の子どもたち、そして8番目の子ども

   上の方の子どもたちは、もう立派な大人

   一番下の子どもダビデは、まだ少年

   サムエルの思い   神の思いは違う

   ほかにいないのか もう一人 羊の世話をしている末の子がいます。

   連れて来られた。  そして、そのダビデが選ばれた。

 

★選ぶこと

  皆さんは選ぶことが好きですか?

  買い物をする 野菜、果物、魚、肉、その他を買う、

  よく見ないで買う人はいない。 よく見て買う。   野菜、果物、魚、肉

   *果物を選ぶ *魚を選ぶ *木を選ぶ

 *人を選ぶ

   会社、幼稚園、・・   プロ野球  新人の獲得 

 

★人を選ぶことは一番難しい。

  サムエルさえ、見誤った。

 長男エリアブが一番ふさわしい。 違った。 次男アビナダブ 違う、 

三男シャンマ 違う

  神さまは何を基準に  心を基準とされた。 心をご覧になった。

◎7節

16:7 しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」

◎口語訳

16:7 しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」

◎新改訳

16:7 しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

 主は、心の何をご覧になられたの? 主は、心をご覧になる ドキッツとしますね。

 外側、見た目

   人に見られて、やばいと思うとしたら

  1)普段の生活、 家での生活

  2)家の中 部屋の片づけ

  3)そして心

   心の掃除 どうしたら良いかな? 人には見えないか、そのままで良いか

   でも、神さまには見える  イエス様が来られる

    

★心

  ・忍耐強い心 忍耐力がない心、 ・素直な心  素直でない心

  ・やさしい心 やさしくない心。 ・広い心  狭い心

  ・こだわる心 こだわらない心  ・明るい心  暗い心   

 

★サウルが王を退けられた理由

  初代のイスラエルの王として、選ばれ、立てられた。

  最後は天の神さまから退けられた。 なぜ?

 

○13:1―14 

◆ペリシテ人との戦い

○14節

13:14 しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。」

 

○15:1―23

◆アマレク人との戦い

  サウル だんだん、自分勝手になっていった。

自分を王として選び、立ててくださった神さまを見上げることが少なくなった。

 おごりがあったのでしょう。  自分の思う通りにして良い。

 神さまの願いはこうだけど、まあいいか  ここは自分の思いを優先して

○15:22

15:22 サムエルは言った。「主が喜ばれるのは焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり 耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。

 主に従う心を失った。

 

★選ばれたダビデ

  その心  純真、すなおだったのではないか。

  ・従う心  ・主を見上げる心、主から目を離さない心   ・悔い改める心

 

★私たちも主に喜ばれる心を

  ・忍耐強い心  ・素直な心   ・やさしい心  ・広い心  ・明るい心を  そして何より

  ・従う心      

  ・主を見上げる心、主から目を離さない心   ・悔い改める心

  心をご覧にある主は、心を造り変えてくださる方

   主によって、心を造り変えていただきましょう。

 

 

11月21日() 聖日礼拝  説教メモ

    「求め、探し、たたけ」    ルカによる福音書11章5-13節

 

誰かのために

  自分のために、何かをする。 私たちは多くの時間を自分のために用いる。

   自分の欲しいものを手に入れる。 自分のしたいことをする。 自分の欲しいものを手に入れるためならば、そこに集中する。 自分のやりたいことのためなら、無我夢中になる。

  これが食べたい。 おいしいラーメン店があれば、 山登りが大好きな人

  一方、誰かのために時間を用いる。

   母親は、子どものために、家族のために おいしい料理を作る、お弁当を用意する。

   自分のためよりも、他の人のために多くの時間を費やす。

    いのちの電話のボランティア、ホームレス支援、フードバンク等の働きに取り組む。 頭が下がる。 自分だけのためではなく、他の方々のためにも用いることができれば幸い。 自分だけ喜ぶのではなく、相手も喜ぶ、他の人も喜ぶ。共に励まし合い、喜び合えれば幸いです。

   

 ★今日の聖書の箇所

  一つの設定 それは、お腹を空かせて夜中に立ち寄った友達

  死にそうなくらい、お腹がペコペコ、かわいそうに、何とかしてあげたい。何でもよいから、おいしものを食べさせてあげたい。

  当時は、今のようなコンビニのような店もありません。 また、このように、旅の途中に、食べるものがなく、友達の家に助けを求めることは多かったようです。 当時、よくあった出来事を背景に主イエスは語られた。 

 

◎5-8節 

11:5 また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。

11:6 旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』

11:7 すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』

11:8 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。

 

何とかお腹を空かせた友のため、パンを食べさせてあげたい。

  友達のために食べさせるパンがない。 どうしよう。 そうだ、もう一人の友の家に行ってパンを分けてもらおう。あの友達なら、持ち合わせているかもしれない。 時は夜中  こんばんは。夜分本当のごめんなさい。 パンを3つ貸してください。友達がお腹を空かせて、自分の家を訪ねてきたのです。 

その人自身はとても心の優しい人。  

 自分の家には1つのパンもない。本当にごめんなさい。あれば1つでもあげたいけど、1つもないのです。 本当に、本当にごめんなさいと済ませることもできた。でもそうしなかった。

もう一人の友の家に出かけて行った。その友なら、きっと持っているに違いない。

 真夜中ですから、その訪ねられた友も家族も寝入っている。当然のことながら、断られる。子どもたちもそばで寝ている。自分が起き出したら、子どもたちも起き出してしまう。

 パンを貸してもらうために来た人は、そこであきらめなかった。旅行中の友は、いまにも倒れそうなんです。 ぜひぜひと頼み込んだ。

 すると、求められた人は、必要なパンを差し出し、貸してくれるにちがいない。

 

★必要なものを求めましょう。

  主イエスの教え それは、必要のために、熱心に求めよと

  ぜひ、そうしていきましょう。 そして、与えられていきましょう。

  主イエスのお話の中では、夜中に空腹を抱え訪ねて来た友のために、

  空腹を満たすためのパンであった。

 現代人である私たちが一つ気を付けるべきこと

  それは、あれもこれもと求めすぎることかもしれない。

  あれも欲しい、これも欲しい。 いろいろな物がなければ満足できない。

  あれを手に入れたら、さらにあれもと、際限なく、求め続ける

  これはぜひともというものを見極める必要があるかもしれません。

 自分にとって、何が一番必要なものか考える時間も大切。

  物を増やすことではなく、ものを減らす 断捨離ということかも

  静まる時を持つことかもしれない。仕事の量を減らすことかもしれない。

 自分の家族にとって、何が必要か

 自分たちの教会にとって、何が必要か

  何を今一番求めるべきことかを、立ち止まってゆっくり考える必要もあるでしょう。 主に祈り、何を最優先に求めるべきかを尋ねる必要もあるでしょう。  

  

★本日の中心とある箇所

  2つある

(1)まず、第一、それは9―10節

◎9-10節 

11:9 そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

11:10 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

◎8節

11:8 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。

 夜中にパンを貸してほしいと頼まれた友は、執拗に頼まれて、起きてきて必要なものを与えた。 パンをぜひ3つ貸してください。旅行中で空腹の友のおなかを満たしてあげたいのです。

    

★求める相手は、天の神さまです。

 天の神さまは、与えんと用意しておられる。無理矢理に押し付け与えることはなさらない。

 でも、「主よ、これが必要です」「主よ、これを与えてください」と真実に、熱心に求めることを主イエスは教えられた。「求めよ、探せ、たたけ」と

 私たちでさえ、信頼されて求められれば、何とか応えてあげたいと思う。

 天の神さまは、私たちよりはるかに真実なお方、その方に求めましょう。

 

今日の聖書の箇所は、主イエスが、弟子たちに「主の祈り」を教えられた、その続きの箇所  

 そこに少し注目してみましょう。

○11:5-13

11:1 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。

11:2 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。

11:3 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。

11:4 わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」

まず、教えられたことは、①まず、主の聖名があがめられますようにということ

 主の聖名をほめたたえること

 崇められるべきものを主の聖名である。主ご自身である。

 何よりも、まず、主をあがめましょう。主に心を向け、主を讃美しましょう。

 ②二番目には、御国が来ますようにということ

   御国とは神のご支配のこと

   神のご支配の中で、この世界が進んで行きますように

  現代世界は、あまりに強い人の支配、強い国の支配が求められすぎている。

   そのためのひずみが、世界を追い詰めている。

   神の御心がなりますように。

   人の思い、願いが優先して、世界は住みづらく、生きづらくなっている。

 ③日ごとの必要な糧を与えてください。

 ④罪の赦し 私の罪を赦してください。 他の人の罪を赦すことができますように 

   ⑤誘惑に会わせないでください。

  

主は、私たちの必要を与えてくださるお方。あれこれと思い煩うことの多い、私たち

〇マタイ6:31-33

6:31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

  主に信頼して、寄り頼みつつ、最も必要なものを満たしていただきましょう。 主に求めて行きましょう。

 求めよ、探せ、たたけ  主は、与え、見出させ、開けてくださるお方です。

 

今日の中心の箇所の一つ目は9-10節でした。

 (2)もう一つ 二つ目は13節です。

  〇13節

 11:13 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる

 主を信じる私たちは、主によって生かされている私たちは、何よりも忘れてはいけないことは、罪を赦された者であるということです。

 滅びるべき者だったのに、主イエスの十字架の贖いを通して救われました。 

神の子どもとされた。 神の子どもとしてあることの幸い。 神の子どもとして生きること。 

私たちは、普段はひょっとしたら、その一番大切なことを忘れているかもしれません。そのことをいつも心にとめていることができますように!

 

主の御心はどこにあるのだろう? 主は、この私を通して何をなさりたいのだろうか? 主が、私に何を願っておられるのだろう? 自分はこれからどのように歩んだら良いのだろう?

 今まで、自分は守られて来た。必要を十分満たしていただいた。

 多くの願いをかなえていただいた。 多くのものを与えられた。

 今、多くのものを持っている。 これからは、自分のことよりも、他の人を助けていきたい。 受けるより与える方が幸いであるとの主の言葉を心にとめて、実践していきたい。

 

*田畑実兄

 

聖霊を求める。

  特別な霊的な体験というよりも、この自分が、主から離れないように。

  主から目を離さないように。 主の御心を求めつつ歩んでいけるように。

  主を心にとめ、主の間近くを歩めるように、助け導いてくださる方は、聖霊なる神です。

 自分は、主を忘れやすい者です。主の御心よりも、自分お願いばかりに心を向ける者です。 この貧しい僕を憐れんで、そうならないように助けてください。導いてくださいと願い求める。 このことを聖霊なる神よ、助けてください。

  そのことを願い祈り求める時に、聖霊なる神は助けてくださる。

  私たちを導いてくださる。 主は、祈る者に、聖霊を豊かに注ぎ与えてくださる 。

  

 

11月28日() 聖日礼拝  説教メモ

    「古いパン種を取り除け」   コリントの信徒への手紙一5章1-13節

 

★クリスマスアドベント

  クリスマスの主 イエス・キリスト

  救い主のご降誕のお祝い 4週の歩みを通して備える。 クランツのローソクを1本ずつ増やしつつ進む。 新年を迎える前の大切な時

  既に起きたできごと クリスマスの出来事 その意味を心にとめつつ

  もう一つの意味 それは、再臨の主イエスを待ち望む

   主イエスが再び来られる。全世界を支配する主 その主の前にすべてのことが明らかになる。何も隠すことはできない。主の御前に報告をしなければならない。 その主の栄光を仰ぎ見つつ、歩む。  

   

★大切な方を迎える時

  その準備をする。その方を迎える準備。 大事なお客さんを迎える準備

  その方は、見えない部分をご覧になる。 見える部分よりも、見えない部分を整える。

 

★この世の人のことを言っているのではない。

  この世の人の歩み 様々な歩み そして、いろいろな間違い、人間中心、自分中心、自分勝手な歩み

  使徒パウロは、この世の人の歩みのことを言っているのではない。

  この世の人の歩みは、人があれこれ言っても始まらない。 その相手を裁くことはできない。 その裁きは、主の御手の中にある。主におゆだねすればよい。

 

主の救いに与った者のことを言っている。

  具体的には、コリントの教会につながる者たち、主イエスの救いをいただいた者たちの中で起きていたこと

  それは、主イエスの十字架の死によって、救いをいただいた。

   どうしようもない罪、そのために滅ぶ身であった者が、その罪を赦され、     神の子どもとされた。

  その大いなる恵みに与ったにも関わらず、神の愛をいただきながら、それを踏みにじるようなことをしていた。 そのことに対して、使徒パウロは厳しく語った。

 

★パン種

  パン種は、パンを膨らます力を持つ。 これを練り込むことによって、パンはふっくらと膨らむ。 おいしいパンを作るのに、欠かせないもの。

  古いパン種 その意味するものは、悪いことが蔓延する。

  それは、果物の一部が腐り始めると、その腐りが広がる。 その腐り始めたところを取り除く必要がある。

  体に癌が見つかったら、それをそのままにはしない。 何とか、それを取り除く。そのままにしていたら、癌が全身に広がってしまう。  

  

◎11節

5:11 わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。

◎新改訳

5:11 私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。

 

★陥る可能性のある悪しきこと

 ①みだらな者、不品行な者

  性的不品行、異性との間違った関係 そのような歩みをなす者たちがいた。

   コリントの教会の中に、そのようなことに身を置く者がいた。

  具体的には

  1節

5:1 現に聞くところによると、あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしているとのことです。

     ある人が父の妻をわがものとしている。

   母親が亡くなり、父親が若い女性と再婚したのかもしれません。 その女性は義理の母となる。 その父親が亡くなった後、その女性と間違った関係となる。 そのようなことが起きていた。

  性的不品行 それは、時に人をその中に引きずり込む力を持つ。 その虜になる。そこから抜け出せない。 次々とそのようなことを重ねる。

  そのことで、伴侶が苦しむ、家族が苦しむ。 夫婦の関係が壊れてしまう。家庭が崩壊してしまう。 

 

 ②強欲な者、貪欲な者

   あれも欲しい、これも欲しい とどまるところがない。

   自分に与えられているものに満足をしない。 満足できない。

   主によって与えられているもの 物質的なことだけでない。

    自分が身を置いているところ  ・自分の家庭、家族  ・職場  ・人間関係  自分に今与えられているもの 主によって備えられたもの

  それが、どんなにありがたいものか その幸いを心にとめない。 主に感謝して歩むべきもの それなのに、満足せず、心に感謝すること、主に感謝することをしないで、不平不満

  隣の芝生は青く見える:他人が持っているものは、自分のものよりよく見えるものであるということ

  今与えられている境遇に満足せず、あれがない、これがない、あれが欲しい、これが欲しいと思う。

 

 ③偶像を礼拝する者、偶像を礼拝する者

   真の生ける神を知った者 その方こそこの世界を造ってくださった方である。 愛の神であり、祝福の神である。 ご自身の独り子を犠牲にして、救いの道を開いてくださったお方 その主を信じて、滅びから救いに与った。

  それにも関わらず、偶像の神を慕う。人を惑わす神、人が祭り上げた神々

  それらの偶像を再び礼拝する。 

 

 ④人を悪く言う者、人をそしる者

   人のことで悪い噂を立てる。

   あの人はこんなひどい人ですよ。あの人はこんなことを言ったのよ、こんなことをしたのよ。 そんなことを人に言いふらす。

   自分こそは正しい、間違っていない、あの人はとんでもない人ですよ。

   自分は少しも間違っていないと言い張る。そしてあの特定の人のことをあることないこと悪く言う。 たとえ何らかのことがあったとしても、それは、人に言いふらすことでは決してあってはならない。 にもかかわらず、人の悪口を言う。悪い噂 主が一番お嫌いになる。

  

 ⑤酒におぼれる者、酒に酔う者

   酒におぼれる。アルコールの魔力  アルコールに飲まれてしまう。 

   酒によって、どれだけ多くの人がその人生を台無しにしてしまったことか

    飲酒運転で大きな事故 他の人の命を奪ってしまった。

    呑みすぎで、肝臓をやられ、アルコール性肝炎、肝硬変、肝がんに

    依存症になってしまう。

    アルコールがなくては生きていけない。 アルコールが入ると人格が変わってしまう。 自分自身、制御が効かなくなる。のめり込んでしまう。 人間関係を壊してしまう。暴言、暴力に 後で、そのことを全く覚えていない。 仕事を失う。家庭崩壊

   アルコールの類い 薬物、覚せい剤 そのようなものに呑まれてしまう。

    それが切れると禁断症状が出る。

    それが体内に入れば幸せ、それが切れると、絶望、耐えられない

 

 ⑥人の物を奪う者、略奪する者

   人のものを奪う  力で、奪い取る 力づくで、強盗

   ごまかして、人のものを奪う。 うそ、偽り 

   ウソ、偽りをついて、 人のものを奪う。

   オレオレ詐欺、振り込め詐欺

    そのような中に身を置く、そのような人たちの仲間になる。

   当時はそのような現代のようなことはなかったでしょうが、人の大事なものを奪うことがあった。

 

 以上6項目、そのようなことにうつつを抜かしてはならないと

  そのようなことが起きていると使徒パウロは警告した。

 

★古いパン種

  古いパン種は、パン全体を膨らます。 古いパン種 それは、悪意と邪悪のパン種 パン全体を悪意と邪悪、不正で満たしてしまう。

 ◎7-8節 

5:7 いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。

5:8 だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。

◎新改訳

5:8 ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。

 悪意と邪悪のパン種、悪意と不正のパン種(新改訳)

  古いパン種 以前に使っていたパン種

  それは、救いに与る前の考え方、自分の思考パターン 肉の思い 悪意、邪悪、不正  悪意 悪い思い、  邪悪な思い 不正な思い

  それを自分の心の内に持つ それをずっと持ち続ける。

   それを正当化する、このような思いは、あってしかるべきだ このような思いを持って歩み続けても何ら差し支えないと。 なぜなら、相手に問題がある、相手からひどいことをされた、ひどい仕打ちを受けた。 その相手が面白くない。

  その相手は、自分と比べて良いものをたくさん持っている。活躍している。

   それに比べて、自分は、そうではない。 ねたみ、嫉み、敵対心、・・

   それらを持ち続け良いことをすることは難しい。その悪しき思いに支配される。 自分ではこれではいけない、このままではいけないとわかっていても、    その思いを持ち続ける。

  その古いパン種を取り除け。

  

  コリント第一の手紙では、主の救いに与りながら、教会の中で、そのような歩みをあくまでも続ける者がいたなら、そのままにしてはいけない。

  その間違いを明らかにし、忠告、それに従わない時には、さらに厳しい処置をせよと語られている。 

  

 では、個人においてはどうしたら良いのでしょうか?

  その古いパン種を取り除け。

  主の前にお祈りをして、自分の内にある悪意、悪い思い、邪悪、不正の思い、考え方があることを認め、悔い改める。 主よ、この私のどうすることもできない思いを主の前に認めます。 主よ、主にあって、それを捨て去ります。

主よ、助けてください。聖霊なる神のご支配の中で、この私を守ってください。

  導いてくださいと祈って、主に従って行きましょう。

 

 クリスマスアドベントの第一週に当たり、主に喜ばれる心をいただき、進んで行きましょう.

 

 

11月10日() 祈祷会 奨励メモ

     「ヨブの苦しみの日々」      ヨブ記30章1-15節

 

★みじめさ

  みじめさを味わう   それはどんなにつらいことか

   経験したものでなければ分からない。

   人にはとても言えない。 それほどのみじめさ

   

★ヨブの経験したみじめさ

 ずーとみじめもつらい。  ギャップの大きさ あまりに大きなギャップはもっとつらい。

   

★ヨブの幸いな日々

  そのことは第29章に記されている。

  過ぎ去った日々のこと

 ○ヨブ記29:1-25

29:1 ヨブは言葉をついで主張した。

29:2 どうか、過ぎた年月を返してくれ 神に守られていたあの日々を。

29:3 あのころ、神はわたしの頭上に 灯を輝かせ その光に導かれて わたしは暗黒の中を歩いた。

29:4 神との親しい交わりがわたしの家にあり わたしは繁栄の日々を送っていた。

29:5 あのころ、全能者はわたしと共におられ わたしの子らはわたしの周りにいた。

29:6 乳脂はそれで足を洗えるほど豊かで わたしのためには オリーブ油が岩からすら流れ出た。

29:7 わたしが町の門に出て 広場で座に着こうとすると

29:8 若者らはわたしを見て静まり 老人らも立ち上がって敬意を表した。

29:9 おもだった人々も話すのをやめ 口に手を当てた。

29:10 指導者らも声をひそめ 舌を上顎に付けた。

29:11 わたしのことを聞いた耳は皆、祝福し わたしを見た目は皆、賞賛してくれた。

29:12 わたしが身寄りのない子らを助け 助けを求める貧しい人々を守ったからだ。

29:13 死にゆく人さえわたしを祝福し やもめの心をもわたしは生き返らせた。

29:14 わたしは正義を衣としてまとい 公平はわたしの上着、また冠となった。

29:15 わたしは見えない人の目となり 歩けない人の足となった。

29:16 貧しい人々の父となり わたしにかかわりのない訴訟にも尽力した。

29:17 不正を行う者の牙を砕き その歯にかかった人々を奪い返した。

29:18 わたしはこう思っていた 「わたしは家族に囲まれて死ぬ。人生の日数は海辺の砂のように多いことだろう。

29:19 わたしは水際に根を張る木 枝には夜露を宿すだろう。

29:20 わたしの誉れは常に新しく わたしの弓はわたしの手にあって若返る。」

29:21 人々は黙して待ち望み わたしの勧めに耳を傾けた。

29:22 わたしが語れば言い返す者はなく わたしの言葉は彼らを潤した。

29:23 雨を待つように 春の雨に向かって口を開くように 彼らはわたしを待ち望んだ。

29:24 彼らが確信を失っているとき わたしは彼らに笑顔を向けた。彼らはわたしの顔の光を 曇らせることはしなかった。

29:25 わたしは嘆く人を慰め 彼らのために道を示してやり 首長の座を占め 軍勢の中の王のような人物であった。

  人々からの称賛、尊敬  幸いな日々

 苦しんでいる人、大変な中にある人たちを助けた、友となった。

 

★しかし今は、

 なんということか、なんとみじめなことか

◎ヨブ記30:1-15 

30:1 だが今は、わたしより若い者らが わたしを嘲笑う。彼らの父親を羊の番犬と並べることすら わたしは忌まわしいと思っていたのだ。

30:2 その手の力もわたしの役には立たず 何の気力も残っていないような者らだった。

30:3 無一物で飢え、衰え 荒涼とした砂漠や沼地をさまよい

30:4 あかざの葉を摘み れだまの根を食糧としていた。

30:5 彼らは世間から追われ 泥棒呼ばわりされ

30:6 身震いさせるような谷間や 土の穴、岩の裂け目に宿り

30:7 茨の間で野ろばのようにいななき あざみの下に群がり合っていた。

30:8 愚か者、名もない輩 国からたたき出された者らだった。

30:9 ところが今は、わたしが彼らのはやし歌の種 嘲りの言葉を浴びる身になってしまった。

30:10 彼らはわたしを忌み嫌って近寄らず 平気で顔に唾を吐きかけてくる。

30:11 彼らは手綱を振り切り、わたしを辱め くつわを捨てて勝手にふるまう。

30:12 彼らは生意気にもわたしの右に立ち わたしを追い出し、災いの道を行かせ

30:13 逃げ道を断ち、滅びに追いやろうとする。それを止めてくれる者はない。

30:14 襲って来て甚だしく打ち破り 押し寄せて来て廃虚にする。

30:15 死の破滅がわたしを襲い わたしの力は風に吹きさらわれ わたしの救いは雲のように消え去った。

  ・嘲笑われる。 嘲りの言葉   ・唾を吐きかけられる。

 ・災いの道を          ・滅びに追いやられる。

 ・死の破滅

  絶望的な状況の中に置かれているヨブの苦しみ

 

★もし自分だったら

  希望を失い、失意、落胆。 何もしたくない、 のたうち回る。        

  みじめさの中で、憤死

   

★苦難のしもべ

  苦難のしもべを示す聖書の箇所の代表

○イザヤ書53:1-8

53:1 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。

53:2 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。

53:3 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。

53:4 彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。

53:5 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

53:6 わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。

53:7 苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように 毛を切る者の前に物を言わない羊のように 彼は口を開かなかった。

53:8 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを。

 

  軽蔑され、見捨てられた   痛みを負い、病を知っていた

  無視される         捕らえられ、不当な裁判を受ける。

   罪のない方が、有罪と宣告される

鞭打たれ、辱めを受ける  唾を吐きかけられ、罵りを受ける、嘲りを受ける

  このことを受けられたのは、だれか?  それは、主イエスご自身である。

   誰がそんなことを引き受けることができるか?

    自分のためではなく、他の人のために受けるだろうか?

   それを承知で、来てくださった方がおられる。

    それを引き受けておいでくださった。そしてその道を進み、引き受けてくださった。 十字架の道

 それは誰のため、だれの罪、咎のため   私たちの罪、咎のため

○53:5

53:5 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

 その受けた懲らしめによって平和が  その受けた傷によって、癒しが

  罪の赦し、神の子としての資格、特権が  神との平和

  魂の暗やみを打ち破っていただいた。

 

★苦しみの日々の中で

  ヨブは苦しみを経験した。

   みじめさの極み このみじめさをどう受け止めたら良いのか。

  みじめさどころか まさに滅びんと、すべてが終わらんとする中で、

  主が与えてくださる平和、癒し

   それを受けるしかない。  その自分を支えていただいて、歩む。

 

  

12月5日() 聖日礼拝  説教メモ

    「マリアへのみ告げ」    ルカ福音書1:26-38 

 

クリスマス

  クリスマス 神の愛を心にとめる時

  神の愛が、この世界を包むために 神は、独り子である主イエスをお遣わしくださいました。   赤ちゃんイエス様として、この世に誕生させてくださったのです。 そこには、神の大きな愛、お考え、ご計画がありました。。 

 

★おとめマリアへのみ告げの箇所

  神の御子である主イエスが、赤ちゃんとなって、マリアのおなかに宿る。 

    

●ルカ福音書1:26-38

★マリアへのみ告げ

  み使いガブリエルの登場 マリアに告げる

  驚くようなことを告げら、驚き戸惑うマリア

  マリアはまだ10代半ばではなかったかと言われている。

  ヨセフと婚約の身であった。 新しく始まり結婚生活を楽しみに待っていたマリアに対して

 

神の選び 

  神がマリアを選ばれた。

   まだうら若いマリアを選ばれた。人生経験もまだほんの少し ヨセフの婚約者となっていたマリアを選ばれた。この者こそ、御子イエスの母となるべき者

  神の選びは確か 特別に選ばれた。

  マリアの心の一番深いところをご覧になった。 純粋、真実、神を見上げる信仰  私たちもそのような心を持ちたいものです。

 何より、ダビデの家系につながるヨセフの婚約者(いいなづけ)であった。

 救い主は、ダビデの家系から、ダビデの子として誕生することになっていた。

 

恐れるなとの語り掛け

 恐れを抱くマリアに対して

◎30節

1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。

 神からの恵み、原語ではカリス 神の愛にもとづく良きもの

  マリアよ恐れる必要はないと、神の恵みが与えられている、注がれている 

 神があなたを選ばれた。

  神の愛はあなたに注がれ、良きものを神は満たされる。

 私たちも時に恐れる。

  心に恐れを抱く。どうしようもない不安。 どうしたら良いのだろうか、どうしたら良いかわからない。 不安でたまらない。 心が落ち着かず、動揺している。 とても、難しい問題、大きな課題を前に、不安を覚える。

 私たちにも神の愛、そして恵みが注がれている。 その愛、恵みを心にとめ、強めていただきましょう。

 

告げられたことの大きさ

 神からの特別な使命 その大きさ

◎31-33節 

1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。

1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。

1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

 男の子を産む

 その名はイエス 「神は救い」という意味の名  偉大な人になる

 救い主イエスの母となる。

 ・マリアは、答える 

◎34節

1:34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」

  どうして、そのようなことが ありえるでしょうかと

 

神の救いのご計画

 救い主イエスを通して、私たち人間に救いの恵みを与える。

 そのことは、一貫して変わらない。 

○イザヤ7:14

7:14 それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。

○新改訳

7:14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。

 イザヤ書における預言に対しての成就  人の子として生まれねばならない。

  神の御子によって しかし、それは、神のままではなく、人として生まれることによって 私たち人間の救い主となることができる。

  マリアの胎内に宿り、そして生まれることが必要だった。

  神の救いの計画は変わらず、一貫していた。

   

クリスマスの出来事において聖霊が臨む。

  神は、三位一体の神 父、子、聖霊  

  父なる神、御子イエス、聖霊なる神 三位が一つとなってある、働かれる

◎35節  

1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。

 聖霊なる神が特別に臨まれる。

 マリアの胎内に御子イエスの命が宿る。 マリアとヨセフとの間の子どもではない。

 クリスマス 神が御子イエスをお遣わしくださった。

 父なる神が御子イエスを どこに聖霊なる神が働かれたのか まさに、この時に働かれた。クリスマスの出来事 それは、三位一体の神によってなされた出来事であった。

 

悩むマリア

  はたしてこのようなことがあるだろうか? 

  このようなことがはたして可能だろうか?

 神の御子が自分の胎に宿り生まれ出る。そのようなことがはたして 

◎36-37節

1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。

1:37 神にできないことは何一つない。」

◎新改訳 1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」

 

 あの年取ったエリサベトに起きた出来事 マリアは遠い親戚であった。 そのことを知っていた。 神のなしてくださった業だと

 神にできないことはない 神の不可能なことはない

 神のご支配は、すべてに及ぶ。

  

マリアの応答 

  マリアは考えた、ヨセフとの結婚

  このことを引き受けたら、そのすべてを失うかもしれない。

  人はいろいろなこと、自分のこれから先のことを考える。

   良いことが考えられたら、では、引き受けましょうと

   でも、そうでないとしたら、引き受けることはよそう、やめよう

   他の人にお願いします。

   でも、その人が引き受けることを通して、神の業が進むことがある。

   人の思いをはるかに超えて

◎38節  

1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

◎新改訳

1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

 お言葉通り

  神のご計画がなりますように。神のみ旨がなりますように。 この身に

  この私を通して、神のみ旨がなりますように。 この私を捧げます 私の思い、私の願い、私の計画、私の将来、そして私の人生、命を マリアはすべてを捧げた。

 

 クリスマスの出来事

  主イエスを通して救いの御業がなされることの中で、

   マリアへのみ告げ、マリアの応答

   主の愛、恵み、主のご計画

 

 

12月12日() 聖日礼拝  説教メモ

     「あけぼのの光の訪れ」   ルカによる福音書1章67-79節 

 

ザカリアの賛歌

  今日の箇所は、ザカリアの賛歌と呼ばれる箇所です。

◎68節  

1:68 ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。

 ほめたたえよ ベネディクトス ラテン語のこの言葉から 喜びの歌

 悲しみの歌を口ずさむ者が喜びの歌を歌う者に変えられる。それは幸いなことです。 

 ザカリアは、喜びの歌を歌った。しかも、神に向かって 神をほめたたえた。

神様、感謝します。あなたを崇めます。あなたをほめたたえますと

ザカリアは、祭司の一人として長年歩んだ。年を取り、生涯の終わりも近づいていた。

 彼と妻エリサベツの間には子どもがいなかった。その彼に、一人の男の子が与えられた。 大きな喜び

 しかも、その子どもは、神さまからの特別な働きをすることになると。

 神が、この自分を顧みてくださった。

  子どもが与えられた。その子どもには大事な使命が与えられている。

○1:14-17    

 どんなにか栄光なことか。 ザカリアのあふれんばかりの喜び。

 ザカリアの賛歌、神に向かっての喜びの歌。

 神は、私たちにも、喜びの歌を歌わせてくださる。

◎67-70節

1:67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。

1:68 ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、

1:69 我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた

1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。

 その喜びは、一時的な喜びではなく、末永く続く喜び 表面的な喜びではなく、深い喜びです。 なぜなら、神が大いなる救いを成し遂げてくださる。

 救いの角 救いの力強い働きを与えてくださる。

 人が与ええない救い 

 大いなる救いの出来事が、起こされる。起こされた。

ダビデの家から興された。 あのダビデ王の子孫の中から出たと。

 

★★敵からの救い

 敵から救われることは幸いなことです。

 

敵の存在

 敵とは、この自分を、自分たちを悩ますもの、苦しめるもの

 この自分を苦しめる。

 この人、あの人 この問題、あの問題 そのことでいつも苦しむ、心が重くなる。悩む あの人さえいなければ、この問題さえなければ、解決されれば。 

 人間社会、国際社会においても、人間の歴史においても

  

◎70-74節

1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。

1:71 それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。

1:72 主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。

1:73 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、

1:74 敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、

 

 ★敵とは何でしょうか?

  悩ます敵はいろいろあるのではないでしょうか?

   コンプレックス このこと、あのこと 人の目を気にする

  自分自身の心

   いろいろなことにとらわれる。 気になるとそこから抜け出せない。

   ある人を赦せないという思い  敵意、ねたみ、嫉み

  人生の終わりにやって来る死の問題

  病気

   今まで健康であったのに、病気になる。 その病気はなかなか治らない。

   ずっと付き合わなければならない。

 それらから解放される。 解放されて自由になる。 平安、喜び

 心が軽くなる。 主と共に歩む幸い

 

 ユダヤの民にとっては、

  多くの苦しみを味わった。 苦しめる敵 それはエジプトであり、ミデヤン人であり、さまざまな敵 アッスリア、バビロニアといった大国、ペルシャ、ギリシャ、ローマ

  エジプト人のもとでの長い期間にわたって奴隷として歩まねばならなかった

   神は、モーセを立て、出エジプトの出来事を

  アッスリア、バビロニアに滅ぼされ、バビロン捕囚という期間 70年間   

   バビロン捕囚からの解放

 

バプテスマのヨハネ

  ザカリヤの子ども

◎75-77節

1:75 生涯、主の御前に清く正しく。

1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、

1:77 主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。

○1:14-17

 救い主イエスを指し示す働きをする。その方を迎える準備をするようにと告げる。

 

★★あけぼのの光の訪れ

  あけぼのの光が訪れる

◎78-79節

1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、

1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。

 

あけぼのの光

  暗い夜が明ける 朝日が昇ると、暗やみは去っていかねばならない。 暗闇は逃げ去る。 暗闇を打ち破る光  それは神から備え、与えられる。

 

 夜の闇よりも深い闇がある。

  この世の闇 不正、悪  私たちの心を暗くする闇 どうしようもなく心が暗くなる それらの闇は、人が作り出してる部分が大きい。 人によって造られている。 自分が作り出している。 その闇は深く、付きまとう。 それに悩まされる。

 その闇は、神に敵対する闇の支配者であるサタンによって作り出されている。

 私たち人間の力では、とても対抗できない。

 サタンは、私たちを長く、生涯にわたって、支配しようとする。

  真の力の主、祝福の主である神から遠ざけようとする。 目を向けさせないようにする。

 人生の歩み それらの闇に支配され続けて歩むか それとも、それから解放されて歩むか 大きな分かれ道

   

クリスマスの出来事

  それは、神のもとから救い主である主イエスがおいでくださった。

  赤ちゃんとしてお生まれくださった。

  神である位を捨てて、人となる。 それは、私たちと同じようになることによってはじめてできる救いの御業

 闇は深い、闇は人を吸い込もうとする。そこから逃れさせまいとする。

 神との関係が切れたまま、神と断絶したまま、生涯を歩ませようとする。

 その深い闇をあけぼのの光が打ち破る。

  

○イザヤ9:1

9:1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

 預言者イザヤも預言した。

 大いなる光がやって来る その光は、死の陰の地に住む者の上に、輝くと。

 およそ700年後にクリスマスの出来事が起きた。 神によって引き起こされた。 なんという感謝。

 

○ヨハネ1:5-9

1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。

1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。

1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。

1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

口語訳

1:5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

新改訳

 1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

 光は暗闇の中でも輝くことができる

 暗闇 やみ それは、ひかりに打ち勝たなかった。 打ち勝つことができない。

 暗闇は追い出される。 暗闇を追い出してくださる。

 

○ヨハネ8:12

8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

 真の世の光である主イエス

 その主イエスを信じ、受け入れる者は、暗闇の中を歩み続ける必要はない。

 主のご支配の中に生きる。 心に命の光を持つ。 光の主と共に歩む。

 

◎77-79節

1:77 主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。

1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、

1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」

 神の憐れみ 大いなる憐れみ

  私たちを憐れんで、手を差し伸べてくださっている。

  御子イエスをお遣わしくださった。 訪れてくださった。

  われらの罪の代価を主イエスを通して、すべて支払ってくださった。

   あの十字架の上で ご自身の死をもって私たちに罪の赦しによる救いを与えてくださった。 神の子どもとして歩む  光の子として歩む 平和の道を進むことの幸い。

  

 

12月19日() 聖日礼拝  説教メモ

     「救い主の誕生の知らせ」    ルカによる福音書2章8-20節

 

喜びの知らせ

  多くの情報、多くの知らせが瞬時に入ってくる時代に生きています。

  悲しみの知らせ、喜びの知らせが飛び込んできます。

  悲しい事件、出来事の多い時代の中で、ほっとする知らせ、笑顔にする知らせを聞きたい。

 今日の聖書の箇所は、ビッグニュース、大きな喜びの知らせが告げられたことを記しています。

◎8-12節 

2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。

2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。

2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。

2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。

 主の使いによって告げられた知らせ それは、野で羊を飼う羊飼いたちに対してでした。 大きな喜び それは民全体に与えられる。 一人の人だけではない、特別な人だけでない、民全体、すべての人に対して 世界中の人に対して 私たちも含まれています。 感謝なことです。

 救い主誕生の知らせ

 それは、一番最初に羊飼いたちに知らされた。

 羊飼いは、町中に住めない。野原で羊の世話をしなければならない。

 町の人たちのように、落ち着いて過ごすことができない。羊の世話で生活が回る、 町の人たちと共に過ごすこともなかなかできない。 町の人たちからは、見下げられていた。 羊飼いたちは裕福でもなかったでしょう。 質素な生活をしながら、過ごしていた。町の人たちのように、自由にいろいろなところにも行けない。 寂しさも感じていたでしょう。

 町の人たちに伝わる知らせも、羊飼いには届かない、届いたとしても一番最後。

 ところが、この救い主の知らせは、なんと一番最初だった。

 王様でも、金持ちでも、町の人でもなく、野の羊飼いだった。

 神が特別に羊飼いたちのことを心にとめていてくださっていた。

  自分のことを心にとめていてくれる人がいるのだろうか? そう考える時

  心は沈みます。

 主なる神は、羊飼いのことを心にとめていてくださいました。天の神さまは、私たち一人ひとり、皆さん一人一人のことを心にとめていてくださいます。

 

神から与えられる喜び

 神さまは、私たちに様々な良いものを与えてくださっています。

  与えられているものを心にとめたいものです。

   この私の命、家族、友達。 健康、食べ物、。・・

 神は私たちに愛を注いでくださっています。 その愛は、一時的な愛ではなく、永遠に続く愛です。

 その愛の証拠として、神は救い主イエス様をくださいました。 その出来事こそ、クリスマスの出来事です。

 「ダビデの町ベツレヘムに救い主イエスがお生まれになった。その方こそ、あなたたちを救う方である。」

 人生に、その生涯に変わることのない喜びを与えてくださる方です。

 その方はメシアである。キリストである。

  特別に選ばれたお方です。特別に選ばれた王、預言者、祭司等には任職の時に特別な油(オイル)が頭に注がれました。油注がれた者という意味です。

 

イエス・キリストという呼び名

  イエスは名前、当時その名前の人は多くいたようです。

  キリストは姓ではありません。それは救い主という意味です。

  ですから、イエス・キリストとは、神から特別に救い主として選ばれたイエスとう意味です。

 

不思議なこと

  不思議なことは、その救い主は飼い葉おけに寝かされているということです。 飼い葉おけとは家畜小屋に置かれているものです。 牛やろば、羊の餌箱です。 粗末なものです。牛やろばや羊の食べかす、よだれもついているものです。

 その中に布を敷いたとしても、そこに生まれた赤ちゃんを寝かせることはまずありません。 ところが、救い主イエス様は、飼い葉おけの中に寝かされたのです。

 最高のベッド、最高のゆりかごに寝かされても当然なお方が、最もみすぼらしい飼い葉おけに寝かされたのです。 驚くべきことです。

 

羊飼いたちへの招きと応答

  羊飼いたちは招かれました。  行って見て来なさいと。

  羊飼いたちは、野原を後にして、ベツレヘムの家畜小屋に向かいました。

 そこで救い主イエスに出会ったのです。

●13-20節 

◆羊飼いと天使

2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。

2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。

2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。

2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。

2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

 羊飼いたちは、神の招きに応答しました。出かけてみよう、行ってみよう。

 そして、救い主イエスに出会うことができました。

 神を崇め讃美しながら帰って行きました。 大きな喜びをいただいたのです。

 自分たちは、覚えられていない者ではない。覚えられている。神から覚えられているのだと分かった。 神の愛が注がれていることがわかりました。

 神は、この私を特別に愛してくださっていてくださるのだ、なんという感謝なことかと。

 もし救い主が宮殿の中でお生まれになったと告げられたなら、会いに行かなったことでしょう。 でも、家畜小屋の中野飼い葉おけに寝かされている救い主。

 それなら、行ってみようと。

 

高きにおられる方が一番低いところに

  神は高きところに座しておられるお方です。

  その方が、この地球に住む私たちのところにおいでくださいました。

  しかも、一番低きところに下って来てくださいました。

 一番弱く小さな存在である赤ちゃんイエスという姿で。 なんという驚きでしょう。

  

 

喜びに生きるために 

 神は、私たちに喜びを与えるために、クリスマスの出来事を起こしてくださった。

 一時的な喜びだけでは、私たちは生きていけない。 時には、一時的な喜びも必要です。 でもそれだけでは、生きていけない。 なぜなら、その一時的な喜びは、過ぎ去ってしまうから。

 様々な困難に出会います。 行き詰まりを経験します。 喜びを失います。希望をも失います。 もうだめだと思うことさえあります。 もうこれ以上は無理だと思うこともあるかもしれません。 心の中に光が消えてしまうこともあるでしょう。 自暴自棄になってしまうこともあるかもしれません。

この悩み、苦しみ、だれも分かってくれない。 誰も自分のことを覚えてくれていないと思います。

 

神は、分かってくださっています。覚えてくださっています。

  心の一番深いとことにある悩み、苦しみ、真っ暗になっているそのところに

  光を与えてくださいます。

 あなたのために救い主を送った。 その救い主イエスを心にお迎えしなさい。

  心の中に救い主イエスを迎え入れなさいと招いていてくださっています。

  こんなめちゃくちゃな心、醜い心、冷たい心です。こんな暗い心です。と言うかもしれません。 でも、その心の中に住むために主イエスはおいでくださったのです。

 家畜の食べかすやよだれのついた飼い葉おけに寝かされたイエス様です。

あなたの心がどんなにめちゃくちゃでも、醜くても、暗くても、主は入って来てくださいます。 そしてその心を包んでくださいます。 その心を温めてくださいます。 その心に光を与えてくださいます。 

 主イエスと共に歩む人生には、喜びが与えられます。

  主が共にいてくださるからです。生ける聖霊の助けが与えられるからです。

   ハレルヤ!

 

12月26日() 聖日礼拝  説教メモ

     「御言葉を待ち望みます」    詩編119編113-120節

 

この1年を振り返って

 ・新型コロナに悩まされた年であった。 コロナ2年目に入ってもなお大変でした。

  教会においても、礼拝出席、祈祷会出席に制限がかかった時もありました。

 ・元旦礼拝、新年礼拝から始まって、今年最後の年末感謝礼拝

 ・皆で祈りを合わせ歩むことができ感謝でした。 

 ・4名の敬愛する兄弟姉妹を天にお送りした。

 そのほかにも、愛する家族、親族を天に送った方々もおられることでしょう。

 ・1年を終えるにあたり、主の守りと支えをいただいたことを感謝しましょう。

 ・迎える年が、幸いな年となることを願い、進んで行きましょう。 

 

寒波の中で

 年の最後のところで、寒波がやってきました。 この寒さに負けないようにした  

いものです。 風邪等を引き込まないようにしましょう。

 必要なものは、暖です。 体を温かくするもの

  寒さの中では、とにかく暖を確保することが何より大切。

 

一番必要なものを選ぶこと

 物がたくさんある時代。情報がたくさんある時代。 そのような時代の中に生きている。 あれもこれも買い込む お金がいくらあっても足りない。

  家の中に物があふれる。下手をすると家の中は物だらけ。生活するスペースが物で狭くなる。

 情報はたくさんある。インターネットを利用するとこれもあれも、たくさんの情報を手に入れることができる。 情報過多、情報に振り回される。頭の中は情報でいっぱい。

 テレビでも、チャンネルはたくさんある、そして番組もたくさんある。私たちを 引き込む。テレビの前に座って、テレビを見ていると、あっという間に時間は過ぎてしまいます。

 ネットでも、YouTubeもあれば、フェイスブックも、インスタグラムも、ツィター、ティックトックも、ゲームもありとあらゆる楽しみがある。

  それらに熱中すれば、あっという間に、2時間、3時間と過ぎてしいます。

 選ぶ必要があります。

  これを選び、これは選ばない。 これは残し、これは捨てる。

  頭ではわかっていても、これが難しい。

  支配しているつもりが、支配されてしまう。

  一日はあっという間に過ぎ、1週間もあっという間に過ぎてしまう。

  

何が大切かを見極める

  主なる神に祈りましょう。 何が大切であるか、何がそうでないかを教えてください。

  これができないので、いろいろなものに支配され、後で後悔することになる。 あの時、こうすれば良かった、なぜしなかったのだろうか

  私たちの心は自分のもの、 自分でその心をもって、判断しことを進めていきます。 しかし、その心がくせもの

その心がいろいろなものに引き付けられる。その心はあっちに向いたり、こっちに向いたり。 心があることでいっぱいになることもある。自由に見えて不自由になる。

主に祈りましょう。この私の心をご支配ください。 主にあって、自由にしてくださいと。 何が大切なものであるかを見極めさせてくださいと。

そして、その大切なものを選んで大事にしていくことができるようにしてくださいと祈りつつ、進みましょう。

  

この年の御言葉と標語

御言葉:「わたしの民よ、わたしの教えを聞きわたしの口の言葉に耳を傾けよ。」

詩編79:1

 標語: 「主の御言葉を聞く」

 FEBCラジオ放送が作っている、聖書通読表を用いて歩み出した。

  いかがでしたでしょうか?

  毎日欠かさず読んで歩まれた方もいたでしょう。  

  途中で、まだらになって読めた人読めなかった日の方も

  三日坊主で投げ出した方もいるかもしれません。

  これは2年で旧約聖書を1回、新約聖書を2回でというものです。

  後半の2年目が迎える年です。

 なお、進んで行きましょう。 日々、聖書を開いて、み言葉に親しんでいきましょう。

 

なくてならないもの 

  それは、何でしょうか?   人それぞれ違うでしょう

  これが自分には必要です。

   生きて行く上で、なくてならないものは、食べ物、三度の食事でしょう。

    これをおろそかにしたら、食べるものを食べなかったら、病気になり、倒れてしまいます。

 ・身体にとっては、食べ物、食料ですね。

 ・心にとっては、休息、安らぎであり、憩いですね。 

  この自分は今生きている、生かされている、必要とされている。大事な存在として扱われている。愛する対象がある、自分は愛されているということではないでしょうか

 ・聖書は語ります。

   あなたは大切な存在だと。あなたは愛されていると。

   あなたをそのように見ていてくださる方がおられると、あなたを愛していてくださる方がおられると。

  聖書を与えてくださっている天の神さまがまさにその方です。

  

神の語り掛け

  神の語り掛け、それはまさに聖書の御言葉 霊の乳、ミルク

  母親は赤ちゃんに乳を飲ませます。 その時、単なる栄養を与えているのではありません。愛情を注ぎ与えています。

 乳を飲む赤ちゃんの瞳を見ながら、愛のまなざしをかけつつ飲ませるのです。

  そうすることで、赤ちゃんは栄養と共に、母親の愛を受け取り、体と心が満たされるのです。

  私たちは、赤ちゃんであり、子どもです。

  聖書の御言葉は、赤ちゃんを健全に育てます。子どもを成長させます。

   大人であっても、命を与え続けます。

  信仰の歩みにおいて、この聖書の御言葉は、最も大切なものです。 

 

心が分かれないように

◎113節 

119:113 心の分かれている者をわたしは憎みます。あなたの律法を愛します。

◎新改訳

119:113 私は二心の者どもを憎みます。しかし、あなたのみおしえを愛します。

 心が分かれてしまうことがある。二心

 あっちに進んだり、こっちに進んだり ふらふらと、どこに行くかわからない

  心に平安がない。 どう進んだら良いかわからない。 一番苦しいことです。 でも、そのように歩んでいることがあります。 そのような歩みを憎みます。斥けます。

主よ、斥けてください。助けてください。

 一つ心にあって歩ませてください。迷い迷いではなく、この道を進みます。

  この道こそ確かな道です。 主よ、あなたが備えてくださった道です。

  感謝しますと。 あなたの律法、教え、聖書の御言葉です。

 

◎115節

119:115 悪事を謀る者よ、わたしを離れよ。わたしはわたしの神の戒めを守る。

◎118-119節

119:118 あなたの掟から迷い出る者は ことごとく打ち捨てられました。彼らは欺く者、偽る者です。

119:119 この地であなたに逆らう者はことごとく 金かすのように断ち滅ぼされました。それゆえわたしはあなたの定めを愛します。

 

命を得させてください。

  助けてください。 今命の危機にあります。

  川に流された、海でおぼれた時、命の危機に陥ります。

  必死に助かろうとします。

 その時に必要なものは浮き輪であり、救助してくれる人であり、船でしょう。

  この浮き輪に捕まりなさい、これにつかまりなさい。その指示に従います。

   こうすれば助かる道があると聞いたなら。その道に進みます。

   そして、助かる

  この私の心を助けてください。この私を引き上げてください。

  この私は今、心が溺れそうです、魂が溺れそうです。 しぼんでしまっています。

  元気を失っています。枯れ果てています。

   どうしたら良いかわからなくなっています。

   生きる力を、希望を失っています。 心は真っ暗です。

  

◎116-117節

119:116 あなたの仰せによりすがらせ 命を得させてください。わたしの望みを裏切らないでください。

119:117 わたしを支えてください そうすればわたしは救われます。いつもあなたの掟に目を注ぎます。

 

119:25 

119:25 わたしの魂は塵に着いています。御言葉によって、命を得させてください。

  魂は塵に着いています。もう限界です。 消え入りそうです。

  命を得させてください。この私を再び生かしてください。

  もう限界です。 でも、主よ、あなたは生かしてくださるお方です。

  この私を生かしてください。命を得させてください。

  あなたの御言葉によって

 

○119:105 

119:105 あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。

  主の御言葉は、道の光です。歩みを照らす灯です。

  歩みを確かにしてくれます。 進む道が真っ暗なら大変、 どこに大きな穴があるかわからない、どこに崖があるかわからない、どこに向かっているかもわからない。

 不安でいっぱい。確信が持てない。 どうなるのだろう、・・

 それはつらく悲しい。

  聖書の御言葉は、道を照らす光、歩みを照らす灯として、私たちを導いてくれる。

  主は、み言葉を通して、私たちの歩む道を確かにしてくださるお方です。

 

○78:1-4

78:1 【マスキール。アサフの詩。】わたしの民よ、わたしの教えを聞き わたしの口の言葉に耳を傾けよ。

  主は語り掛けられる。 私の教えを聞き、私の口の言葉に耳を傾けよと

  

○マタイ4:4

4:4 イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」

  パンだけで生きるのではない。

  この世は言う、サタンは語りかける パンが大切だ。パンがあれば、それで十分だと

  でも、主は語られる、そうではない。 『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と。

 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる者だと。

 

◎114節

119:114 あなたはわたしの隠れが、わたしの盾 御言葉をわたしは待ち望みます。

  主よ、あなたこそ隠れ家です。 危険から身を隠し、守るところ

   そこで憩うことができる。

 主は、私たちに最高の食事を作って待っていてくださる。

 最高の料理を用意していてくださる。

 それは、み言葉という料理

 私たちの魂を満たすもの。 主の語り掛け 

主よ、あなたの御言葉をもって語り掛けてください。

 あなたの御言葉を慕い求めます。 あなたの御言葉をいただきたいのです。

 あなたの語りかけを聞きつつ、歩みたいのです。 

 主よ、あなたの御言葉を待ち望みます。